今日は、雨は止む予報ではありましたが・・・
昨日の雨も激しかったので、朝起きて空が晴れていた時にはホッとしました
緑が濃くなってきています。たくさんの雨を吸い込んだ大地・・・植物たちは、成長期ですね。
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昨日、須永博士が抱いた、「もっと心を込めた詩を書きたい」「心やすらぐ詩を書きたい」との想い・・・
須永博士は、今も丸坊主で、その時の想いを忘れることなく生きています。
昨日紹介したのは、自費出版で作っていた「小さな夢の詩集」ですが、1987年に七賢出版という出版社さんから、それまで発行していたものを10冊に再編集し発売した「小さな夢の詩集」があります。(その後、11~16巻まで発行)
この時にどういう経緯で作られたのかも昨日聞いてみました。
すると、当時本を作ってもらっていた名古屋の印刷会社クイックスさんと、出版していたエフエー出版さんがよく展覧会場にも足を運んでいてくださり、展覧会が終わり食事を一緒にする機会もあったそうです。
そんな中で,七賢出版で当時編集長をしていた方が、須永博士がホテルに帰ってくるのを待っていて、「うちで本を出版させてください。」と。須永博士は、あまりその気はなく、いい返事もしなかったけれど、それが何度も続き・・・じゃあ、作りましょうかということで、それまで自費出版で発行し在庫が無くなれば絶版だった「小さな夢の詩集」の1~20集を再編集して10冊にまとめて発行したそうです。
わたしが、今手元にある自費出版の「小さな夢の詩集」と、再編集した七賢出版発行の「小さな夢の詩集」を読み比べていると、中に入っている詩も自費出版で入っていたもの、新しいものが入り混じっていますが、大きな違いは、前書きと、あとがきのメッセージです。
詩集なので、文章的なものがあるのはこの前書きとあとがきのみなのですが、このメッセージがものすごく心をうたれるというか・・・読んでいると涙があふれてくるんですよね・・・
1~20集、いまでは貴重な、幻のような自費出版の小さな夢の詩集の中から今日は、昭和49年(1974年)発行の第4集の前書きとあとがきを紹介します。
なみだがなみだがあふれて、さきほどからとまらないのです。
なんのとりえもないわたしが、たったひとつ旅をすることだけを生きがいに、行きつくところまでこられられるところまで歩いてきたのです。
そして人のあたたかさを知り、自然の大きさを知り、ささやかだけれど自分なりの道を人生を歩いてきたと感じるのです。
いまわたしのひとつの旅が終わりをつげようとしています。
凍りついた北の果て稚内の町におり立ち、まだ陽もあけぬ道を歩くとき、今日までのことが想い出が旅が心をあつくさせ、涙を雪の中へと落とさせるのです。
力を持つことだけが人間ではない、
強く生きることだけが人間ではない、
誰にもかえりみられずとも、自分なりにふさわしい心と求める道を持って生きて行けばいいのではないかと思うのです。
夜が明けたら、船にのり黒い荒海を礼文島に渡ります。北の果ての行きづまりのところで、わたしの人生をひとくぎりつけようと思うのです。
わたしのめぐり逢うあなた、自然、元気でいてください。
ありのままの姿でいて下さい。
必ずふるさとへ帰ります。
心をさいて詩をつくります。
須永博士
東京下町の片すみで、いま第4集 ”ひとりぼっちの愛の詩”の原稿を書いています。
夜も更け人通りもなくなりました。静かです。
そんな中で、わたしはひとつひとつの詩の中から旅の思い出をめぐり逢った人達のことをおもいめぐらしています。
うそいつわりなく、よく今日まで生きてこられたと思います。旅先で泊まる宿もなく一晩中歩いたこともありました。
あるときは、旅の疲れから汽車の中で意識が遠くなるようなこともありました。
随分とあぶないことに出合いました。
でも、いまこうして生きています。
もしあのとき生命をなくしていたらと思うと、頑張らなければと思うのです。
自分の心に゛これぞ“と思うものがあったら、仕事でも恋愛でも一生懸命やるのがいいのではないかと思います。
頑張ってください。
想い出を沢山作って下さい。
あなた自身の人生を歩いて行くように願っています。
この第4集の詩集を読んでいただきありがとうございました。
須永博士
この前書きにも書いてあるように、稚内から船にのり、礼文島へ・・・この時、とっても大変な思いをしたそうです。
それから37年後の2011年、須永博士は講演会で礼文島を訪れました。
あの日、たった場所と同じ場所へ・・・ 1974年2月の礼文島にて
2011年7月23日の礼文島にて
この時、私も一緒に礼文島へ行かせてもらったのですが、この場所に向かう時の須永博士の感動が伝わってきて、37年前にタイムスリップ、そして37年前の須永博士にこの姿を教えることが出来たなら…なんて考えたりもしました。
1974年2月の礼文島、雪で真っ白。
この時は大変な思いをしたそうです。
人間詩集にその詩が載っています。
「北海道 礼文島
厳冬の礼文島です
二月の礼文島です
考えが甘すぎました
いま着いたばかりの
波止場に横たわっています
稚内からの船は
木の葉のように揺れました
慣れた地元の人は
みんな船の中で寝ていました
わたしはデッキで
波しぶきをあびて
手すりにしがみついて
やっとここまで来ました
知らないというのは恐ろしいです
島の人が言うには
天候によって 次はいつ
船がでるかわからないとのことです
バスも宿もほとんど無いと言われました
帰りの船で
もどった方がいいと言われました
わたしはふらつく足で
乗ってきた船にへたり込みました
みんなわたしが悪いのです」
冬の礼文島に、ほぼ下調べなしで船に乗って向かうなんて、無謀なことだったのでしょうが・・・それもまた、今となれば良い経験ですね。
旅の中でいろいろな経験をしながら、その時その時に感じたことを書き留めて、詩集を作ってきた須永博士の人生・・・
また続きを書きます。