郷が杜備忘録

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「島貫兵太夫伝」を読む(その7)

2022-11-21 | 読書・「島貫兵太夫伝」

日本力行会の創立

(1) 苦学部の創設

      明治30年(1897)、彼の年来の希望は、全東洋、全日本の霊肉救済にあった。

  しかし、救貧問題の範囲は甚だ広大であるので、その一部で彼自身の境遇にも近く、その内情にも

    よく通じている、苦学生救済事業を開始しようと「苦学部」を設置した。

  彼は苦学生救助会を「東京労働会」と名付け開始した。その後、仙台から苦情があったので「東京

 精励会」と改称した。

  教会収入のみでは維持が困難となり、賛助会員を募ることとした。そして「慈善新報」を発行して 

    賛助会員に会務報告をした。

(2) 渡米部の創設

   計画が思うように運ばない中、新しい救済方法を考えようと、アメリカの苦学生の実態を調べるこ

 ととなった。これが島貫第1回の渡米である。明治30年11月から明治31年5月23日まで、約

 半年間の視察旅行であった。

   そこで学んだことは、

   ① 行きの船中で見た日本人のハワイ移民客の風紀の乱れで、この経験をもとに「日本力行会渡

    米会員規程」をつくることになる。

   ② 各大学の苦学生の状態、各種慈善事業の実情を視察した結果、

    ・日本の苦学生を苦学せしむるには米国に行かしむるに限ること。

    ・霊肉救済は20世紀以後の大勢やむを得ぬキリスト教の伝道法である。

    ・すべての事業は事務的に運ばねばならぬ。

   帰国後、「東京精励会」を「東京造士会」と改称、苦学生の渡米に取り組み始めた。

   新聞雑誌に苦学生の渡米の有利なことを発表したり、造士会で講演したり、神田教会で

   渡米質問会を設けたりした。パンフレット「実地渡米」も発行している。

   このようにして彼のもとに集まってきた青年たちの中から、一人、二人、三人と渡米者が

   でてきて、彼らから渡米後の状況が報告されてくる。こうした報告が親戚知友にもたらさ

   れると、渡米者の兄弟や友人が造士会を訪ねてくるようになる。

   その後一般の渡米希望者まで訪ねてくるようになった。普通の学生や紳士方の訪問を受け、

   知ってる限りのことを話してやる。宣伝もしないのに会員が増加し、事務も多忙となった。

   そこで「渡米部」を設けて、「苦学部」と区別して仕事を始めた。

 

 明治33年(1900年)9月、事務所を小石川原町に移した。

 東京造士会を「日本力行会」と改称した。

 機関誌「力行」(月刊、「力行世界」の前身)を発行した。

 「日本力行会憲法」5条を定めた。

 1名称、2目的、3事業、4規則、5会員である。   

 

 

 

 

 

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