今日6月23日は沖縄 慰霊の日ですね。
この一冊の本をご紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e8/bce0243f1374a8d82d897e5f9b90ed4d.jpg)
「沖縄戦、
米軍占領史を
学びなおす
記憶をいかに継承するか」
屋嘉比 収さん著
昨年末、歴史は眠らない
再放送のおしらせ
にも関わってた方です。
この本の帯に書かれてある言葉です。
「耳を 傾けること
耳を 傾き続けること
耳を 傾き継ぎ続けること」
422ページにわたるこの本の中を、いっぱい紹介したいのですが、大切なことがたくさんたくさん書かれてありますので、上手く書けませんが・・・
その中から、ほんの少しですが紹介させてください。
「例年、沖縄戦が終結されたとされる6月23日の「慰霊の日」の午後、戦没者を刻銘した平和の礎の前で、次のような状景が見られる。
〈戦没者の名前を指でなぞり、祈り泣きくずれる老婆の姿〉
その周りでは、戦没者の名前の前で遺族が線香をあげながら、ごちそうの盛られた重箱とともに花やお酒が手向けられ、親、子、孫の三世代が手を合わせている」
次のページを開くと、
「かつて 平和の礎を訪れるのは「参拝」か「参観」かとの議論があった」
そうなんですね。そして、「参拝」か、「参観」かとの議論は、
「宗教的施設ではないので「参観」が適切」との菅理団体の行政側が表明されたとのことですが、
「遺族にとっては、どこで戦死したのかもわからず、遺骨さえも無い戦没者が多くいる中で、宗教的云々とは関係なく、戦没者を慰霊する行為としての「参拝」の意味合いが強いのは明らかだ」
と続きます。
すごくわかりますよね・・・。
わたしも、昨年、平和の礎へ一緒に連れていって下さった方と、その方のおじいちゃんの名前が刻銘されている前へ行きました。
「ここ ここ。 この人がそうなのよ」
と、教えて下さった名前の前で、手を合わせ、祈りました。
こんなにも多くの方が・・・と、名前が地域ごとにかかれた礎の場所、その広さにも胸がしめつけられました。
「遺骨も無くどこで戦死したかもわからないが、平和の礎に刻銘された名前の前に来ると本人に会える」という遺族の方々の発言のように、「モニュメント」ではなく、「メモリアル」として位置づけられていることがわかるだろう。」
とありました。
その一方、戦争を体験した方が減り、体験者が年々減少する中で、この著者屋嘉比収さんは、これからの沖縄について
「問題は、沖縄戦体験者側の語り手側にあるのではなく、それを継承しようとする非体験者である私たちの聞き手側にあるのではないか」
と思わざるをえないと考えていることがわかりました。
この本の中では、膨大な資料や、直接話しを聞き取り、そしてそれを文章にして残す。
さらに、その中で大切なことは何なのか・・・
がぎっしりと書かれてあります。
体験を語る人にとっては、思い出したくもないつらい体験、想いがあるけれど、
そのことを決して繰り返さないこと、事実を知っておくこと、
「本当のこと」
を、知ることもとても大切なんだと思いました。
今もなお、沖縄に住む方々は、戦争は終わっていません。
でも、前を向いて生きています。
おじいちゃん、おばあちゃんから聞ける戦争体験を、受け継ぎながらも今を生きています。
悲しい過去は消せないけれど、消す必要はない、そこからどう立ち上がってきたのか、
なにが問題だったのか
過ちを繰り返さないためにも、過去を学び、活かすことが
今をいきる私達に必要なことなのでは無いかな・・・。
この本について、書評を書かれた方がいらっしゃいましたので、ご覧下さい。
①
②
amazonにて購入もできます。
今日の新聞には、
「福島県で義援金や仮払い金を受け取った生活保護を受けていた世帯が保護費を止められた。同様の打ち切りは、水俣病の新救済策で一時金を受け取った世帯でも問題化した。」
とありました。
水俣病問題は、今も熊本では終わっていません。
「水俣病一時金と同じ対応」って・・・
国、行政側で働く方々も、とても多くの仕事があり、いろいろと決めるのも大変だと思いますが、
でも、でも・・・・・・
今、本当に一瞬たりとも無駄にできない状況の中を、
「
今 なにが 大切なのか
」
をすばやく判断しながら行動している人が、たくさんいるということを・・・・
・・・・言葉がみつからないけれど・・・・
慰霊の日の今日、
今 生きている自分が、がんばらなくちゃ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
結局は、これしかないか。
昨年6月23日の記事
