早くもクリスマスが目の前ですね。
クリスマスと言ってもわたしには何の関係もないのですが、世間がお祝いのような気分になる雰囲気はうれしいものです。それに小学生のころは、商店に飾られているクリスマスツリーを見ると、「お伽噺」の世界が現実に現われたようで嬉しかったものです。やはりこういう飾りつけは子供たちに夢を感じさせるものがあるのでしょう。
その飾り付けですが、最近Tomyさんのブログで「B型母親教室~クリスマスリース作り」と題した記事が写真入りで掲載されています。急なB型誌友会への変更にもかかわらず、廃品を利用したすてきなクリスマス飾りが紹介されていますので興味のある方はご覧ください。こんなものが皆で楽しく作れて素晴らしいなあと、男の私も感心してしまいました。(Tomyさんのブログはブック―マークにあるのでそこをクリックして下さい)
さて、今日は40年前に飛田給練成を受けた時、当時「全国巡回本部講師」であられた末井 勉先生の体験談を書かせてもらいます。愛知県教化部にも来られたことがあるのですが、この話を聞いたことがあると云う人は、もうそう多くはないと思うし、わたしにとって忘れられないとても印象的な話でもあるので、ここへ書き留めておきたいと思った次第です。
末井さんがまだ若い時のこと、道を歩いていると、トラックがバックして来て危うく惹かれそうになり、慌てて逃げるのですが、そのトラックはまるで追いかけるようにして、とうとう末井さんの脚にタイヤがのっかってしまったそうです。骨が折れたかどうか、細かいところは記憶がありませんが、ともかく足の怪我は治ったものの、タイヤの下敷きになった片方の足は曲がらなくなってしまいました。
それ以来、そのトラックの運転手を恨むようになったそうです。その一方、末井先生は以前から、世界中の誰にも負けないぐらい熱心に幸せを求めてきたとのことでした。そしてトラックにひかれて何年か過ぎたときのこと、ある人から、その曲がらない足も「生長の家」に行ったら治るかもしれないときいて、どんな治療院かと思いながら、教えられた先生の家を訪ねて行きました。
先生というからさぞ立派な邸宅だろうと思っていたが、着いて見ると、ただの普通の小さな家だったそうです。はじめ婆さん出て来て、しばらく待つように言われて曲がらない片足を伸ばしたまま縁側に座って待ちました。するとやがてお爺さんが出てきたそうですが、そのお爺さんはメクラで口髭のところにご飯粒が一つ着いていたとそうです。そして、そのお爺さんはメクラですから、そこに末井さんの脚があることに気が付かず、なんとその脚の上に尻をおろしました。末井さんは痛いとも言えず、呆気にとられていると、その爺さんはドモリながらいきなりこう言ったそうです。
「お、お、おまえは、し、し、し、幸せになりたいかっ?」
末井さんは誰にも負けないぐらいに幸せを求めて来たから、「幸せになりたいか」ときかれて、思わず「幸せになりたい!」と、大きく返事をしました。
すると爺さんはすかさずドモリながら、最後は怒鳴るように言いました。 「に、に、人間はなあ、た、た、たとえ、ひ、ひ、ひとりでも、は、は、はんぶんでも、う、う、うらんでいては、幸せになれんぞ~」
それは聞いた末井さん、その瞬間、脳天に電撃ショックを受けたそうです。 地球が真っ二つに割れ、真っ二つに割れたその間を末井さんはまっさかさまに落ちて行きました。落ちて行きながら、「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」というお釈迦様の声が三回聞こえてきたそうです。
しばらくしてその衝撃から我にかえった末井さんが目を開くと、先ほど爺さんの髭についていた米粒が、黄金色に燦然と輝いていたとのこと。
それからどうなったか、細かいことは覚えていないので、先へ飛ばします。
末井さんは、ともかく爺さんに礼を言って、その先生宅の外へ出て、乗ってきた自転車にまたがりました。 すると、どこからともなく、「末井さん、末井さん、良かったね、良かったね」という声が聞こえてくるそうです。
はて、誰が言っているのか、まわりを見ても人は誰もいません。おかしいなあと思ってなおも注意して辺りを見ていると、なんと、それはそばにあった電信柱がそう言っているのでした。
末井さんはビックリして自転車を降り、思わず電信柱に抱きつき、「お前までわしのことをそんなに喜んでくれるのか」と、感激し電信柱に抱きついてしばらく泣きじゃくっていたそうです。 (実際に電信柱に抱きつく格好をしながら話をされて、その格好がまた本当に面白くて、みんな感動したり、笑ったりしながら、次はどうなるかと耳を傾けて聞いていました。)
しばらくしてわれに返って、「こんなところを人に見られたらキチガイに思われる」と電信柱を離れ、再び自転車にまたがりました。そして、前に進もうとしたら、今度は道端の石ころ一つ一つが、仏画の観世音菩薩そのままに極彩色に輝いていて、またまたびっくりしました。それを踏みつけて進むこともできず、「ああ、もったいない」と躊躇していると、今度はさらに、民家の瓦屋根の一つ一つが、すべて観世音菩薩となって輝いているのでした。
もったいなくて前に進めない末井さんでしたが、いつまでも、立ち往生しているわけにもいかず、「すみません、通らしてもらいます」と言いながら、帰路につきました。堤防にさしかかると、また、どころからともなく、「末井さん、末井さん、良かったね、よかったね」という声が聞こえてきます。なんと、今度は堤防の草むらが風に揺れながらそう言っているのでした。末井さんはまた、自転車を降りて草に抱きつくようにして、うれしさで嗚咽しました。
家に帰って、「よし、今度こそ、あの運転手に謝ろう」そう思いました。
そして、怨んでいた運転手の家を訪ねました。
絶対謝ろうと決心して出かけて来たのですが、その運転手の顔を見るとどうしても謝れません。
「いや、謝るんだ」「だめだ、どうしても謝れん」
どうしても謝れない自分に、う、う、うと呻きながら、末井さんは思わず合掌してくず折れました。
そして、ついに言いました。「すま~ん!赦してくれ~、わたしが悪かった~」
気がつけば、あの何年も曲がらず、あきらめていた膝が曲っていたという、そういう話でありました。
以上で末井先生の話はおしまいですが、 末井先生は、こんな話を時折ジョークを飛ばし、またみずからも、「あ、あ、あ」という妙な笑いをしては聴取を笑わせ、そしてまた、唾を飛ばすような熱弁でお話しして下さいました。
あの当時、わたしにとっては話術の面白さと内容の不思議さで感銘しながらも、面白くきいていたのですが、いま思い出しながらこれを書いていると、めがしらが熱くなり、涙がこぼれそうになりました。末井先生、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
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