あッ、えッ・・・呆然。
生で観ていて、こんなことが・・・
メダルを取るために、攻める姿勢で臨んだという結果だそうで、バトンが2走者目の方が速くて渡せずに、後、走れずに終わりました。
桐生選手が、リレーだけで、走れなかったのも、悔やまれますが、攻めた結果だからと言い聞かせるように話していました。
観ている方より、走者の方が、残念でならないでしょう。
イタリアは100でも金を取りましたが、リレーでも金!
ジャマイカが下がっている
今日は上がったり下がったり上がったり下がったりが、激しくて、途中事件も起こり、観ているだけで疲れました。
男子400メートルリレー、痛恨のバトンミスで途中棄権 2大会連続のメダル獲得逃す(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
◇東京五輪第15日 陸上男子400メートルリレー決勝(2021年8月6日 国立競技場) 【写真】あっ…バトンが渡らない!第1走者の多田から第2走者の山県へリレーで失敗
男子400メートルリレー決勝が行われ、日本は、16年リオデジャネイロ五輪銀メダルに続く2大会連続3度目のメダル獲得はならなかった。 「押忍!」との掛け声とともに登場。多田修平(25=住友電工)―山県亮太(29=セイコー)―桐生祥秀(25=日本生命)―小池祐貴(26=住友電工)の順で臨んだ。しかし、一走・多田が好スタートを切りながら、二走の山県に渡らなかった。 5日午前の予選では、38秒16の1組3着。決勝進出8チームの中で最遅タイムだったが、4人は強気を崩さなかった。東京五輪に初登場した3走の桐生は「今日のタイムは遅れている。でも日本記録(37秒43)を出せば金メダルを狙える」。9レーンからのスタートで攻撃的なバトンパスに出たが、ゴールまでバトンをつなげなかった。 リレーメンバーの4人中3人が9秒台のベストを持つ歴代最速侍だったが、100メートルは予選で3人が全滅するなど、個々の悔しい思いも出し切れずに終わった。 日本は2008年の北京五輪で同種目初の銀メダルを獲得。12年ロンドン五輪では4位だったが、16年リオ五輪で銀メダルを獲得していた。
リレー侍 桐生が悔し涙「(メダルを取った)後ろ(の選手)が羨ましい」痛恨バトンミス(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
「東京五輪・陸上男子400mリレー・決勝」(6日、国立競技場) 2016年リオデジャネイロ五輪銀メダルの日本は多田修平(25)=住友電工、山県亮太(29)=セイコー、桐生祥秀(25)=日本生命、小池祐貴(26)=住友電工=で挑んだ。1走の多田が素晴らしいスタートを切ったが、2走の山県へのバトンの受け渡しに失敗。日本得意のバトンでの痛恨ミスで、この瞬間、2大会連続3度目のメダルが消えた。 【写真】大舞台で痛恨 多田が差し出すバトン 山県の手は全く違う場所に バトンを受け取ることなく、レースが終わった3走の桐生はインタビューで、フィールドでメダル獲得を喜ぶ海外の選手たちに目をやりながら、「(メダルを取った)後ろ(の選手)が羨ましい。日本の国旗をこの舞台で掲げたかった。僕が予選でもっと速く走っててて、多田とか山県さんに心の余裕があれば、結果も違っていたと思うので…。応援してくれた人たちの期待を裏切ってしまった」と、悔しさで涙をあふれさせた。 ◆多田修平(ただ・しゅうへい)1996年6月24日、大阪府東大阪市出身。大阪桐蔭から関学大に進学し、17年ロンドン世界選手権は10秒26で準決勝敗退。日本選手権は17年に2位、18~20年はすべて5位。住友電工所属。177センチ、66キロ。 ◆山県亮太(やまがた・りょうた)1992年6月10日、広島県出身。広島・修道高校から慶大に進学。2012年ロンドン、16年リオデジャネイロ両五輪で男子100メートル男子準決勝進出。リオでは400メートルリレーで銀メダル獲得。今年6月の布施スプリントで9秒95の日本新記録をマークした。セイコー所属。176センチ、70キロ。 ◆桐生祥秀(きりゅう・よしひで)1995年12月15日、滋賀県彦根市出身。洛南高時代の13年織田記念陸上で日本歴代2位の10秒01を記録し、一気に注目を集めた。14年4月に東洋大に進学。15年3月のテキサスリレーで追い風参考(3・3メートル)ながら電気計時では日本人初の9秒台となる9秒87をマークした。16年リオ五輪男子400メートルリレーでは銀メダル獲得に貢献。100メートル元日本記録保持者。175センチ、70キロ。 ◆小池祐貴(こいけ・ゆうき)1995年5月13日、北海道出身。パワフルな走りで自己ベストは9秒98。かつて寿司屋でアルバイトも。住友電工所属。173センチ。
リレー侍、攻めのバトンつなげず 山県「勝負にいった結果」桐生「世界に離されている」― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
男子400メートルリレー決勝が行われ、日本は、16年リオデジャネイロ五輪銀メダルに続く2大会連続3度目のメダル獲得はならなかった。
「押忍!」との掛け声とともに登場。多田修平(25=住友電工)―山県亮太(29=セイコー)―桐生祥秀(25=日本生命)―小池祐貴(26=住友電工)の順で臨んだ。しかし、一走・多田が好スタートを切りながら、二走の山県にバトンが渡らず、ゴールできなかった。
多田は「バトンミスしてしまって、原因はわからないですけど、また見直して改善していきたい」と力なく話せば、二走の山県は「しっかり目標を達成するためには攻めのバトンをやっていこうと、勝負にいった結果」とし、三走の桐生も「世界とのリレーでも個人でも離されているということは記録的にも結果的にも残っている。それを深く受け止めて、色々本当に変えていかないといけない」とし、4走の小池は「これを無駄にしないように、失敗したからといって次から守りに入るんじゃなくて、これからもどんどん攻めていって、いつか金メダルを達成できるように頑張りたい」と話した。
リレーメンバーの4人中3人が9秒台のベストを持つ歴代最速侍だったが、100メートルは予選で3人が全滅。5日午前のリレー予選では、38秒16の1組3着。決勝進出8チームの中で最遅タイムだった。現状の「個」のコンディションで勝つには、伝統のバトンパスのロスを少なくすることで補うことが不可欠だったが、「攻めのバトン」をゴールまでつなげなかった。
日本は2008年の北京五輪で同種目初の銀メダルを獲得。12年ロンドン五輪では4位だったが、16年リオ五輪で銀メダルを獲得していた。