安倍さん、菅さんの時代から、そのような状況になり、岸田さんによりさらに心配になってきた。
安倍さん、菅さんの時代から、そのような状況になり、岸田さんによりさらに心配になってきた。
しばらくぶりに小説を読み始めた。
原田マハさんは、以前から読んでみたかった。1冊は過去に読んでいるが。
この本は、西洋美術に関する小説である。
美術は小、中学校で学んで、作品とか画家など知っている名前が多い。
内容は戦前に松方幸次郎が収集した美術(松方コレクション)を戦後日本が取り戻す過程を描いたものである。
そして、この松方コレクションを収容する場所として、上野にある「国立西洋美術館」作られたということであった。
最初にこの題名を見たとき「タブロー」とは何かがよくわからなかった。
読み進むうちに「絵画」であることが分かったが、さらに別の美術解説本で、ダヴィンチの時代に壁画と区別されて
「タブロー」と呼ばれたということであった。
話は、戦後と戦前を行き来しながら話が進んでゆく。
松方幸次郎とは誰れかや、なぜ西洋絵画を収集することになったのか、1920年代に収集した絵画はどのようにしてパリでの戦中を
免れたか、フランス政府に接収されたコレクションがどのようにして「寄贈返還」されることになったのか、
その間に、パリの街の中やルーブル美術館、いろいろな通りや建物、画家や画商たちなどが描かれている。
私も一度だけ行ったことがあるパリの街を思い出しながら、そして地図や美術品の関係本などを見ながら、読み進め楽しむことができた。
下の本は、かつて購入したルーブル美術館の所蔵品の解説本である。
印象派、特にゴッホやモネの作品が出てくるので、印象派に関する本も見てみた。
この本に出てくるゴッホの「アルルの寝室」は表紙にも採用されているが、うえにある解説本にも真ん中右側に載っていた。
さらに解説本裏の真ん中左はモネの「睡蓮」である。
フランスから「寄贈返還」されたのはコレクション全てではなかった。20数点はフランス政府に残されたという。
それでもモネの「睡蓮 柳の反映」、ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」、ゴッホの「アルルの寝室」の
3点は返還をこだわったが、モネとゴッホの作品は戻らなかった。
さらに雨宮塔子さんの書いた「パリ アート散歩」によると、ゴッホの「アルルの寝室」は同名の作品が3点あるという。
1つはオルセー美術館のもの、もう一つはゴッホ美術館のもの、最後の1点はシカゴ美術館にあるという。
そして小説の最後に、
「戦闘機じゃなくて、タブローを」「戦争じゃなくて、平和を」。この言葉は戦争中にコレクションを守った日置こう三郎の
妻ジェルメンヌの言葉であった。
そして、松方幸次郎の言葉は「ほんものの絵を見たことがない日本の若者のために、ほんもの絵がみられる美術館を創る。
それがわしの夢なんだ」
交渉役を担った田代雄一の脳裏によみがえった言葉であった。
年末から足の負傷のため自宅静養中である。1日も家から出ないで留守番の毎日であります。
本を読んだり、部屋の整理などしていますが、外に出ないのでブログの記事が書けません。
また以前のように過去に出かけた旅行の写真を持ち出し、投稿しようと思いました。
今日は、2005年に出かけたポルトガル旅行から、グルベンキアン美術館です。
残念ながら美術館内部の写真はありません。
パンフレット表紙と入場券、地下鉄のチケットなど紹介します。
グルベンキアン美術館は、石油で財を成し、晩年をリスボンで過ごしたアルメニア人グルベンキアンの
コレクションを収めています。1969年創設で、メソポタミア、古代ギリシャ・ローマの古代美術、
イスラム・仏教美術、中世ヨーロッパの美術、19世紀印象派と、その内容、幅、量とも驚くべきコレクションは
遺言によって膨大な遺産とともに、ポルトガルに寄贈されました。
ツアーの中には含まれていなかった場所で、フリーの時に一人で出かけました。
ホテル近くから地下鉄で出かけたようで、チケットが残っていました。
なぜ残っているのかはわかりません。通常は回収されてしまうと思うのですが。
いずれ美術品は素晴らしいものが多かったと思いますが、もう忘れてしまいました。
なぜここに投稿したかというと、海外に行くと有名な美術館は多いですが、例えばルーブル美術館、プラド美術館、
ポルトガルのこちらの美術館はあまり知られていないと思ったので、投稿してみました。
ポルトガルはほかにもたくさん素晴らしいところがありましたので、また次回以降紹介します。
文藝春秋 新年特大号の記事にあった司馬遼太郎の「ロシアについて」を読んでみた。