この一冊の本をご紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e8/bce0243f1374a8d82d897e5f9b90ed4d.jpg)
「沖縄戦、
米軍占領史を
学びなおす
記憶をいかに継承するか」
屋嘉比 収さん著
昨年末、歴史は眠らない
再放送のおしらせ
にも関わってた方です。
この本の帯に書かれてある言葉です。
「耳を 傾けること
耳を 傾き続けること
耳を 傾き継ぎ続けること」
422ページにわたるこの本の中を、いっぱい紹介したいのですが、大切なことがたくさんたくさん書かれてありますので、上手く書けませんが・・・
その中から、ほんの少しですが紹介させてください。
「例年、沖縄戦が終結されたとされる6月23日の「慰霊の日」の午後、戦没者を刻銘した平和の礎の前で、次のような状景が見られる。
〈戦没者の名前を指でなぞり、祈り泣きくずれる老婆の姿〉
その周りでは、戦没者の名前の前で遺族が線香をあげながら、ごちそうの盛られた重箱とともに花やお酒が手向けられ、親、子、孫の三世代が手を合わせている」
次のページを開くと、
「かつて 平和の礎を訪れるのは「参拝」か「参観」かとの議論があった」
そうなんですね。そして、「参拝」か、「参観」かとの議論は、
「宗教的施設ではないので「参観」が適切」との菅理団体の行政側が表明されたとのことですが、
「遺族にとっては、どこで戦死したのかもわからず、遺骨さえも無い戦没者が多くいる中で、宗教的云々とは関係なく、戦没者を慰霊する行為としての「参拝」の意味合いが強いのは明らかだ」
と続きます。
すごくわかりますよね・・・。
わたしも、昨年、平和の礎へ一緒に連れていって下さった方と、その方のおじいちゃんの名前が刻銘されている前へ行きました。
「ここ ここ。 この人がそうなのよ」
と、教えて下さった名前の前で、手を合わせ、祈りました。
こんなにも多くの方が・・・と、名前が地域ごとにかかれた礎の場所、その広さにも胸がしめつけられました。
「遺骨も無くどこで戦死したかもわからないが、平和の礎に刻銘された名前の前に来ると本人に会える」という遺族の方々の発言のように、「モニュメント」ではなく、「メモリアル」として位置づけられていることがわかるだろう。」
とありました。
その一方、戦争を体験した方が減り、体験者が年々減少する中で、この著者屋嘉比収さんは、これからの沖縄について
「問題は、沖縄戦体験者側の語り手側にあるのではなく、それを継承しようとする非体験者である私たちの聞き手側にあるのではないか」
と思わざるをえないと考えていることがわかりました。
この本の中では、膨大な資料や、直接話しを聞き取り、そしてそれを文章にして残す。
さらに、その中で大切なことは何なのか・・・
がぎっしりと書かれてあります。
体験を語る人にとっては、思い出したくもないつらい体験、想いがあるけれど、
そのことを決して繰り返さないこと、事実を知っておくこと、
「本当のこと」
を、知ることもとても大切なんだと思いました。
今もなお、沖縄に住む方々は、戦争は終わっていません。
でも、前を向いて生きています。
おじいちゃん、おばあちゃんから聞ける戦争体験を、受け継ぎながらも今を生きています。
悲しい過去は消せないけれど、消す必要はない、そこからどう立ち上がってきたのか、
なにが問題だったのか
過ちを繰り返さないためにも、過去を学び、活かすことが
今をいきる私達に必要なことなのでは無いかな・・・。
この本について、書評を書かれた方がいらっしゃいましたので、ご覧下さい。
①
②
amazonにて購入もできます。
今日の新聞には、
「福島県で義援金や仮払い金を受け取った生活保護を受けていた世帯が保護費を止められた。同様の打ち切りは、水俣病の新救済策で一時金を受け取った世帯でも問題化した。」
とありました。
水俣病問題は、今も熊本では終わっていません。
「水俣病一時金と同じ対応」って・・・
国、行政側で働く方々も、とても多くの仕事があり、いろいろと決めるのも大変だと思いますが、
でも、でも・・・・・・
今、本当に一瞬たりとも無駄にできない状況の中を、
「
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
をすばやく判断しながら行動している人が、たくさんいるということを・・・・
・・・・言葉がみつからないけれど・・・・
慰霊の日の今日、
今 生きている自分が、がんばらなくちゃ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
結局は、これしかないか。
昨年6月23日の記事