昔、練成会で、
東京オリンピックが開催されたとき、アフリカのある選手が、水道の蛇口をひねるときれいな水が出てくるのに驚いて、こんな便利なものがあるならぜひ自分の国に持って帰りたいと思い、蛇口を指さし、これはどこへ行けば買えるのかと、ホテルマンに聞いたという話を聞きました。
このアフリカの選手はあまりの便利さに驚いて、水源があって、そこから流れてくるものだとは考えなかったのでしょうね。
わたしたちも、本当は生命の水源につながっていているのですが、それを知らずに、自分はこれだけの力しかないと自己限定していると、せっかくの豊かな供給に栓をしてしまうことになる。
というわけで、徳久先生は続いて次のような話をされました。
財布の中に奥さんが5万円入れてくれても、自分がそれを知らずに1万円しか入ってないと思っていたら、1万円の買い物しか出きませんね・・・。
なるほど、自己限定とはどんなことか、わかりやすい話だと思う。
人生は、皮を脱ぐように自己限定を取り去っていく過程と言えるかもしれない。
また逆に、自己が生命の水源地とつながっていることを思い出していく過程かもしれない。
片栗粉が透明になる瞬間のように、自己の生命と本源とのつながりを知るときはきっと来るだろう。
しかし、この世で生活していて、目に見えないものに関心を持ち続けることはそれほど容易ではない。
だいたい、あんなに惚れあっていると思えた恋人同士だって、1年も離れていたら、忘れられてしまうくらいだから、人間というのは移り気なものだと思う。
神様は、どうして人間をこんなに移り気におつくりになったのだろう。
神様は、きっと意地悪なのかもしれない。
いやいや、移り気ということは、それだけ自由が認められているということで喜ぶべきことかもしれない。幹細胞のように、胃になろうと、腸になろうと、心臓になろうと融通が利くということだから、これは喜ぶべき神様からのプレゼントと言ったほうがいいのかもしれない。
神が支配者であるなら、きっと、神に関心を持ち続けることしか知らないロボットのような人間になっていただろう。移り気ということは、ある時は「神様、神様」とおねだりし、あるときは、1年も2年も、神様なんてすっかり忘れてしまうこともできるということだ。
それでも、神様が「薄情な奴だ」などとおっしゃらないで、「いつでも戻っておいで」とおっしゃるなら、実に有難いことだと思う。
こんな神様だからこそ、やっぱり関心を持たずにはいられない。
そして、いつもつながっていたいと思う。
「神様が恋人だ」と言えるように。
東京オリンピックが開催されたとき、アフリカのある選手が、水道の蛇口をひねるときれいな水が出てくるのに驚いて、こんな便利なものがあるならぜひ自分の国に持って帰りたいと思い、蛇口を指さし、これはどこへ行けば買えるのかと、ホテルマンに聞いたという話を聞きました。
このアフリカの選手はあまりの便利さに驚いて、水源があって、そこから流れてくるものだとは考えなかったのでしょうね。
わたしたちも、本当は生命の水源につながっていているのですが、それを知らずに、自分はこれだけの力しかないと自己限定していると、せっかくの豊かな供給に栓をしてしまうことになる。
というわけで、徳久先生は続いて次のような話をされました。
財布の中に奥さんが5万円入れてくれても、自分がそれを知らずに1万円しか入ってないと思っていたら、1万円の買い物しか出きませんね・・・。
なるほど、自己限定とはどんなことか、わかりやすい話だと思う。
人生は、皮を脱ぐように自己限定を取り去っていく過程と言えるかもしれない。
また逆に、自己が生命の水源地とつながっていることを思い出していく過程かもしれない。
片栗粉が透明になる瞬間のように、自己の生命と本源とのつながりを知るときはきっと来るだろう。
しかし、この世で生活していて、目に見えないものに関心を持ち続けることはそれほど容易ではない。
だいたい、あんなに惚れあっていると思えた恋人同士だって、1年も離れていたら、忘れられてしまうくらいだから、人間というのは移り気なものだと思う。
神様は、どうして人間をこんなに移り気におつくりになったのだろう。
神様は、きっと意地悪なのかもしれない。
いやいや、移り気ということは、それだけ自由が認められているということで喜ぶべきことかもしれない。幹細胞のように、胃になろうと、腸になろうと、心臓になろうと融通が利くということだから、これは喜ぶべき神様からのプレゼントと言ったほうがいいのかもしれない。
神が支配者であるなら、きっと、神に関心を持ち続けることしか知らないロボットのような人間になっていただろう。移り気ということは、ある時は「神様、神様」とおねだりし、あるときは、1年も2年も、神様なんてすっかり忘れてしまうこともできるということだ。
それでも、神様が「薄情な奴だ」などとおっしゃらないで、「いつでも戻っておいで」とおっしゃるなら、実に有難いことだと思う。
こんな神様だからこそ、やっぱり関心を持たずにはいられない。
そして、いつもつながっていたいと思う。
「神様が恋人だ」と言えるように。