すけさんの釣り日記

生月島に住みながら、釣りを楽しんでいます。

油絵を描いています。

2014年11月28日 | 海釣り
宮崎に帰って以来たまに魚釣りには行きますが、畑仕事以外ほとんどする事がありません。
もちろんたまには義母の介護のお手伝いや毎日の犬の散歩などの日課はありますが普段は暇を持て余しているのです。

これでは私が認知症になりそうだと、脳を少しでも刺激するには手先を動かす事も良いと聞き絵を描くことを再開した次第です。
島に行く前通っていた絵画教室で再び油絵を習う事にしました。

先生は勿論仲間達の中には個展を開くほどの上手な方がおられます。
そんな仲間の製作の様子を見るにつけ私も俄然意欲が湧いてきました。
風景画は苦手な私はまず愛犬「マロン」を描いたのですが、もう少し大きな作品にも取り掛かりたくなったのです。

海が見える生月島の放牧場の風景を取り入れて牛たちの様子を描く事にしました。
キャンバスは掲示板に使っていたものを利用したので変形ですが、120x100cmでF50号よりやや大きめでしょうか。
下塗りを始めて約二か月、どうにか完成に近づいてきました。

夕暮れ時の牧場の様子を描いたつもりですが、黒牛の親子たちをただ黒く描くのも面白くないので少しづつ色合いを代えてみました。
島の草原の向こうに見える海を描くのに苦労しました。
海が下に見える高台にある放牧場をどう表現すればよいのか悩んだのです。

何度も描いては塗り直すのを繰り返しましたが、どうにか完成に近づくことが出来ました。
あと少しこうしたらさらに良くなるかもと皆さんのお知恵がありましたらお借りしたいですね。
油絵では何度でも後で描き直せるので私には助かっています。

同窓会をやりました。

2014年11月26日 | 海釣り
最近はいろんな同窓会があっているのだが、一番気が合い嬉しいのがやはり大学の部活で文字通り寝食を共にした同窓の仲間達との集まりですね。

馬術部というのは本当に大変なところで、その頃は朝早くから夜遅くまで馬の飼いつけの為のリヤカーを引いての草刈りや餌代稼ぎのアルバイトなど勉学そっちのけで働かされたのです。
その為入学時には沢山いた同学年の仲間も当然四年間続けたのは僅かの六名になってました。

それだからこそ今でも毎年のように集まり、友好を分かち合っています。
今年は私が幹事となり宮崎で行う事となり、連休の土曜日に私の地元で楽しく集いました。
次の日は地元の酒蔵見学(百年の孤独と言う焼酎で有名な蔵です)、その後高千穂まで走り夕食後は高千穂神社での夜神楽を楽しみました。

天岩戸を開ける為の神々たちの苦労などが物語風に神楽にしてあり、夜を徹して舞い続けられるのです。
もちろん十数時間の舞いをすべては観れませんが、大勢の観客と共に楽しめましたよ。
気の合う仲間達との楽しい二日間でした。

今日は朝のうちに友人たちと別れ、ひとり高速バスに乗り生月島までやって来ました。
最後の引っ越しで運べなかった私の釣り用の軽自動車を宮崎に持ち帰る為です。
出来れば島で少しばかり釣りも楽しみたかったのですが、私の心がけが悪かったのか、明日からは雨も降り荒れ模様とか。

残念ですが諦めて明日はゆっくり安全運転で宮崎に帰る事にします。
もうこれからも島で釣りを楽しむことが出来るかな~。
せめて来年の春頃にはもう一度訪ねて来たいものです。

義母の介護

2014年11月18日 | 海釣り
義弟たちの隣に一人で生活していた義母はこのところ認知症が進み自分の居場所も理解できなくなっているようです。
一週間前より足の傷から感染が起こり腫れて熱発し入院する事になりました。
環境の変化に意識がついて行けずに興奮状態の為24時間の付添いが必要となりました。

義弟の事情もあり女房が泊まり込みで付添いをしていましたが、流石に連日は厳しいようです。
今日は昼間を私が代わる事にしたのです。

認知症とは言え実子である女房だけは判るらしく、わがまま言って困らせていたみたいですが・・・。
最初にきちんと私の事を説明し理解した(?)はずでしたが、女房が居なくなるとやはり不安になったようです。
私にしきりと他人行儀な言葉で話しかけてきますが、その言葉は意味不明で聞き取れません。

お互いがちんぷんかんぷんな会話を繰り返しています。
義母も何度も同じことを聞き返すのですが、どう対処して良いのか判りません。
女房が家に帰った時いつも愚痴ってましたが、その気持ちが少しは理解できましたよ。

