飲兵衛の酔写アルバムPartⅡ

毎週1回月曜日に更新します

浜松博物館

2021-01-28 00:00:01 | その他

今回は1月24日(日)に訪れました浜松博物館をご紹介
いたします。

 

 

博物館に入館すると真っ先にナウマンゾウの骨格模型が
目に飛び込んできました。
ナウマンゾウは50万年前の日本に生息していた大型の像で、
1921年(大正10年)には浜名湖北岸の工事現場
でその一部の
化石が発見され、ナウマンゾウと名づけられました。

ナウマンゾウの手前の標識の「浜北人」は、
浜北市(現浜松市浜北区)岩水寺採石場・根堅洞窟で発見された
旧石器時代人です。

 

 

 

 

 

 

こちらは蜆塚公園で公開している貝塚の断面に樹脂を固めて
はがしたものです。

飲兵衛子供の頃は、塚遺跡の人達は余程の貝好きなんだなと
感心していましたが、
縄文時代ここ蜆塚の地は、当時重要な蛋白源だった干し貝の
一大生産地だったのです。
ここで生産された干し貝は物々交換により広く各地に出回った
と考えらます。
縄文時代は貨幣こそ無いものの、活発に分業・物流が行われ、
想像以上に豊かな社会だったと考えられております。

 

 

縄文土器は約1万5千年前から2千年前までの縄文時代に造ら
れた土器です。
かって縄文土器は世界最古の土器ではと考えられいましたが、
その後中国・江西省で出土した土器が約2万年前の世界最古の
の土器と呼ばれるようになりました。

石器の発明により人類への道を歩みだした我々の祖先は、土器の
発明に
より食生活を飛躍的に向上させ、文明への道を歩み始めました。

 

 

こちらは弥生時代後期、
岡の平遺跡より出土した木製農具のレプリカです。

 

 


弥生時代になると青銅器が登場します。
愛知県東部(三河)から静岡県西部(遠州)にかけて分布している
三遠銅鐸です。
これらの銅鐸は祭祀に使われたものと推測されています。

都田川東岸から三方原台地へ続く山の斜面から大量に出土され、
その地域は考古学オタクからは銅鐸銀座とも呼ばれています。

 

 


更に古墳時代なると、
こちらの三角縁神獣鏡が各地の古墳から多数出土する様になります。
かっては、卑弥呼が魏より賜った魏鏡ではないかと思われていましたが、
肝心の中国ではこの三角縁神獣鏡は一枚も出土せず、
どうやら日本国内(近畿)で製造されたのではないかと考えられて
います。

 

 

更に時代は進んで奈良時代。
浜松市伊場には国の出先機関が置かれました。
その伊場遺跡から出土した木簡は当時を知る重要な資料と
として注目を集めました。
(残念ながら展示品はレプリカです)

 

 

平安、鎌倉、室町時代を跳び越して戦国時代後期、
徳川家康公の立体しかみ像です。
三方ヶ原の合戦で武田に敗れた家康公が自戒のために自身の姿を
描かせたと云われています。
浜松市がそのしかみ画像を元に製作した立体像です。

 

最後に、
浜松博物館の展示品は大多数が、精巧に作られてはいますが、レプリカで

ある点が残念でした。

 

 



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (一年生)
2021-01-28 00:30:33
こんばんは

この頃の人から現代までは

何回も疫病が流行り、当時の人には

祈るしかない時代がほとんどだったんでしょうね~

少なくとこの位のウィルスでは何の心配もないと思いますけどね~?

ここまで騒いで経済止められると、人災で

大変なことになりそうです。

数年後には今度はほんとに怖いウィルス

出現するかもしれませんが?
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Unknown (浜松屋飲兵衛)
2021-01-28 06:02:24
一年生さん~お早うございます。

日本史上有名な疫病は、安土桃山時代の梅毒、江戸時代の
コレラや天然痘などでしょうか?
いずれも海外から菌やウイルスが持ち込まれたと考えられて
います。

医学の進歩した現代でも今回のコロナの様なパンデミックが
起きるとは想像できませんでした。
やはり中国が撒き散らした人災か?と疑いたくなります。
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Unknown (ビオラ)
2021-01-28 11:35:04
今日は~。

博物館で、歴史の旅を楽しまれて来たのですね~♡
昔々、まだ、土器が、発明されていなかった頃は、煮炊きに、苦労があっただろうな~なんて、感じました~。
生きる為に、飲み食いの必要があって、
そんなところから、発明されたのでしょうね~。
石や木々で、囲ったり色々、水が漏れない工夫をしながら、煮炊きしている間に、ある時突然、閃きがあって、
土器が、発明されたのでしょうかね~?(^-^)♬

そして、農具も同じように、生きる為に必要な作物を、育てる為に、
不便さ感じ、考えを巡らし、発明されたのでしょうね~。

生きる為に必要な、衣食住に関わる事が、きっかけで、0から次々と進化していったんですね~。

レプリカは、確かに残念ですが、
イメージとしては、とらえやすくて、ありがたいですね~。

ただし・・・、本物を見た時の、
ゾクッとするほどの、感覚にはなりませんが~(^-^)♬

色々拝見できまして、
お勉強になりました~(^O^)/
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縄文文化 (浜松屋飲兵衛)
2021-01-28 12:49:35
ビオラさん~今日は。

縄文土器の歴史は古く、今でこそ中国・江西省で出土した土器
が世界最古の土器と呼ばれていますが、縄文土器は同じ文明圏に属し、
ほぼ同時期に発明・発展したたと考えられています。
当時メソポタミアやエジプトでは未だ土器は造られていず、
いかに縄文文化が先端文明であったがお分かりいただけると思います。

また縄文時代は稲作と貨幣こそ無いものの、広く物流が行われ、縄文人
は我々の想像以上に豊かな生活を送っていた事が、近年の研究で明らか
になってきました。

飲兵衛、グローバルを信条としていますが、日本にかって世界一の文明
が栄えた事はとてとても名誉な事だと思います。
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浜松博物館 (いちごみるく)
2021-01-29 08:34:35
おはようございます。

どのお品も歴史を積んだ
貴重なものばかりですね

大昔の象と云えばマンモスを思い浮かべてしまいますが日本には大型のナウマンゾウという種類の象が生息していたのですね♪
長い間この像の存在は知られていなかったのですね


徳川家康公の立体しかみ像も特徴をよくとらえられていますね

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浜松博物館 (浜松屋飲兵衛)
2021-01-29 08:51:15
いちごみるくさん~お早うございます。

かって日本に生息していたこの巨大な象がナウマンゾウと名付け
られたのは、大正10年に浜名湖北部で出土した像の化石が最初
でした。
その骨格を性格に復元した模型はなかなか迫力があいました。

その手前に本土で出土した人骨では最古と考えられる旧石器人
「浜北人」の骨片が展示されていたのですが、写真を撮り忘れて
しまいました。(残念)

「家康公しかみ画像」の本物は名古屋の徳川美術館に展示されて
います。
こちらはそれを元に立体像として浜松市が復元したものでした。
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