風船花(ホウセンカ)です! 元気です!

教育系ポップスバンド 風船花(ホウセンカ)の活動日記
日常の中であれこれ思ったことなど

20年経ちました……しかし……

2015年10月10日 10時38分58秒 | 人生

書くか、書くまいかと悩んだのですが、こんな話でも何か皆さんの考える材料になれば……と思い、先日のことを!

まず、昨日、10月9日は、平成7年、上咽頭腫瘍の告知を受けた日。
「死にますか?」と尋ねたら、医師は「調べてみないと」と回答をくれた日。あれから、20年が経過。皆さん、ご存知のように僕は生きています。
さて、20年を迎えようとした前日の朝。いつも食べない朝食ですが(「朝ごはんをたべよ!」と歌っているのですが……反面教師です)、レタスをバリバリと食べたのが6時半、いつものようにシャワーに入って、その後、なんだか胃に違和感。「久しぶりに詰まったか」と思いながら、身支度。...
しかし、「胃が痛い」、「かなり痛い」。「今日は、終業式で講話もしなきゃ」、学校へ向かう。「胃が痛い。とにかく、痛い」だんだん痛みが強くなる。
校長室に入って、ソファーに座っていると、部屋に入ってきた先生に「大丈夫ですか?」と声をかけられるも、言葉がでないほど痛い。
『病院に行こう!』と思い、学校が出る。
車でとも思ったが、運転する余裕はないと判断。かかりつけの病院は白石だから、30分はかかる。交通手段はないし、それを考える余裕はなかった。目の前に来たタクシーに乗って、「江別市立病院へ」と。大きい病院は何かと時間がかかると思ったが、状況を思うと仕方なかった。
今度は、汗がドロドロで出した。
タクシーの運転手が「救急車を呼びますか?」と言うが、市立病院は、学校から5分、待つより行った方が早いし、学校にピーポーなんてサイレンがなると地域にも心配されるなんて考えながら、とにかく、「市立へ行ってください」と。それが8時半くらいのことかな。

車椅子に乗せられ、救急外来。心電図だ、採血だ、「意識はありますか?」「何を食べましたか?」と大騒ぎ。
「痛い、痛みさえ止めてくれれいい」と訴えるも、保険証は?、家族は?
仕事は?病歴は?との質問攻め……。質問されるのは当たり前なのですがね。
そのうち、看護師さんの一人が、「校長先生!?」と。
「そうです、校長です!」と答える。

背広の上着までビチャビチャになるほどの汗……。

間もなく、ものすごい吐き気がして…………。

すっかり良くなりました。痛みも嘘のように消えてしまったのです。
冷静になり、「大丈夫です。帰れます。」と言ってみたものの、許されるはずもなく、「尋常な状況ではありません」と説明され、CTへと。
人が変わる度に、「造影剤は大丈夫ですか?」とのべ10回聞かれながら、CTのトンネルの中へ。

結果は、胆石があること(これは経過観察中なので知っていた)、イレウスにはなってなかった。とりあえず、何もなし。

「帰りたい」と医師に告げるが、「原因がはっきりしないから、1日入院して経過をみたい」と。
「結構です。大丈夫です。」と答えるが許してくれない。
「大丈夫」と繰り返しているうちに、医師も「妻に説明してから」と妻の到着を待つことに。

11時ころに妻が来て、説明があって、「どうしますか?」と医師。
「本人が帰ると言ってますので」と妻。
「今晩、何かあっても責任はもてませんよ」と医師。
「自分の命は自分で責任をとります。病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬと思っていますから。」と、いねむり先生の言葉を借りた。

平成12年、修学旅行の引率の間近にイレウスになって、病院のベットから学校に向かった時も、医師が妻に「どうしますか?」と聞いて、妻が「本人が行くと言っていますから」と答えた、その時のことを思い出した。

帰りの車の中、妻と「胆石発作だろう」というのが結論。1週間くらいの余裕のある時に切ったほうがいいねというのが見解。

13時半!終業式の校長講話を終了!

大騒ぎをして、わがままを言って、皆さんに迷惑をかけました。心からお詫び申し上げます。医師や看護師さんとって、「ダダをこねる」嫌な患者だったと思います。ごめんなさい


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