国立駅前のイルミネーション(東京都国立市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
皆さんは飲食店に入ったら、必ずなにかオーダーしますよね。
食べたいものを注文してから提供されるのを待つ、ただこれだけの話です。
飲食店に入ってブスーっとしているだけでは、
オーダーを取りに来た店員さんを困らせてしまうばかりか、
しまいには「その席は当店をご利用するお客様の席ですから、ご退出いただけますか?」と、
追い返されてしまいます。
さて。
これと同じように、「四六時中、不満を垂らしている人」ほど、
不満を抜け出すきっかけを失ってしまうと、私は思うのです。
不満を垂らしてばかりでは、せっかく援助の手を差し延べようとしている人がいても、
「結局、この人にはどんな理想があるのか!?」を知る術がなければ、
いくら助けになろうと思っても、力になりようがないわけです。
それだけならまだしも、世の中には決まって「人の苦しむ姿を見て楽しむ、嫌な人」がいるものです。
そんな人に「なるほど、こうすれば楽しめるんだな」とばかりに、
わざと不満を抱くように仕向けられては、たまったものではありませんよね。
結局。
嬉しがる、あるいは感謝することは、「してほしいこと」を相手に伝えることと同義だったりするのです。
赤ちゃんは不満があるとワーワー泣いて訴えますが、
それと同じで、他人の不満は「不満」としてしか処理をされないのが現実です。
毎日、精一杯なのは誰しも同じです。
疲れてくればどうしたって不満がちになってしまうのも、
人間であれば当たり前の話。
しかし、「不満を述べているだくでは、満足はもたらされない」というのも、厳然とした事実だったりするです。
嬉しいことをされたり気付いたら、積極的に喜ぶ態度が必要なのです。
もっとも、毎日に取り立てて不満がなくとも、
積極的に嬉しがり、感謝する気持ちを表に出していたほうがよいのは、
ここまでお読みになれば、賢い皆さんはお分かりになると思うんです。
自立して生きていくことと、嬉しがったり感謝することは、
本当は全く別の問題なのです。
たとえ自立していたいにしても、「自立させてもらっている」位の意識でないと、
かえってあらぬ厄介が増えたりもするもの。
「ありがたや」の精神、大切にしたいものですね。