山茶花(東京都渋谷区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
困った場合、人や文章、宗教にアドバイスや救いを求めるのは、
至極自然で真っ当な考えだと思います。
囲碁格言には「岡目八目(おかめはちもく)」という言葉があり、
「対局している当事者よりも、傍から見ているギャラリーの方が余程好手がわかる」というもの。
一人で踏ん張るだけでなく、人と力を貸し借りすることでお互いが幸せになるなら、
それで「めでたし」なのです。
…しかし、そんな「アドバイス」も、
「何%頼りにいくか」で、実は敵にも味方にもなるのです。
そもそも自力でなんとか出来ない壁に対して、
「普通では無理なことを楽に解決できないか」という、
つまり、ストレートに言えば踏ん張りが利かなくなってしまうからです。
少し話が抽象的になってきたので例を出しますが、
「50m走をやって、絶対に7秒を切りなさい」という課題が出されたとします。
たくさん練習した。
筋トレも十分にやった。
でもやってみたらあと0.1秒が切れなかった。
そこで、いろいろな助けを、本や人に求めるわけです。
…しかし、幸か不幸か、「100%しっくりと来る答えやコツ、アドバイス」と巡り会える可能性は、
ほぼゼロと言って間違いありません。
荒波や課題を軽々と乗り越える方法なんて、
人の数だけあるんです。
なぜなら、人には得手不得手があるからです。
形の上では同じように「乗り越えた」にしても、
そのやり方は人によって様々だし、どんな能力を伸ばすことでクリアするかも人それぞれです。
50m走の話で言えば、
フォームの研究をする、スタートの練習をする、持久力を上げる、筋トレを工夫する、
はたまた総合力で突破を目指す、
いろいろな道があるのです。
困難にぶつかった時、「救いの道がひとつしかない」と決め付けるから苦しくなるのです。
答えを絞らずに人の真似事を取り入れてやってみるにしても、
結局、自分のやり方として消化(昇華)させる、そこではじめて「ひとつ」に固まるわけですが、
それだけに、最初から肩肘はって自分を追い詰める理由もないわけです。
いろいろなやり方を参考にするにしたって、その中に100%答えを求めるのは間違えのもと。
結局は自分でフォームをカスタマイズして、自分の成長に合わせて変えていく必要があるのです。
世の中には素晴らしい考えやステキな人、輝かしい実績を残している人がたくさんいるものです。
しかし、人はみんな少しずつ違って出来ている生き物。
自分のやりやすい、得意なやり方だって、人によって少しずつ違っていて当たり前です。
人のアドバイスに納得ができなかったり、
あるいはあまり参考にならなかったとしても、
それで課題や自分をあきらめるのは、私は勿体ない気がするのです。