今看護師さんがお風呂に連れて行ってくれてます。
どうにか落ち着いた時間が取れました。
ホントたった半日もならないのにもう介護に悲鳴を上げているようではどうにもなりませんね。

そのうち私もたどる道。
子供たちに迷惑かけない様ポックリ逝けると良いな~などとしんみり考えさせられました。

大漁でも大変ですね。

2014年11月16日 | 海釣り
今朝は久しぶりに釣り友の船で日向灘へと出港しました。
朝六時過ぎ、ようやく明るさを増した河口は干潮で浅くなってはいましたが、波もなくなんとか無事スクリューを擦ることなく出る事が出来ました。

今日のポイントは何と河口からすぐの水深7mライン、きわめて浅場ですが良い魚影を捉えたのです。
錨を入れて船が安定するとすぐに餌を撒きます。
数投の撒き餌ですぐに良型の鰺が釣れました。

その後は休みなしの当たりです。
アジゴ混じりで中鯵から大鯵まで釣れ続けます。
ただ不思議な事に大鯵は必ずサビキの上の方に来るのです。
仕掛けを底に這わすとまずアジゴが鈴なりとなり良型は釣れません。

そしてそのアジゴに時々大物のフィッシュイーターが来るから堪りません。
なんとか巻き取ろうとするのですが、糸は出て行くばかり。
あちこち走り回り釣り友の仕掛けに絡まったり、ハリスが切れたりと散々です。
一度は大ニベの姿を見たのですが掬い損ねて逃げられてしまいました。

それならと水深7mのカウントを4mで止め、上の方で餌を撒いてみました。
これが当たりでしたね。
それからは中から大鯵のみが釣れ続けます。
ついにクーラーは満タンとなり、最後には氷を除いて入れる始末。

あまり釣り過ぎると後が大変です。
あちこち配りましたが、それでもずいぶん残っています。
小鯵は南蛮漬け用に、中鯵は干物、大鯵は三枚に卸して刺身やフライ用にと捌かねばなりません。

いつもは女房がしてくれるのですが、ここ数日義母が足を腫らし入院したので付添いの為家に居ないのです。
なんとか下処理は終えましたが疲れました~。
菜園の野菜も青梗菜・大根・ブロッコリー・山東菜など収穫期を迎えているのですが、女房が居ない為そのままになっています。
早く帰ってくれないかな~。

白菜 無残 !

2014年11月09日 | 海釣り
昨日 島の借家生活を完全に閉め宮崎に帰って来ました。
持ち船も処分したし、借りていた家も冷蔵庫などのまだ使える家具を必要とする方々に貰って頂き、粗大ごみは処分場に搬入するなどしてようやく明け渡しが済みました。

それでも車で持ち帰る荷物が結構あり、いつもは後部座席を一匹で占領しているマロンが狭すぎて窮屈そうにしていましたよ。
あとは後日暇をみて私が釣り用に使っていた軽自動車を一人で引き取りに行くのみとなりました。
その時は熊本や大分に居る同窓生を訪ねたりしながらゆっくり日数を掛けて持ち帰るつもりです。

まだ夜の明けきらない午前六時に島を離れましたので、昼過ぎには高鍋の自宅に帰り着きました。
すぐに気になっていた家庭菜園を見回ったのですが・・・。
出発前 そろそろ巻きはじめる頃かという一番綺麗に育っていた白菜がもう収穫出来るかもと期待していたのです。

他の大根や青梗菜はそのまま露地で育てているのですが、これだけは大事に虫が付かない様にと五株にネットを被せて育てていたのですから。
もうネットを突き破るほどに大きくなっている事だろうとの期待に反して、反対に小さくなり見る影もありません。
一つは根元から腐り、他もすべて無残に虫食い状態で形を留めていないのです。
定植前に土壌消毒はしたし、ネットもあるのに何処から虫は入ったのでしょう。
ガッカリです。

むしろネットを被せていない他の野菜や白菜の方が元気に大きく育っています。
山東菜や青梗菜はもう収穫できるほどに育ってますし、大根も大きく太ってました。
島からお米の他ジャガイモや玉ねぎ・サツマイモなども沢山頂いてますし、釣り溜めていた冷凍の魚は宅配便送ったのと当日獲れのヒラマサは鮮魚を頂き車で持ち帰りましたから当分喰うものには困りません。

でもこれからは島を訪れる事もほとんどなくなるのでしょうから、思い出の詰まったこれらの品は大切に味わっていこうと思っています。
島で知り合いになったオーストラリア人でALTのブレア君が再びALTに採用され今度は宮崎の延岡に来ていますが、今日彼が家まで遊びに来ることになりました。
島の思い出を語らいながら彼にも島の味を思い出させてあげようとランチを準備中です。