気の向くままに

山、花、人生を讃える

歌の良さを思う

2020年03月15日 | 人生

先日、BS民放で作曲家の「船村 徹全集」という放送があり、それを録画したものを先ほど見せてもらいました。そして、放送の中に出てくる数々のヒット曲を聞きながら、自分が育ってきた昭和の時代が懐かしく思い出されました。

 

番組によると、作曲家「船村 徹」は26歳の時から女子刑務所の慰問を始めたそうで、女性受刑者たちの社会復帰の一助になればということで、それをライフワークとして50年もの長きにわたり慰問を続けてきたそうです。

 

慰問では、船村徹が自ら、ギターを弾き歌ったそうです。
私はこの番組で船村徹が歌うのを初めて聞きましたが、情感があり、とてもうまいので、この人は歌手出身なのかと思いました。(事実はどうか知りません)

 

そして岐阜県の笠松に「笠松女子刑務所」というのがあるそうで、当時そこには300人ほどの受刑者がいて、その平均年齢は40歳ぐらいだったそうで、その彼女たちのために作詞・作曲」した『希望(のぞみ)』という歌があるそうです。(笠松女子刑務所を訪れたのは昭和56年1月とのこと)

 

番組の中で、ある刑務所を慰問したときの、その歌をうたうシーンがあり、その時、彼は次のように語っていました。

 

○私は5000曲近くの歌を作りましたが、みんな良いところは歌い手さんたちがもってゆき(聴衆笑う)、私の手元に残っているのは1曲か2曲しかありません。その内の大事にしている1曲は50年近く刑務所の慰問をやってきまして、笠松の刑務所の受刑者たちに作ってやった「希望(のぞみ)」という歌があるんです。

 

とこのように語り、そして、「希望(のぞみ)」を歌い始めます。

 

        「希望(のぞみ) 

       ここから出たら 母に会いたい      

       おんなじ部屋で ねむってみたい

       そしてそして泣くだけ泣いて

       ごめんねと 思いきり すがってみたい

 

  私の感覚ではヒットするような(一般に受ける)曲ではないですが、しみじみとした情感のある歌でした。

 

そして、女性の声で、次のようなナレーションがありました。

○船村が、みずから書いた歌詞の説明をし、歌い始めると、またたくまにハンカチの花が咲き、すすり泣く声が起きたという。

 

 番組を見て、感動を覚えながら、あらためて歌はいいものだと思ったことでした。

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