ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

自分がどこでどういう人たちと過ごすか、について

2017年04月09日 | 🐤 日記

16才の息子はその昔 3年保育の幼稚園に入園していた。

そこは3年間クラス替えがなかったのでお母さん同士の結びつきも強い(仲良しってこと)。

園バスも給食も華美な行事もなかったので

通える距離に住む人で(徒歩通園を推奨してた、歩くっていろいろ豊かなんだって)

同じような価値観の人が集まりやすかったと思う。

うちは休み休みイヤイヤ通っていたし

年長の後半の半年は完全不登園だったのだけれど

私も一応 今でもお母さん仲間の一員ではある。

 

昨日の夜、このクラス会があった。

お母さんクラス会です、子どものクラス会ではなく、ね。

ひっさーーしぶりに出席した。

自分の意思だ。

 

私たちの所属する集団とかコミュニティーは目的を持って形成されることが多いから

同じ共通点を持った人の集まりであることが多いから

幼稚園が一緒だったお母さん達が集まるということは

その場で何が話題になるかは大抵想像通りだ。

あとは年齢的にもおおよそ同世代なので 

生活環境も家族問題も健康問題も・・・大抵は想像通りだ。

 

わかってて行ったの。

ちょっと興味もあったし。

でも今回に関しては懐かしい顔に会う喜び以上のものはなかったな。

 

わが家はホームエデュケーションをしているから

そういう仲間と会えばそういう話題になるものだし

卓球のサークルに行けば卓球の話題が真ん中にある。

猫でつながってる人とは猫の話が多いし 趣味の会では趣味の話。

そうは言っても そこから別の話にも広がっていくし

個人的に仲良くなっていくとまた違ってくるんだけどね。

 

そんなのは当たり前のことなのに 

昨日のお母さんクラス会は私にはまったく物足りなくて物足りなくて

最後は退屈になってしまった。

 

今の私にとっての新鮮で刺激的な話題が出なかったの。

新しい情報もなかったし。

もっと聞きたいって思うような興味のある話もなかった。

でも他の人がこの場でしたい話ってこんな感じか~ってのがわかったから

逆にこの場では

私の話にも興味のない人はいっぱいいるかもなぁって気がついた。

 

 

とか言いつつ 行ってよかった。

多くのお母さんたちのいる環境や

その環境にいるために頑張って身につけてるあれこれや きっと犠牲にしてるあれこれや

どんな情緒で過ごしているのかがちらちらと透けて見えるようで

そんなのもただの私の主観だけど

良い悪いの問題でもなく

みんなそういう風に自分を生きてるんだなと思いました。

 

自分自身の話をする人は驚くほどいなくて

いきいきしてるのは子どもを育てるのが大変って話をしている時くらいなんだけど

要するに過去の受験とか塾とか通ってる学校がどんな学校かを話してる時のことなんだけど

家族を支えて家をまわしてるっていうのはよくわかりました。

 

昨日ここに集まったお母さん達も

もし他の目的で別の場所に集まった時には

そこでまたそれぞれがそれぞれのその場に合った話をするんだろう。

そういうもんだ。

いくつのも場所で

今日を生きて明日を支えるような何かを話の中に探しながら生きて行くんだ。

 

子どもの話だってどこでもできるわけじゃないんだから

こんな日は、この場では、心置きなく子どもや学校の話をすればいいんだよね。

私だって同じだし、それは必ずどこかでする必要があるんだから。