恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
私自身、大成功せざるを得ない状況にあるので、
自分に言い聞かせる意味でも書き止めておきますねヾ(*^▽^*)o
☆ ☆ ☆
スポーツの解説者でとかく嫌われるのが、「訳知り顔で結果論ばかりを語る人」です。
「だからフォークが来ると思ったんですよ」
「ここでごぼう抜きすることは誰だってわかっていたんです」
「やはり日頃の姿勢がモノを言うわけですね」
…いろいろと台詞を列挙してみしたが、情景が浮かんできませんか!?
そんなわけで、解説なしの衛星放送を楽しむ人が増えているとかいないとか、たまに耳にします。
ところが、です。
困ったことに、この「結果論が大好きな解説者」って、
誰の頭の中にも潜んでいたりするんです。
理論的には水と油は混ざりませんが、
「水と油を合わせても、なぜか混ざってしまう」ような、
訳のわからない茶々が入り、必ずしも計算した通りにいかないのが現実です。
よかれと思ったことが奏功しなかったり、
渋々やっていたことが大きな脚光を浴びたりすること、
皆さんもよく見聞きしたり、実際に経験もしていると思うんです。
たとえば、「笑顔を作るのが得意な人」がいたとします。
ある人に「笑顔がいいね」と言われて、「ああ、笑顔っていいもんなんだ」と思っていた。
それで気分よくしていたら、理由もなく「その笑顔がムカつく」と言われてしまった。
そこで表情に慎重になったら、「なにを考えているかハッキリしないから嫌いだ」と言われた。
言われてふさぎ込んでいたら、こんどは「その繊細さ素晴らしい」と褒められた。
…お分かりになったでしょうか!?
「どんなことにも二面性があり、勝因も敗因も、事が起こる前にわかることではない」ということを言いたいのです。
だから、最初から決めてしまうのです。
「これが勝因になる」
「意味があってやっている」
こんなふうに、わざわざ「結果論らしきもの」を自分でこしらえておくことで、
上手くいく流れをグッと引き寄せられる気がします。
どんな個性にも、偉いも悪いもありません。
その個性そのものよりも、その活かし方に善悪が出るのです。
訳知り顔で事が起こった後で論評するよりも、
自分で流れを手繰り寄せてしまいましょう。