気の向くままに

山、花、人生を讃える

「宗教と科学の接点」-2

2009年07月11日 | 読書
「宗教と科学の接点」で、もう一つ印象深かった話。

○ある会社員が会社に行く気がしないと言うので相談に来た。
ところがカウンセラーに話しているうちに、自分の上司が不正を働いており、それを同じ課のものは少しの恩恵を受けたりして見て見ぬふりをしている。自分だけがそれに仲間入りする気がせず、さりとて密告するのも嫌だし、毎日が憂鬱で仕方がないと話した。
ところでそのカウンセラーは、まったくの素人だったので単純に考えてしまって、そのことを本人には内緒で会社の幹部にもらしてしまった。しばらくたって、例の上司は左遷され、相談に来た社員は喜んで会社に行くようになった。カウンセラーが喜んでいると旬日ならずして、その社員は欠席を始め重い抑うつ状態になり、結局は退社してしまった。

以上のような具体例を示した後、河合さんは次のように述べている。
○相談に来た会社員は、上司のことを嘆き、それを攻撃したり、どうすべきか悩んだりすることを自らやりぬくことによってこそ意味があったのだ。本人に内緒で事を運んだカウンセラーは、いうなれば当人の生きる意味を奪ってしまったのであり、強い抑うつ状態になったのも当然である。

人生の奥深さを感じさせられる、とても印象深い話で、今まで本で読んできた人生の意味についてのいろいろな言葉が脳裏を駆け巡りました。

人生は思い通りにならないからこそ意味がある。(飯田史彦)
むやみに苦しみが取り去られないのには意味があるのである。(生命の実相)
人生のすべては完璧だ。特に完璧だと思えないところにこそ、完璧性を見なさい。(神との対話)

ちなみに、最近大流行の、自分だけもうけて人はどうなってもいいというような、大人たちのやり口にうんざりしていたわたしは、そういう嘘やごまかしを発見したら「どんどん密告したらいい」と、密告を奨励する気持ちでいましたことを告白します。
これを読むと、単純に密告すればいいというのも、大いに問題がありそうですね。
人生、実に奥が深いですね。


ついでにもう一つ。
この本の「ホログラフィック・パラダイム」という小見出しのところで、著者の河合隼雄さんは、初心者様が掲示板で紹介しておられたデイヴィッド・ボームについて、次のように紹介されていました。

○理論物理学者のデイヴィッド・ボームは、われわれが普通に知覚している世界は、一種の顕現の世界であり、その背後に時空を超えた全一的な、彼の言う暗在系を有しているとの画期的な考えを持つようになった。われわれが五感を通じて知る世界はいろいろな事物に分類され、部分化されているが、それらのものは暗在系に対する,明在系である。

○明在系においては外的に個別化され無関係に存在しているような事物は、実は暗在系においては全き存在として、全一的に、しかも動きを持って存在している。これを彼はホロ・ムーブメントと名付けた。
暗在系のホロ・ムーブメントは五感によって把握できないものである。

そして、河合隼雄さんが次のように述べておられるのが印象的でした。

○ボームの言葉を借りると「物質も意識も暗在系を供用している」のだから、すべての事象は人間の意識とつながっているわけである。

まるで、生長の家で説かれる実相(暗在系)と現象(明暗系)と同じですね。
つまり、理論物理学者ボーアと、「宗教と科学の接点の著者」河合隼雄、そして生長の家が、細部には違いがあるかもしれないが、根本のところでは一致しているのがとても興味深く感じられました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント (9)
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