東京タワー(東京都港区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
将棋や囲碁、チェスなど、
ボードゲームには押しなべて共通して言えることがあります。
それは、「どうしてその戦略を採ったか」とか、「どうしてその手を打ったのか」、
こんな問い掛けに対して、
強い人ほど明快に理由を説明できる、ということなんですね。
「勝負にケリをつけたい」
「流れを引き寄せたい」
対戦中、こんな意思を持っていればこそ、
漫然とした手ではなく、
「ただルールを覚えただけでは思い付きようもない筋」を使うわけです。
つまり、なんらかの意図があればこそ、打つ手も違ってくるのです。
さて。
世の中いろんな人がいるもので、
「自分の常識では到底理解できない、異常な行動をする人」もそのひとつ。
もちろん「よい意味で理解できない人」の話もしたいのですが、
悲しいかな、現実には「悪い意味で噛み合わない人」だっていますよね。
そんな人を、自分に合うように「矯正」したいものですが、
人間の「矯正」って、性格に限らず難儀を極めるものです。
人間は習慣の生き物だからです。
たとえば、なにかの間違えで「身体を洗うのは汚れた邪悪な行為」とする部族の一員てなってしまったとしましょう。
でも、無理ですよね、そんな不潔な話。
衛生的にも良くないし、きっと心身、不調が出てしまうと思うんです。
そしてまた、人間誰しも、自分がかわいいもの。
ただでさえ「矯正」が難しいのに、
「相手を否定する意図」があって言動をなんとかしてほしい旨を伝えているとなれば、
相手からすれば、自分を省みるどころか、もう反発に向かうのが関の山です。
こういうわけで。
誰かの言動を修正しようとする試みは、たいてい失敗に終わるものです。
しかし、絶望するのは早い。
言動は直せなくとも、理解することは出来ます。
それも、完全に理解しようとするのではなく、ある程度で大丈夫、と考えるのです。
☆ ☆ ☆
ここで、ボードゲームの話に戻りましょう。
ゲームに勝つためには、「相手の意図」さえ読み切れれば、
相手の企てに対処することができます。
そして、「意図」が完全に読み切れなくとも、
なんとなくわかっていれば、「釣り」や挑発にひっかかることも少なくなります。
それと同じように、「自分の理解を越えた言動」も、
「言動そのもの」ではなく、「どうしてその言動になるのか」を読んでいくほうが、
冷静かつ確実な対処が出来ると思いませんか。
つまり、よい行動はそれなりの思考から、
悪い行為は悪い思考の影響をモロに受けるというわけです。
その行動を作り出している思考やいきさつに着目すること、
これは別に優しさとか思いやりではなく、
あくまでも自分を守るためにすることです。
だいたい、優しさでもって理解したところで、
結局相手を正すことは出来ませんから、「不必要な忍耐」を背負い込むだけなんです。
逆に、自分が楽になれば、相手に対して余裕を持って接することが出来るので、
結果として相手も「改心」してくれる可能性が上がるのです。
ところで、囲碁は「手談」とも言われます。
碁石での話し合いが上手い人を「囲碁の達人」と言うのなら、
言葉での話し合いが上手い人は「コミュニケーションの達人」と言えます。
つまり、「達人」というのは「言動の理由」を追跡できる人を指すのです。
なんでもかまいません。
皆さんも「達人」を目指してみませんか!?