下に紹介させて頂くのは、 『生命の実相』 (生長の家創始者谷口雅春著) から一部を抜粋したもので、全文を紹介できないのが残念ですが、大変興味深いことが書かれていると思うのでその一部だけ紹介させてもらいます。読んでいただければ幸いです。
なおこの本の初版は昭和40年ですので、それを念頭に読んでいただければと思います。
以下、引用
たとえば、人間はどうして生きているかというと、心臓が動くから生きているんだ、心臓が止まったら死ぬんだと、医者は科学者ですから、ちゃんとそれを知っていて心臓麻痺を起こしそうになるとカンフル注射をして、カンフルの刺激を与えると心臓が動く、それで生きる。心臓が動くから生きると申しますが、しかし、その心臓はなぜ動くかというところまでは科学は突き止めていないのであります。現在の医学ではまだこの心臓がどうして動くかということはわからない。わからないために、西式健康法の西勝造氏などはどうして心臓が動くかというのは毛細血管の引力であると言い出した。末梢の血管が毛細管になっているために、毛細管の引力によってその方へ液体の血液を引きつけるから、それがポンプ的働きをしてそうして心臓を動かす助けをするのである。心臓壁の筋肉の収縮力というものはそんなに強いものではないので、身体全体に分布しているあの細い脈管の中をこれだけの力をもって血液を働かせているだけの馬力は心臓のエンジンだけではとうてい出ない、それに毛細管の引力というものを考えて、毛細管の引力によって血液を吸い込むものだから心臓の収縮力が助けられて、血液が循環するのであるというような物理的な理屈をつけて説明して現在の医学に対抗しているわけであります。
ところが、それも私に言わせれば変な話であります。人間が死んだら心臓もあり、毛細管の引力があってもさっそく血液の循環は止まってしまう。そうすると毛細管の引力も心臓のポンプ的構造も皆血液を循環させる原因ではないということになるのであります。なぜ毛細血管は伸縮して、ポンプ的働きをもって心臓を助けるか、なぜ心臓自身は伸縮して血液を送るかというようなことはわからないわけであります。その「なぜ?」をもう一つ突き止めていった時に、われわれは本当に肉体的構造だけでなしに、物質的構造でなしに、ある不可思議な目に見えない生命の働きというものがあるということを突き止めなければならないわけであります。そういうわけでなぜ心臓が動くか? というところまで突き進んでゆくのが宗教であって、宗教というものは迷信以上のもの、迷信どころではない、科学以上に詮索深いものであります。かくしてわれわれはどこまでも満足しないで、どこどこまでもその原因を追究してゆきます時に、「第一原理」とスペンサーが言ったところのそれに到達するのであります。
「第一原理」というものは、それは何か他の原因によって存在するというものではなくて、初めからそれ自身によって存在しているというものであって、われわれは探求心によって詮索した極の極は、この「第一原理」に到達するほか仕方がないのであります。たとえば心臓はなぜ動くかというとそれは細胞がこういう具合な組織になって、そういう具合に血液が循環して呼吸運動がこういうふうになって血液の成分を新陳代謝させていると、そこのところをまだまだその原因をなお遡って、「なぜこの呼吸をするのだろう?」と、その「なぜ」のもう一つ奥に、もう「なぜ?」と言うことができないところの「最初のもの」――「第一原理」を肯定しなければならないようになる。それが神でありそれが生命であります。なぜ? なぜ? なぜ? ――かくしてそれ自身が初めから存在する不可思議なものに到達する――その不可思議なものが神なのであります。
この神というものを掴もうとする努力がすべての人間にあるのですから、人間の宗教心というものは非常に奥深いものだと言わなければならないのであります。では、もう一つ遡って、「なぜ、人間にそんな宗教心があるか」と申しますと、それはやはり人間は本来、神から発したものであるから、われわれはその本源のものを見出そうという憧れがあるからであります。たとえばわれわれは、孤児(みなしご)として親なしとしてどこかで養われているとしますと、「自分の親はどこかにいるかもしれない、会いたいな」という気持ちが起こるでありましょう。親に会いたい――この感じが本源を探求したい心である。「自分の身体はどこで生まれたか」というのも、自分の生命がどこから生まれたか、その本源を探りたいというのも、ともに親を知りたい、親に会いたい、親というものが何となく懐かしくて探らずにはいられないその同じ要求でありまして、いずれも「もとは一つ」の大真理より発するのであります。本来一つのものであるから、分かれ出でてもまた一つに逢い知ろうとする働きが起こるのであります。 (引用おわり)
以上は「本来一つのもの」と題する記事からの引用であり、「心臓はなぜ動くか」と云うのは、この文章の中の言葉を私が勝手に題名にしたものです。
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