気の向くままに

山、花、人生を讃える

別れの寂しさ

2019年12月17日 | 人間死んでも死なない

今朝、パソコンを開くと「フォローしているブログの新着記事」欄に「あなたのいない現世(うつしよ)」というタイトルを見つけ、どんなことが書かれているかと興味をそそられながら、その記事を開いた。するとそれは「詩」であった。
 

この方は、時々文芸誌か何かに詩を投稿し、また入賞もされている人で、以前、わたしの好きな「海の誓い」と題する詩を紹介させてもらったことがある。他にも好きな詩があって、この方の詩を楽しみにしている1人である。

 

私は勝手にこの方は独身をとおしている人かと想像していたが、この詩からは、どうやらそれは間違いらしく、この人には「またなって言ったろ」とか「友へ 君を想う」と題する詩があり、あれは友の死を悼んで詠んだ詩かと思っていたが、ひょっとして「夫」との別れの詩だったのかと想像し、その真に迫った感じを何となく合点できた気がしたのだった。

 

それからまた、「フォローしているブログの新着記事」欄には、「蓮の花と涙」と題する記事があり、その記事を開くと、蓮の花が薄く霞がかった様に描かれたきれいな絵に、短い文章が添えられていて、「涙が枯れるというけど、あれは嘘ね」という、夫を亡くした知人の話を紹介し、「私も同感」とあった。

 

今日は久しぶりに、1日家でくつろげるので、一通り、他の方のブログを見た後、コーヒーを飲みながら、先日買った『突然の恋』と題する生長の家の谷口純子先生著のエッセイ集を読み始めた。するとその中の「ひと筋の光」と題する記事の中に、こんな感動的な話があった。

 

それは山梨県の中込昭子さんという56歳の主婦が、朝日新聞の「ひととき」欄に投稿した記事とのことで、本には次のように紹介されている。

 

≪本からの引用≫
この主婦はお盆が近づいたある日、ベランダで洗濯物を干していると玉虫が飛んできたので、両手でそっと包み込み、息子に声をかけると、彼は携帯電話のカメラで撮ったという。その時、ふと、その年の4月に亡くなった自分の夫が、この虫に姿を変えて来てくれたように思ったそうだ。生前夫は自然や生き物が好きで、2人で玉虫を話題にしたこともあったからだ。

「お父さんなの?帰って来てくれたの?」と声をかけ、

「私たちの所へまた来てね」と言いながら、窓から放してやった。

その日から1週間以上、玉虫は毎日2人の前に現れ、そしてすぐ近くにとまったり、部屋の中を旋回したりした。家の中に入れて新盆の飾りを見せ、

「何とか頑張ってやっていますよ」と言って外へ出そうとしても、飛び立たなかったそうだ。

亡くなった夫が、寂しさと悲しみに沈んでいる自分を励ましに来てくれたように思えてならなかったという。

しかし、8月15日の夕方、その虫は玄関から飛んで行ったまま、姿を見せなくなった。

まだ落ち込むこともあるそうだが、前向きにやって行けるようになったというのである。

 

以上が、投稿された記事の紹介として書かれたものだが、わたしも70歳になり、何かとこのような話題も他人ごとではなくなり、関心を持つようにもなった。11月に出席した中学の同窓会では、他界した同級生も2割近くになるとの話も聞いた。死が怖いというのではなく、一人になった寂しさが他人ごとではなくなくって来たのを感じるのである。

コメント (2)
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