(1)宮崎県南東部・神奈川県西部と連続して地震が発生しました。目下の雰囲気としては、気象庁や政府も、NHKなど報道機関も、おしなべて「すわ、南海トラフ地震」といった対応ぶりですが、果たしてどうなのでしょうか。
こういう時にこそ言いたいのが、
外交で防げる軍事(防衛費)に金をかけるのでなく、プロの防災組織・機構をつくること、
気象や火山などの(これまで減らしてきた観測所を復活させ)もっと作るほか、地球科学の基礎的研究の振興に努めること、
国民生活の安全のため、国土保全・環境維持・食料確保の要点である農林魚業にもっと支援策を講ずること、
などです。
先日「米が品薄だ」というニュースがあったせいか、きょうカミさんが買い物に行ったら、スーパーの棚からコメがなくなっていたそうです。これでは、1970年代のトイレットペーパー騒動から何も学んでいないことになりかねません。
(2)そこで、きょうは、手元にある震災関係のチラシとパンフを紹介します。といっても、意識して収集したものではなく、気が付いたから持ってきておいたという程度のものです。
【コレクション 45】
まず、横浜開港資料館で平成5〔1993〕年7月17日~10月24日に開催された「関東大震災と横浜」のチラシです。
大きさがB5判で、裏表とも参考になりそうですから、そのまま載せることにします。
〔表〕
上側の絵は「牛田雞村画」、下側の絵は「服部亮英画『大震災絵巻』(服部一馬氏所蔵)とあります。
〔裏〕
上側の4枚の写真は「中央電話局屋上からの市中全景」。
中段のノートは「戒厳令司令部神奈川警備隊司令官『陸軍中将奥平俊蔵自叙伝』。
下段左の新聞は「東京日日新聞』大正12年9月2日付」。
右は「復興英貨公債」
なお、神足勝記もその孫の勝浩氏も被災しました。この震災で家屋が倒壊して下敷きとなりましたが、運よく抜け出すことができました。この時のようすは、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の538㌻以降に詳しく書かれています。
なお、ここは歴史的資料としても重要なので、御料局の事業とは関係がありませんが、全文を残しました。また、神足は、その後も、この震災時の苦難を忘れないために、9月1日は震災の日としてあえて握り飯を食べるなどしています。その様子もすべて残してあります。ぜひお読みください。
【コレクション 46】
つぎは、「国立歴民俗博物館」で2014年3月11日~5月6日に開催された「歴史に見る震災」のチラシです。大きさはA4判です。裏は、白黒で、場所不明の被災地の写真2枚、展示資料名、会場案内などがありますが、割愛します。
なお、このチラシに載せられている写真類の場所の特定はできませんが、一番下のものには右端に「巌手県青森県宮城県大海嘯画報」とあります。これは明治29〔1896〕年6月15日に東北を襲った津波のことです。上記の『神足日記』141㌻に出てきます。
【コレクション 47】
つぎは、『新編日本被害地震総覧』です。
これは、A4判大、4㌻ですが、1㌻目の右上に「被害地震を瞬時に検索 防災対策関係者に必携」とあるのでわかるように、2~3㌻推薦文と検索画面の説明があり、4㌻目は刊行案内ですから、ちょっと一般向けではないようです。
とはいえ、この1㌻目の絵は興味深いです。
左の「要石」を皆で拝んでいます。そして、周囲には、「わだばゴッホになる」といった棟方志功の版画のように、文字が所狭しと書かれています。全文がわからないので何とも言えませんが、この神だのみのことをいっているようです。でも、責任を持てないのでこれ以上は触れないことにします。挑戦してみてください。
【コレクション 48】
最後に、『地震の事典』です。
大きさはA5判8ページです。1㌻と8㌻を下に載せました。これを見ると、このパンフレットの内容はだいたいわかります。
念のために中を説明しますと、
2㌻ 「刊行にあたって」と「執筆者一覧」
3㌻~5㌻ 「内容・執筆者」
6㌻~7㌻ 「本文組見本」
以上です。
このパンフレットは、刊行に必要なことはみな表紙に書いてあり、要領を得ていると思いました。中身は見たい人だけが見るので足りるということのようです。
きょうは、地震に関して何か集めてあったはずだと思いついて探し出したものの、この4つを見つけるのに時間を取られてしまいました。
あ~あ、くたびれた。おしまい。
きょうの西の空
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