青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

勝手にポッキーの日ヾ(*^▽^*)o

2011年01月11日 23時15分11秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 一人でウキウキして買っちゃっいました。
 やっぱりこう、1がズラズラ揃うと「今日もポッキーというコトにしようよ」とか、
 頭で勝手に考えちゃうんです。
 おそらく並大抵の脳じゃないのかと(笑)


 …とは言えど、たまに食べると食感がなかなかよいんですよね。
 引き締めの合間に、息抜き代わりに食べるのはアリな気がしました。

幸せへの使命。

2011年01月11日 19時17分30秒 | 青裸々日記。
水仙(神奈川県三浦市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「その形はともかく、どんな人も出来るだけ幸せになるに越したことはない」というのが、
 長年いろいろ考えた末の、私の持論だったりします。


 「幸せにならなくてもよい」と、自分をかなぐり捨てている人がいるとしましょう。
 しかし、他人と全く無縁な生活でも送っていない限り、
 必ずなんらかの人間関係を築く必要があります。
 その人間関係において、「自分は幸せなんか要らないから!」とムスーッとしていたら、どうでしょう!?
 本人はよくても、周りを嫌な気分に巻き込んでしまうのです。
 そして、嫌な気分にさせられてしまったということで、
 周りの人達もまた、嫌な気分をぶつけてきます。
 こうして「幸せなんて要らない!」という願いが叶ってしまうわけですが、
 幸せを放棄すれば不必要に他人に迷惑を与えてしまう、ここが大切な点なのです


 こんな悲劇のストーリーを無くすには、幸せを追い求めることです。
 「私は幸せになる資格なんてない」という人がいますが、
 負い目があるならそれを償う、
 責任感を感じるならなんらかの代償は払う、
 こういった「贖罪」をすることだって、立派な「幸せを追い求める思考や行為」です。
 幸せを追い求めることに、解決の道が顕れるのです


 さて。

 自分の幸せと他人の幸せの利害が一致しない時はどうするのか?という、
 いわゆる「幸福論」の話になると、必ずこんな疑問が出てきます。
 「取り合い」とか「邪魔物」と言われるものが立ちはだかった場合、
 「人を傷つけてまで必要な幸せって、一体なんだろう」と、
 心の中で必ず葛藤が起きるもの。


 そんな時に考えたいのが、
 「幸せになるのは義務ではない」ということ。

 もちろん誰だって幸せになったほうがよいに決まっています。
 しかし、「幸せ」というものの形を決めてそれに囚われてしまうようでは、
 そんなものはもはや「幸せ」とは呼べないものだと、私は思います。


 幸せはどんどん追い求める。
 でも、縛られない。

 こんな考えが大切なのです。



 とても抽象的な話になりましたが、
 抽象的だからこそ、「幸せ」というのはいろいろなケースやパターンに当てはめて考えられることなのです。

 たまにはこんな話を真面目に考えてみると、
 自分の価値観を整理できたりもするもの。
 「自分にとっての「幸せ」ってなんだろう!?」と、
 よかったら一度、自分に問い掛けてみませんか。

鏡開きの日

2011年01月11日 06時21分16秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 今日は「鏡開きの日」。
 お正月の鏡餅を食べて一年の健康を願う日(でしたっけ?)ということで、
 私は大好きな「おしるこ」を買ってきて、部屋にしたためてあります(笑)

 帰ってから食べるのが楽しみですヾ(*^▽^*)o
 たまに食べるとめっちゃおいしいんですよね、「おしるこ」って。

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