グランアージュ(東京都千代田区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
自分の尊厳を傷つけられたら、立ち向かわなければいけない時があります。
「仏の顔も三度まで」という諺があるとおり、
どんなに度量がある人間にも「越えられない一線」は確実に存在するわけです。
その「一線」も推し量らずに、土足で平気な顔でて踏みにじられるような真似をされても涼しい顔をしていられる人がいるとしたら、
そのほうがむしろ狂気だと言えるのではないでしょうか。
さて。
問題は「復讐や反発」の方法、そして度合いです。
一口に「やり返す」と言っても、
・泣き寝入りをする
・相手が気づくよう、少しだけ主張してみせる
・同じことをしてみせるか
・断固として許さない
・10倍返しにする
…と、いくつかバリエーションがあるわけです。
もちろんケースによるのは百も承知ですし、
どんな主張をしようが個人の自由ではあります。
しかし、「復讐」に神経を傾けるあまり、
肝心の自分の気持ちや生活、精神状態にまで悪影響が出てしまうなら、
「自分を守る」どころかかえって疲弊させてしまうと思うのです。
「復讐/反発/抗議/文句」など、言い方はなんでも構わないのですが、
要は「嫌なことをされた」と相手にわかってもらうことがあって、
はじめて謝罪なり責任問題なりの話が始まるわけです。
この順序を間違えて喚き立てたところで、
すれ違いや対立が無駄に増幅されるだけで、
こちらの「被害」が増えるわ、相手への嫌悪がつのりゆくわで、
円満な解決は程遠いものになってしまいます。
しかも、話が噛み合わないまま「やり込めてしまえ」と勢いづいたところで、
相手が理解していなければ、「逆恨み」を煽る危険すらあるわけです。
相手に理解を求めることを、最初に考えましょう。
完全とは言わないまでも、「いかに悪いことをしたか」を理解していれば、
少なくとも、相手だって謝罪なりなんなりの方向に神経が行きやすくなります。
復讐心に燃える時間を使うなら、
その時間は理解を求めるよう工夫するために使うか、
さもなくばサッサと抗議してあとは「神様が仇を取ってくれる」とでも思って、無視を決め込むほうがまだマシなのです。
なにも「不快感の種」まで頂戴して、
自分で育てることはないのです。
モノを言うのなら、カシコク言っていたほうが楽でお得なのです。