しっとう?岩田亜矢那

神戸で活躍するタレント「あやにゃ」こと岩田亜矢那さんを勝手に応援する非公認ファンサイトですか?

夜の源聖寺坂

2012年01月24日 21時07分03秒 | 近くに行きたい
久々の夜の天王寺七坂シリーズ!
(だから、そんなシリーズ、いつ始まった?)

映画「ボックス」のロケ地にもなったり近松門左衛門の「心中宵庚申」縁の地だったりする

源聖寺坂



なかなか趣ある場所なんだけど、
上の方に見えている明かりは、
残念ながらラブホのイルミネーションである。


2012ミス日本、新井宏昌オリックス2軍監督の三女・新井貴子さんがグランプリ

2012年01月24日 11時47分17秒 | ブログ
「新井貴子」と言う名前と「プロ野球」のワードだけみて
「え~、阪神の新井貴浩にこんな大きいお嬢さんがおったんや」
と思ったけど、オリックスでどんでんの下で働く新井二軍監督ね。

新井宏昌は近鉄時代に首位打者を獲ったけど
南海ホークス子供の会に入っていたきっどさんとしては
ノムさんの下で選手やってた頃の記憶が強いね。
確か、大阪球場周辺でサインもろた!
ノムさんと違ってええ人やった!

そのお嬢さんが「ミス日本グランプリ」
だけじゃあなく、昨年の2011ミス日本では
長女の新井寿枝さんが「ミス着物」に輝いているって、



新井宏昌二軍監督ってそんなにイケメンやったっけ?



渋いけど、そんな言うほどの「イケメン」ではないわな。
これは一昨年に亡くならはった奥さんがよっぽど綺麗やったんかなぁ~

東京都心の積雪で星野真理は「はなまるカフェ」に遅刻する?!

2012年01月24日 02時16分43秒 | テレビのつぼ
いつも言ってるけど
「報道ステーション」を始め、全国ネットのニュース番組で
東京ローカルの積雪の報道をトップニュース扱いで流すのは如何なものか?
そんな情報は東京ローカル枠で流しなさい。
「全国的に寒い日が続きます」なんて言うが
沖縄でもそうか?
同じ東京都でも小笠原諸島は?
反対に豪雪地帯の新潟では毎日のように雪が降ってるし
Yahoo!天気を見たら、単なる「雪」予報ではなく
「乾雪」「湿雪」「みぞれ」とバラエティに富んでるし。

でもこの雪で、明朝東京ローカルの交通網が乱れるのは必至のようで
あの星野真理でさえ自らのブログで

しかし外は雪。
すでに積もっていますね。
時間までに到着できるよう、早めに起きなくては。
いかに長く眠るかが重要な私にとっては苦渋の選択ですが、
お仕事のため、頑張ります。

皆様の足にも影響があるかもしれませんね。
どうぞ余裕を持って、安全にお過ごしください!

と心配している。
って何時に起きるつもり?
この記事がUpされたのが
22:36:37
いったい何時間眠るのが理想なの??

意味がわかると怖いコピペ691 「人道的な祖父」

2012年01月24日 01時35分21秒 | 意味がわかると怖いコピペ
祖父は第二次世界大戦中、日本軍の戦闘機パイロットだった。
なかなかの腕前だったらしいが、いくら敵とは言え人を殺すのが嫌だという軍人らしくない心優しい男だった。

とは言っても国家の命運をかけた戦争中だ。
敵機を見つけたら撃墜するのが任務。
敵機を撃つ際は操縦席を狙わずに翼やプロペラを狙い、
敵パイロットがパラシュートで脱出して助かるようにしていたそうだ。

特に思い出に残っているのは1945年に小笠原諸島の上空で米軍機と激しい戦闘をした事だという。
しかしそこは歴戦の凄腕パイロット。激戦の末、敵機を撃墜した。

敵パイロットが脱出するのを見届け、
「よし、下には小笠原諸島がある。奴は父島あたりに着地できるだろう」
と安堵して基地に帰還した。

それから数ヶ月してついに戦争が終わった。
終戦後に自分の記憶と米軍側の資料を照らし合わせ、撃墜した敵パイロットの生死を調査したらしい。

どうやら全員がまだ存命という事で、祖父は味方はもちろん敵ですら誰一人として殺す事なく戦争を戦い抜いたんだ。
戦後は家族を作り幸せに暮らし、1987年に孫である俺も誕生した。

ここまでは俺が去年父から伝え聞いた話だ。しかし俺は知っている。
しばらく前に祖父が涙を流しながら俺に話してくれた事がある。

俺が4歳になる頃、祖父は俺にこう言った。
「ワシは人殺しだ。たくさんの人を殺してしまった。何百人も、何千人もな。
血気の盛んな戦友でも殺した敵は10人にも満たないというのに…」

しばらくして俺が16歳の時に再び祖父は言った。
「やっぱりワシはとんでもない人殺しだったんじゃ。
罪もない人間を、何千人も、何万人も殺してしまった。
どれだけの家族が今も、そしてこれからも苦しんでいくのだろう…」

父から聞いた祖父のエピソードは間違いなく事実だ。
しかし、あの心優しい祖父が嘘をついてたとは思えない。

俺は24歳になって大学院で第二次世界大戦史を研究している。
そしてたった今読んでいた本のおかげで、あの時の祖父の言葉の意味が理解できた。
涙が止まらない。