百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

三島由紀夫 切腹の日

2013年11月25日 18時05分43秒 | 随想

 百に向かってもう一度歩いて世界一周 11月 25日(月

 1970年の今日11月25日、三島由紀夫は、同志の【楯の会】のメンバー4名を伴い、東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地、陸上自衛隊東部方面総監部2階の総監室を訪ね、自衛隊の蹶起を訴えたが認められず、総監を人質にして、自衛隊員を集めて憲法の改正を訴え、自衛隊の蹶起を望んだが、騒音と野次に遮られて説得出来ず、諦めて切腹した。介錯した森田も切腹した。

 私はこの話を聞いて、文人三島由紀夫がサラリーマン根性の自衛隊に憲法改正を訴え、自衛隊の決起を促して喝を入れ、受け入れられぬと知るや「天皇陛下万歳」を三唱して見事切腹したことを知って「これぞ!日本人!武人の誉よ!!】と感じたが、世の中が豊かになり、デモクラシーの世相と成り果てたためか、日本人の魂を呼び起こすまでには盛り上がらなかった。なんとも残念至極だ。

辞世の歌

 益荒男(ますらお)が たばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに  幾とせ耐へて今日の初霜

残したことば

このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」と日本の将来への絶望を吐露している。

裁判での陳述 古賀浩靖

「狂気、気違い沙汰といわれたかもしれないが、いま生きている日本人だけに呼びかけ、訴えたのではない。三島先生は『自分が考え、考え抜いていまできることはこれなんだ』と言った。最後に話合ったとき、『いまこの日本に何かが起こらなければ、日本は日本として立上がることができないだろう、社会に衝撃を与え、亀裂をつくり、日本人の魂を見せておかなければならない、われわれがつくる亀裂は小さいかもしれないが、やがて大きくなるだろう』と言っていた。先生は後世に託してあの行動をとった」

小川正洋
武士道とは死ぬことと見つけたりとは、朝起きたらその日が最後だと思うことだ。だから歴史の精華を具現するのは自分が最後だと思うことが、武士道なのだ』と教えてくださいました。(中略)私達が行動したからといって、自衛隊が蹶起するとは考えませんでしたし、世の中が急に変わることもあろうはずがありませんが、それでもやらねばならなかったのです」

               百に向かってもう一度歩いて世界一周 11月 25日(月

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

    1        

18,945

13,262

 

今  月

25

462,488

323,742

18,500

今  年

290

4,920,419

3,444,293

16,967

2005年から

3,221

46,239,143

32,367,400

14,356

70歳の誕生日から

6,753

128,189,274

89,732,492

18,983

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ「 ヘブロン」に向かって後430,784m 

 



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