百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

多言なれば数々窮まる 中を守るに如かず

2013年05月24日 18時16分53秒 | 随想

 歩 い て 世 界 一 周  5月24 (金) 晴れ

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

19,025

13,318

 

今  月

24

426,964

298,875

17,790

今  年

144

2,470,590

1,729,413

17,157

2005年から

3,075

43,789,314

30,652,520

14,240

70歳の誕生日から

6,607

125,739,445

88,017,294

19,031

イツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリス・アイスランドを経てグリーンランドのアングマクシャリクに向かう、後 72,393m

 第5章

 

 天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。天地之間、其猶■籥乎。虚而不屈、動而愈出。多言數窮、不如守中

 

 天地は仁あらず。万物を以て芻狗(すうく)と為す。聖人は仁あらず。百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。天地の間は、其れ猶(なお)、タクヤクの如きか。虚しくして屈せず、動かせば愈々出だす。多言なれば数々(しばしば)窮まる。中(ちゅう)を守るに如かず。

 

 天地には仁はない。天地にある万物は、藁で作った犬のようなものである。聖人には仁の徳はない。聖人にとって百姓(人民)は藁で作った犬のようなものだ。天地の間は、まるでフイゴのようなものである。(天地の内部は鞴のように)空洞であるが力が無くなって屈することはなく、動かせば動かすほどますます力が出るのだ。しかし、言葉の数が多い多言であれば、しばしば言葉の力を使い果たしてしまう。心の内部にしっかりと力を蓄えておくのがもっとも良い。

今日来た北信濃新聞の道しるべにこんな記事が載っていた。

橋下徹大阪市長の、従軍慰安婦に関する発言が論議を呼んでいる。筆者はいわゆる「戦争を知らない子供たち」世代で、従軍看護婦について全く知らない。だから、橋下さんの言ってることが真実なのかどうか、論評は出来ない。ただ、橋下さんの発言で傷ついた人が居るとしたら、不穏当なのだろうと思ってしまう。「言論の自由」は最大限】尊重されるべきだとは思って居るけれど・・・

 それならば、放言も、暴言も、讒言もすべて許されるのか。橋下発言も、捉え方によっては【いじめ】かもしれない。人格を貶める暴言」-ともとらえられよう。その一方で、橋下発言は歴史が隠蔽して来た事実ーと受け止め、世界各国の良心を問い直す勇気ある発言と見る人も居るかもしれない。

 道しるべは「言論を封殺、規制するのではなく暴言には言論で、世論で対抗すべきである。と結んでいる。なにか、老子より真っ当なような気がする。

 私は戦争末期ながら帝国軍人として在籍したペイペイだが、こんな話を聞いたことがある。

 敵陣を制圧して先ず最初に心掛けなくてはならぬことは、憲兵隊による治安維持である。中国人民に安心感を与えることである。占領した勢いで人民に危害を加えないことである。最も重要なことは婦女子に手を出させない事である。それには兵火が終わり次第、真っ先に慰安所を設けて、兵士の欲望に応えなければならない。作戦本部の最重要な作戦行動である、と聞かされたことがある。慰安所の女性は治安維持のための大切な役目を果たしている立派な戦士である、従軍看護婦以上の役割を持って居たと私は今でも思って居る。

 橋下市長の発言は、瑕疵の無い正論だと私も思って居る。その通りなのだから。撤回したり、取り消したりする必要は全くない。

 だからといって、自分の立場も弁えずに矢鱈と広言すべきかと言えば、やはり”NO”だ。総理は総理なりきに、外務大臣は大臣なりきに、市長は市長なりきに、己の役割に相応しい説を発言すべきものと思う。

 やはり、、「多言數窮、不如守中」”多言なれば数々(しばしば)窮まる。中(ちゅう)を守るに如かず。”と老子は言って居るゾ。

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