皆さんは時代劇や浪曲などに登場する「森の石松」をご存知でしょうか。
天宮神社で舞楽十二段が奉納された日に、この天宮神社の境内で迷子
になった7、8歳の森の石松が、森の五郎親分に拾われて、
神社門前の旅館新屋の養子になったと伝えられています。
成長した森の石松は、幕末から明治時代にかけて東海道一の大親分
と呼ばれた、清水次郎長の子分となりました。
それでは前回引き続き天宮神社十二段舞楽より、
七番「安摩」(あま)
紙の仮面に巻纓の冠を被り狩衣に笏を持って舞います。
楽器は太鼓と鉦鼓で、唱歌により拍子をとって舞います。
本来二人舞ですがが天宮神社では一人舞でした。
八番「二の舞」
安摩の答舞で、安摩に引き継いて舞います。
番舞(つがいまい)で翁媼(爺さん婆さん)が安摩の真似をコミカル
に演じます。
九番「陵王」
中国南北朝の時代、華北で北周と覇を競った北斉の蘭陵王の舞いです。
蘭陵王は美しすぎて兵士の士気を下げてしまうため仮面をつけて戦った
と伝えられています。
ちなみにドラマ「蘭陵王」は現在無料動画GYAOで配信中です。
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何とも表情豊かなお面ですね~
演じてる人、思わず笑ってしまいそう?(笑)
動きもコミカルなんでしょうか?
二の舞では安摩の真似をする爺さん婆さんがかなりコミカル
な演技をしました。
諺の「二の舞を演じる」は
前の人と同じ失敗をくり返すことのたとえ。
「安摩」の舞の次に演じられる舞で、咲面をつけた老爺と腫面
をつけた老婆が、わざと失敗しながら安摩を演じる滑稽な舞の
ことに由来するそうです。
略して「二の舞」ともいいます。
二の舞の滑稽なお面とコミカルな舞は
諺の「二の舞を演じる」に繋がったのですね~
蘭陵王 それほどハンサムだったのですね。 日本ででしたらハンサムでしたら
それで人心を掴んで抜きんでることもできたでしょうに。
源氏物語の「光源氏のように」ネ。
清水次郎長の子分の森の石松は
知っていますが生い立ちは
知りませんでした。
父や祖母が時代劇好きでしたので
子どもの頃から時代劇はよく観ていましたが
森の石松の非業の死は衝撃的で
見たくないシーンでした。
清水の次郎長は誰からも慕われて肝も据わった長にふさわしい人物のようで預けたいと思われる方も多かったのでしょうか
生い立ちを知ったらそのまま旅館を継がれていたほうが良かったのになと思いました。
表情がうかがえる良いお面ですね
こちらも素晴らしい舞で見入ってしまいそうです。
実は飲兵衛もこの時まで、この舞からから「二の舞を演じる」の
諺ができたことは知りませんでした。
蘭陵王の「美し過ぎて・・・」をみて、同じく美男子に生まれた定め、
他人事では無いと飲兵衛つくづく同情いたものです。
でもこのこと女房殿言うと又馬鹿にされので黙っています。
もうトホホホなんだから。
(涙・・・)
天宮神社一二段舞楽~、
実に、見ごたえのある舞の数々ですね~!
フォトだけでも、素晴らしいのですが、飲兵衛様も、お姉ちゃん・・・じゃなくても、
これなら、熱心に、撮影しちゃいますよね~(^-^)♫
「二の舞」も、面白そうで、
実際に、見に行ってみたいと思わされましたよ~(^-^)b
蘭陵王は、どんな美形な方だったんでしょうね~(^-^)♫
被り物と、お面が、独特で、インパクトあります!
冒頭の、森の石松さんの、おいたちのエピソード~、興味深く読ませていただきました~♪
森の石松は次郎長の命で四国の金比羅様にお礼参りに出かけた
帰路、現在の浜松市北区小松で都田の吉兵衛の騙まし討ち遭い
切られて亡くなりました。
現在石松の墓が森町の大洞院にありますが、
この墓の欠片を持つとギャンブルに勝つと評判になり、墓石を
欠かす人が絶えず、とうとう立て直し。
ところがこの立て直した二代目の墓は何と墓ごとそっくり盗まれ、
現在の墓は三代目になるるというから驚きですね。
十二段舞楽には色々な表情の面が使われていて、伝統を感じました。
十二段舞楽なかなか見応えがありました。
飲兵衛やはり風景やお花ちゃん達の様な「静物」よりこうした
「動き物」を撮るのが好き(下手の横好き)なんですね。
滑稽舞の「二の舞」は和みますね~。
ところで「蘭陵王」は中国では美男子の代名詞だそうです。
ちなみに浜松では「浜松屋飲兵衛」が美男子の代名詞!
えっ?そんなバナナって
もうトホホホだよん。
これらの舞は、ビジュアル的に、
よく知らない人でも、かなり惹き込まれますね~。
現に、私、すごく、
着用のお面や、お着物に、目が行っちゃってますね~。
・・・で、記事冒頭の、「安摩」で着用のお面が、気になるんですが、
他のお面と、素材が違って、
何だか、薄っぺらい感じがしますが、
紙でできているのでしょうか~?
「安摩」のお面は紙ですね。
この「安摩」と次の「二の舞」が一体の舞になって演じられて
いました。
稚児舞はお面を被らないのですが、大人の舞は全て面をつけて
いました。
5月に同じく森町の小国神社でほぼ同じ内容の十二段舞楽が
奉納されますが、面や衣装などが微妙に違っているようです。