気の向くままに

山、花、人生を讃える

春の花

2020年03月13日 | 

昨日今日と温かい春の日射しに包まれて、行楽日和となった。

そして我が家では黄水仙、木蓮、紅梅(八重)、沈丁花などが咲き、いよいよ春らしくなってきた。

昨日は久しぶりに1時間ほど山歩きをし、今日は足が痛くなるかと思ったが、ゆっくり歩いたせいか何ともないのでありがたい。

今年は字の役からも解放されるので、少しは山歩きもしたいと思っている。

山中はコロナウイルス感染の心配はないからその点は安心だ。

過去の写真を見て山歩きの気分を楽しもうと思ったら、どういうわけか、次の写真を開く「次へ」の「>」記号がでず、順送りができなっている。「明日になればよくなっていた」ということになればよいのだが。

 

以下の写真は以前に写したもの。

結婚前、家内がフリージアの花を持って船まで面会に来てくれたことがあった。

その時に初めてこのフリージアという花を知ったが、以来、わたしはこの黄色い花が好きになった。

いかにも春らしい雰囲気を持った花だと思う。

 

この木蓮は横浜の山下公園で撮ったもの。

 

○われわれを生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。生命は暗黒の中にも光を見る。暗室に置かれたる豆もやしは、外から洩れるわずかな光を求めて、光の方へ光の方へと向いて行く。そして光のない間は細く長くかよわく貧弱に伸びていくにすぎないが、ひとたび光を得たときには、太くしっかりと逞しく勢いよく生長する。生命には光が必要なのである。光が全然ないときには、伸びかかった豆もやしも数日間で枯れてしまう。再び言う。生命には光が必要なのである。  『生命の実相』37巻より

 

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