日時:10月16日
内容:清掃(公衆トイレ1か所)。道具の借用(とやまの森づくりサポートセンター吉峰支所様)。剪定(富山市お客様)。
感想:
パウロ氏が
西に向かったため
ゲルマン人、ラテン人、スラブ人などの
辺境の部族が感化されキリスト教になりました。
しかし
現在のクリスチャンと思われる欧米の指導者は
ひとつもキリスト教徒らしくない戦争と争いごとを
始めております。
はっきり言って
パウロ氏は東へ向かったほうが良かったのではないかと
思います。
凡庸な欧米人のキリスト教理解や実践には
センスが感じられず(ごく例外ないい人が聖人になる)
東洋人の繊細さや洗練の美(欧米ハイブランドに美の法門を感じることはないです)や
古代中国やインドの哲学的思惟をベースにしたユダヤ、キリスト教理解のほうが
ギリシャ論理学によるそれよりも優れるはずです。
現下のイスラエル、パレスチナ戦争も
欧米における教父哲学、アウグスティヌスのユダヤ人差別論のような
歴史的始原に遡及し
如何にヨーロッパがユダヤ人を差別、排斥してきたかを再考せねば
解決の糸口は見い出せません。
パレスチナ問題とは
政治的右派と左派の闘争案件でも
イスラエル支持かパレスチナ支持かといった
薄っぺらいとんまな論争に収斂することではないです。
マルクスにせよ
ベルンシュタインにせよ
トロツキーにせよ
ヘルツルにせよ
おそらく
彼らユダヤ人知識人は
ヨーロッパ世界におけるユダヤ人の異質な存在感に苦悩し
同化しようともがいたに相違ないです。
その果てに
政治的、暴力的、軍事的な
世俗的世界革命を憧憬し
シオンの丘に性急かつ強引に国家を樹立することになったのです。
マルクス主義や社会民主主義
あるいはシオニズムの本質は
個人的な問題の社会的問題へのすり替えです。
政治的、軍事的に神の国、すなわち聖なる王メシアがカナンに国を創り
ソロモン神殿を再建すればユダヤ人は救われるという世俗的救済論であります。
ナザレのヨシュア(イエス)は
軍馬を疾駆し兵卒を指揮する大将軍でも
ダビデ、ソロモンのような王権を持ち
十二使徒を大臣に任命したわけでもありません。
ラバに乗った柔和な王
孔子の理想とした堯舜のイデア
老子の無為自然の治
お釈迦様の大慈悲の具体ではありますまいか。
本地の垂迹であります。
とにかく
欧米人のとんまな感じには飽き飽きですので
東アジアや東南アジア諸国の民が
今一度
学問を考究し
ユダヤ、キリスト教を
ヘレニズム経由でなく
東アジア文化圏としてストレートに理解し
世界平和をリードすべきです。
終り
高橋記(伴天連)
内容:清掃(公衆トイレ1か所)。道具の借用(とやまの森づくりサポートセンター吉峰支所様)。剪定(富山市お客様)。
感想:
パウロ氏が
西に向かったため
ゲルマン人、ラテン人、スラブ人などの
辺境の部族が感化されキリスト教になりました。
しかし
現在のクリスチャンと思われる欧米の指導者は
ひとつもキリスト教徒らしくない戦争と争いごとを
始めております。
はっきり言って
パウロ氏は東へ向かったほうが良かったのではないかと
思います。
凡庸な欧米人のキリスト教理解や実践には
センスが感じられず(ごく例外ないい人が聖人になる)
東洋人の繊細さや洗練の美(欧米ハイブランドに美の法門を感じることはないです)や
古代中国やインドの哲学的思惟をベースにしたユダヤ、キリスト教理解のほうが
ギリシャ論理学によるそれよりも優れるはずです。
現下のイスラエル、パレスチナ戦争も
欧米における教父哲学、アウグスティヌスのユダヤ人差別論のような
歴史的始原に遡及し
如何にヨーロッパがユダヤ人を差別、排斥してきたかを再考せねば
解決の糸口は見い出せません。
パレスチナ問題とは
政治的右派と左派の闘争案件でも
イスラエル支持かパレスチナ支持かといった
薄っぺらいとんまな論争に収斂することではないです。
マルクスにせよ
ベルンシュタインにせよ
トロツキーにせよ
ヘルツルにせよ
おそらく
彼らユダヤ人知識人は
ヨーロッパ世界におけるユダヤ人の異質な存在感に苦悩し
同化しようともがいたに相違ないです。
その果てに
政治的、暴力的、軍事的な
世俗的世界革命を憧憬し
シオンの丘に性急かつ強引に国家を樹立することになったのです。
マルクス主義や社会民主主義
あるいはシオニズムの本質は
個人的な問題の社会的問題へのすり替えです。
政治的、軍事的に神の国、すなわち聖なる王メシアがカナンに国を創り
ソロモン神殿を再建すればユダヤ人は救われるという世俗的救済論であります。
ナザレのヨシュア(イエス)は
軍馬を疾駆し兵卒を指揮する大将軍でも
ダビデ、ソロモンのような王権を持ち
十二使徒を大臣に任命したわけでもありません。
ラバに乗った柔和な王
孔子の理想とした堯舜のイデア
老子の無為自然の治
お釈迦様の大慈悲の具体ではありますまいか。
本地の垂迹であります。
とにかく
欧米人のとんまな感じには飽き飽きですので
東アジアや東南アジア諸国の民が
今一度
学問を考究し
ユダヤ、キリスト教を
ヘレニズム経由でなく
東アジア文化圏としてストレートに理解し
世界平和をリードすべきです。
終り
高橋記(伴天連)