4月3日(土)、浜松市の東隣、周智郡森町・天宮(あめのみや)神社で
十二段舞楽(国指定重要無形民族文化財)が行われました。
森町には当・天宮神社の十二段舞楽の他、小国神社の十二段舞楽、山名
神社の八段舞楽と三つの舞楽が国の重要無形民族文化財に指定されています。
人口約1万人の小さな町に三つもの国指定重要無形民族文化財が存在する事
は本当に素晴らしいことです。
ところで天宮神社の十二段舞楽はネットでは午後の3時半始まりと記載され
ていましたが、実際は2時間早く1時半から始まり、
飲兵衛が着いた時にはすでに4番までが終了していました。
それでは
五番「太平楽」(たいへいらく)
乱世を正すというめでたい舞です。
俗に”太刀舞”と呼ばれ、子供4人鳥兜に裲襠装束で勇壮華麗に舞います。
舞の最後に一人残り「太刀の一人舞」を演じます。
この「太刀の一人舞」は京都では既に消滅した古式の舞で、ここ森町の天宮神社と
小国神社に奇しくも継承されていた希少な舞いです。
両神社の十二段舞楽が国の重要無形民族文化財に指定された所以であります。
続いて
六番「新靺鞨」(しんまか)
舞人は子供4人で樺色の布衣を着けて舞います。
渤海の靺鞨国の儀礼をあらわした舞とされます。
小さな町に重要無形民俗文化財が3つも
あるなんて素晴らしいことですね。
地域の方たちの保存に対する情熱がシッカリしているからこその賜物かと思います。
お子さんたちの演舞素晴らしいです。
飲兵衛さんのカメラの腕で見事に生き生きと綺麗に撮れています。
こう言う伝統的なものは
一度途絶えると,中々復活するのは大変だと思います。
後世までまでつなげていってほしいですね~
今の時代、益々難しくなってるとは思いますが。
若い世代がやられてるのは素晴らしいですね~
天宮神社と小国神社の十二段舞楽は共に太平楽の
「太刀の一人舞い」が、
山名神社の八段舞楽は「蟷螂(かまきり)の舞い」
という既に京都の神社では失われてしまったしまった
古い形式の舞いが伝承されていました。
実に素晴らしいことだと思います。
ところでこの舞楽の行われる奉納殿の床はかなり高い
ため、脚立に乗らないと写真が撮れません。
以前は脚立の一番上に乗って撮っていましたが、
今はもう歳で少し上っただけで・・・
もうトホホホです。
本家京都の祇園蔡で既に失われてしまった古い舞いが
こうして田舎の神社で継承されていたことには:感慨深い
ものありますね。
これからも絶えることなく継承されていって欲しいものです。
ちなみに4月最初の土日は飲兵衛の地元浜松では「姫様道中」
が行われていたので、こちら天宮神社例大蔡に来たのは
ほぼ十年ぶりになりました。
十二段舞楽が行われて良かったですね。
お写真も、全部素敵!
さすが!浜松屋飲兵衛!
様子がよくわかります(^^)
踊っているのは子供さん達⁉︎
このような感じのものは、なかなかみられなくなりましたね💦
十二段舞楽は世の平穏を神様に祈願する舞い。
コロナ収束の祈願のためにも行われた様です。
舞楽奉納殿の床は飲兵衛の頭ぐらいの高さのため、
脚立に乗って撮りました。
もう歳のため足元が危なげでヒヤヒヤしました。
舞楽の前半は子供達の舞いで、後半は大人の舞いが
大半と云うところでした。
これからも末永く継承されて欲しいですね。
浜松市の隣の、周智郡森町知らなかったです。
小さな町に、三つもの国指定重要無形民族文化財が存在するなんてすごいですね~。
永らく伝承していってほしいです。
このあと、足で床をドンてするのかな?と思う、臨場感のある画像です。
周智郡森町(遠州森町)は江戸時代、信州と遠州をつなぐ
秋葉街道の中間地として大いに賑わったそうです。
当時は大店が軒を連ね、、祭礼やそれに伴う伝統文化の保護に熱心
だったと推測されます。
ところで足で床をドンしたかどうか?
古い奉納殿なのであまり強くドンすると床が壊れるかも?なんて。
そんなバナナ!
天宮神社の十二段舞楽~、貴重な伝統芸ですね~💖
「太平楽」~、乱世を正すというめでたい舞は、キリッとした表情で、堂々たる姿に、美しさ感じますね。
化粧は、男子と女子で、頬のところが、特徴的ですね。
この先も、ずっと、絶やす事無く、受け継がれて行っていただきたいですね~♪
十二段舞楽の中で5番の「太平楽」が最も華やかで人気の舞い
のようですね。
十二段舞楽を演じているのは全員男子で、女子は本殿で巫女舞い
を奉納していました。
小学校低学年のお嬢さん達4人が「乙女の舞い」小学校高学年の
お嬢さん達2名が「浦安の舞い」を演じていました。
部外者の飲兵衛、本殿での撮影は遠慮しました。
森町の舞楽がこれからも途絶えることなく継承されることを
期待しています。