図書館へ行こう!

 本は私の人生の友・・・

『アウシュヴィッツ生還者から あなたへ』

2025年01月14日 | 

~14歳、私は生きる道を選んだ~

リリアナ・セグレ   中村秀明 訳

 

1944年1月、アウシュヴィッツに送られた少女は、壮絶な日々の末に生きのびる。

戦後、長い沈黙を経て、30年にわたり自らの体験を語り続けた。

90歳を迎え、活動に幕を下ろした年に行った最後の証言を、インタビューとともに収録。

そこには差別、憎悪、分断が はびこる現代への警告と、未来への一筋の希望が見える。

 

>(歩いてきた道のりが数百キロになった「死の行進」後、たどり着いた収容所で)

戦争が あのまま続いていれば、ナチスが手を下さなくても私たちは死んでいったでしょう。

そのくらいに弱り、死にかけていたのです。

それでも、ここでは素晴らしいものに出会いました。

小さな敷地の先、鉄条網の向こうに野原があり、木々が茂っていました。

そこに春の訪れを見つけたのです。

春の始まりが、私たちの心に喜びを運んでくれました。

新緑を楽しみ、自然に思いを はせる喜びを感じることができたのです。

戦争があろうと、街が破壊されようと、人が どんな悪い行いに手を染めようとも、

自然の営みは左右されることなく、その歩みを止めないのだと気づきました。

 

>無関心は あらゆることの根源です。

何かについて選択しなくてはいけない時に、その勇気がない人がいます。

もう朝だというのに、目を覚まして どうするか決めなくてはいけないのに、何も する気のない人です。

「まわりのことは どうでもいい」「ニュースには興味がない」「世界で今どんなことが起きているかなんて、知りたくもない」と。

そして、おいしいものを食べ、買い物をして、自分が心地よければ それで十分だと考える人です。

あなたの家族に こんな人がいたら どうでしょう。

子どもは こんな風に無関心だったら、兄弟が もし そうだったら?

それは恐ろしいことです。私には大事なことも、大切な人も いないと考えるなんて。

そうした人たちは、不正を目にしても、路上で誰かが殺されかかる場面に出くわしても、

目をそらして通りすぎるのでしょう。世界は もはや そんな感じです。

私にとって大事なのは、あなたの身に降りかかっていることではない。

私は、私のことで手いっぱいなのだ、という風に。

 

>日本の若い人たちは知らないかもしれませんが、アウシュヴィッツ収容所の周囲には鉄条網が張り巡らされ、そこには高圧電流が流れていました。

それに触れれば、すぐに死ぬことができました。死を選ぶのは、簡単なことでした。

しかし、私たちは なんとか死から のがれることを考え、自殺する人は ほんのわずかでした。

生きるということは恵みを もたらします。生きていることは素晴らしいことです。

すべてを失った奴隷の日々が私の人生には ありました。母となり、子どもを育てるとは思いも つかない日々でした。

それでも、私は いつも生きることを選んできました。そして、90歳になった今も生きることを選び続けているのです。