片づけをする日々が続いています。
今日は、お店の中にある資料を置いてある部屋に雨水が入ってしまい、床が相当濡れてしまった場所を片付けていました。
床に置いてあった段ボールの中のもので処分しなくてはならないものもありますが、この場所は大半が無事でした。
床を乾燥させるには、棚ごと移動させなければならなくて・・・搬出に苦労しましたが、やっっっと半分くらい片付きました。
原稿、資料、データ、約20年分のものや、須永博士が東京から送ってきていた40~50年前の資料もあります。
今後も大切に、そして安全な場所で保管しておこうと思います。
昨日、須永博士から電話があり、
「誰もわかってくれない」という気持ちを持っていた時のことを話してくれました。
先日のブログ、
にも書きましたが、
20歳のころの須永博士は
「顔は笑っていても心で泣いている時がある
つらいことがあれば、たまってゆく。
でも、表には出さないで生きていた。
だから、だれもそんなこと知らないよね。
死のうとまで思ったことも・・・
本人の人生と、周りが見ている自分の人生とは違うからね。
表を見てるのと、中身を知っているのと違うように。」
と、その時は聞きましたが、昨日の電話では、そのころ思っていたことを教えてくれました。
「あの頃の自分は、❝ 生きること ❞ を知りたかったんだ。
生きるって何なんだろう、
本当の生きることってどういうことなんだろう
それを誰かに教えてもらいたかった。
だけど、そういう人が誰もいなかった。
苦しかった。
でも、それは表には出さずに生きていた。
幼いころからの友達に会うこともあったが、その時には普通に明るい自分だったしね。
友達同士の話はしていたけれど・・・
きっと、今の若い人や子供たちも 真剣にどうやって生きていったらいいんだろうと考える時があると思う。
自分の生きて行くことを知りたいと悩むこともあるだろう。
そんな時に、想いを受け入れてくれる人、的確に指示してくれる人が近くにいてくれたらいいよね・・・」
と、自分自身に置き換えて話していました。
その話を聞いた翌日の今日
片付けていた中から、須永博士24歳のころのノートがありました。
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