恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
少し煙たい話ですいません。
今日は「成人の日」。
「二十歳になる年度の人」が「成人になった」ことをお祝いする日です。
ただ、私は「成人ってなんやねん?」とツッコミを入れたくなるんです。
成人というのは「人に成る」と書きます。
だから「一人前になった」ということを指すのでしょうが、
さらに掘り下げて考えると、「一人前ってなんやねん?」ということになる。
その「一人前」というのは、つまりは「分別が付く」という能力があることを指しますが、
「年を重ねた」と言うだけで、押しなべて分別をわきまえる能力があると認めるのは間違えだと、私は思うんです。
電車の乗車マナーひとつ取っても、
いわゆる「大人世代」の人でも周りを気にせず大声で談笑したり、
ケータイの着信音を鳴らすとか、さらに通話をすると言った言語道断な振る舞いをする人がいます。
たとえばこんな人を「成人」と認めてよいのでしょうか!?
それ位、よく躾(しつけ)を受けた小学生なら普通にやっている事です。
年齢で全て輪切りにする発想、これは「タイムリミットを設ける」という意味では有用かもしれませんが、
「〇〇歳だからこれぐらいはわかるよね☆」などという、こと「能力」に関することに適用できるは、
せいぜい法律上の区分くらいまでではないでしょうか。
「20年も生きてきたんだから、それ相応の権利と責務があるんだぞ」と「訓示」をしたところで、
分別をわきまえる能力がない人には猫に小判、豚に真珠です。
つまり、「権利」とか「してもらう意識」ばかりを振りかざして、
「責任」という言葉だけは辞書にないような人は、
「成人」と認めるには、まだまだ早い気がするのです。
「どこからが大人!?」とする問題意識が希薄なまま、
一定の年齢になったら「成人」だとするのは、
いい年した大人ですらモラルが崩れた人が一定の数いるのなら、それは形式的なものでしかなく、
権利意識ばかりを増長させる、毒にもなりうる発想に繋がります。
逆に言えば、「「成人」とか「分別が付く」とかって一体なんやねん?」という問題意識を社会に参加している全員が持つほど、
「成人の日」、ひいては「成人」という考え方そのものを有意義にしていくハズです。
私も「成人失格!!」ではなく、
「さすが、一人前ですね」と言われるよう、身を正していようと思います。