歩 い て 世 界 一 周 6月1日 (土) 快晴
日 数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩) |
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今 日 |
1 |
11,560 |
8,092 |
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今 月 |
1 |
11,560 |
8,092 |
11,560 |
今 年 |
152 |
2,609,525 |
1,826,668 |
17,168 |
2005年から |
3,083 |
43,928,249 |
30,749,774 |
14,249 |
70歳の誕生日から |
6,615 |
125,878,380 |
88,114,77866 |
19,029 |
アイスランドを経てグリーンランドのアンダマダシャリクからコィアネホープに向かう、後691,121m
朝、妻と3;30起床。4:30パパの運転で山崎夫妻を乗せ、長野に向かう。JR長野駅東口で旅行社仕立ての1号車に乗り、6:00出発。途中上田・佐久で参加者を乗せて福島に向かう。この旅行社だけで5台のバスと云う。東北六魂祭の夢膨らむ船出だ。パパの協力、ありがとう!。
福島到着は12:35。添乗員から【自由見学で16:15此処、福島東高校に戻るよう。】と指示されバラバラとなる。私達4人は「まず食事」と「うまいもの広場」を目指す。しかしうまいもの広場は既にロープを張られて入場出来ない。何しろ考えて居たような状態ではない。人の波に流されて思うような行動とれない。
そこで、食事は後回しにして、昨夜調べて置いた市役所脇の車椅子観覧エリアに足場を作る事に作戦変更する。市役所目指して近づくと、案内は「指定証はお持ちですか。エリアは既に満席で入場できません。南下して早く席をとりなさい」と。
南に行きながら係に聞くが、「満杯です。」、「満杯です。」でロープが張られていて何処まで行っても停まれる場所は既にない。その裡に大渋滞で車椅子は動かなくなった。もう諦めてそこを定位置と決めた。人垣の中、前方30度程の視野があるだけ。
山崎さんが気を利かして、焼きそばとポテトチップスを届けて呉れたが、それから音信不通。後で聞けば、その店の2階に挙げて貰ってパレードを観ることが出来たという。幸運と感謝していた。
午後2時祭りは航空自衛隊のブルーインパルス6機による曲芸飛行が始まった。音はする、飛行機雲は残るが視野30度では何も判らない。これから始まった秋田の竿灯も視野から外れた場所での演技、時々人垣に隙間から見えるだけ。福島のわらじ、山形の花笠踊り、仙台七夕のすずめ』踊り、盛岡のさんさ、と続いたが踊りの見本を観るだけ、待望の青森のねぶたもチラリ、せめてもの跳ね子の姿に盛り上がっただけで終わってしまった。私は事前にユーチューブで見ていたのでお祭り気分は味わえたが妻は期待を裏切られてガッカリしたと思う。
往きのパレッドが終わったので私たちは集合場所を目指して引き揚げたが、地元の人たちはこれからが本番。戻りのパレードの観戦に争って席の奪い合い。急いで東高校の集合場所に戻ったが5分遅れで4:20分。
全員確認をした添乗員さんは、バスの呼び戻しに奔走していたが、バスが来たのは2時間後。泊まりの山形県蔵王アストリアホテルでの夕食は午後8時。誰も不服を漏らすものが居ないのは日本人の美徳か?
せめてもの収穫は、東北大地震の傷跡がどこでも見あたらなかっことこと、超稠密な青壮年の招集とその青年たちに震災の復興への熱意を感じたことだ。
パレード開幕前の国道4号線
飛行機雲しか見えない
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