ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

老後の幸せについて考える

2017年04月01日 | 🐤 日記

お彼岸にムスカ大佐(夫)の実家に行ったらゼウス(義父)に言われた。

「あなたもそろそろ介護の問題について考えておいて下さい。(←聞き捨てならない!)

 あと年金ね。

 妻一人の年金では生活などできませんから、今からちゃんと年金の貰えるような

 仕事に就いておいた方がいい。老後困らないように」

 

いろいろツッコミたかったけど話をさっさと終わらせたかったので

「はーーーい、そうしまーす、考えまーす」

って答えた。

 

だってね、答えなんて多分どうでもいいのです。

覚えてやしませんし(覚えてたって構わないし)。

それよりあそこで何かを言うとゼウスの不安は増えるのです。

大丈夫ですよ、ちゃんとやってますよって言ったとしても増えるのです。

「お義父さんたちは大丈夫ですか?」

って丁寧に話を聴いたとしても、多分 ゼウスは自分で自分の不安を増やすのです。

だって、そういう考え方 感じ方の人だもの。

 

瞬時に考えたにしては、上記の答えはナイスだわ。  

少なくとも、私なかなかどうして よくやってます。

ゼウスよりは考えて生活してるつもりです。

 

それで最近、老後の幸せってなんだろう?老後の安心って何だろう?と考えました。

 

最後まで自分で自分の体を動かせることかな?

丈夫な胃腸で食べられることかな?

周りに人がいることかな?

お金があることかな?

 

でもどんなにいろんな条件を満たしていて 沢山持っていても 

「まだ何か足りない」って心配ばかりすることはあり得ることかもしれない。

 

だとしたらやっぱり

その時の自分の日々の中で、おかれた境遇で、自分が手にしているものの中で

より多くのことを幸せと思えることが一番の幸せなんじゃないかな。

 

そういう、わりとなんでも いいように感じちゃう体質というか思考であることが

老後が幸せかどうかも決めるんじゃない?

「ああ、私の人生なかなかだわ」って

ひとかけらのパンに感謝して。

 

だからやっぱり今のうちから

自分を取り巻く環境のあれこれを幸せに感じる力を身に付けたいな。

・・・いつも言ってることなんだけど

いつだって今が一番大事なんだし、保証できるのも今この瞬間だけなんだから。

 

幸せって文明のもたらした思考にすぎないのだろうけど。

そもそもこんなふうに考える暇があることこそ幸せなのかもしれないけど。