水仙(神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「コミュニケーション能力」が全盛の時代です。
コミュニケーション能力が高ければ高いほど、必要としてくれる人が増えたり、
好かれやすくなったりするものです。
ただし。
「私はコミュニケーション能力が抜群に高いです」
「コミュニケーション能力なら任せてください」
こんな人って、なかなかいないですよね。
これは横文字を多用する風潮が原因なのだと、私は思うのです。
簡単に例を挙げると「地域的な人間関係」は「コミュニティー」、
「田舎」は「ローカル」、
「政権公約」は「マニフェスト」、
こんな呼び方が主流になっています。
カタカナ語に置き換えて読むと、いろいろな事の次第をイメージしたり把握しやすくなる半面、
その実態があやふやになってしまう側面もあるのです。
そして、「コミュニケーション」もその一つだ、私はこう思うわけです。
さて、「コミュニケーション」は直訳すると「意思疎通」ですが、
「意思を通い合わせるにはどうしたらよいか!?」を考えない限り、
コミュニケーション能力なんか付きっこありません。
その「意思を通い合わせる方法」なんて、
言葉や仕種、立ち居振る舞いといった「How to」的なものは数え切れないほどあるばかりか、
電話や面談、メールといった「環境」に左右されることも加味して考えれば、もう数えることは不可能なのです。
一口に「コミュニケーション能力」なんて口走っても、
「どんな手段や環境でもコミュニケーションできる能力」なんて、
現実には有り得ないわけです。
結局、「コミュニケーション能力」というものが手に入らないものとして、
ある人は落胆し、ある人は過度に崇拝したりと、
振り回されてしまっているのが現状なのではないかと、私は思うんです。
そしてまた、「コミュニケーション能力がないよー、こわいよう」と、
「コミュニケーション能力」という実体の掴みずらいものの前に立ち尽くすしか出来なくなってしまっている人が、
相当量いるのではないかと、私は思ってしまうわけです。
そんなわけで。
私が思うに、「コミュニケーション」は「受け答え」と言い換えたほうが、
結果として意思の疎通に躓くという悲劇を取り除いてくれる気がするんです。
「コミュニケーション」と言うから漠然としたものに苦しめられてしまうのであって、
「受け答え」と表現すれば、具体的にどうすれば意思の疎通がしやすくなるのか、目標がわかりやすくなるわけです。
もちろん、「受け答えがしっかりしている」だけでは不十分な場面が多々あることぐらい、
百も承知です。
「空気を読む」とか「表情を工夫する」という要素だって、意思を伝える手段に変わりはないかもしれません。
しかし、「受け答え」というのは意思を伝え合うことにおいて、
基礎中の基礎であり、また最重要なものでもあります。
「コミュニケーション」という言葉や概念に対して、過敏に反応しないことです。
まずは受け答えをしっかりさせて、
その上でいろいろな手段に手を出すのが、
コミュニケーション能力を最速で上達させる方法なのではないでしょうか!?
「受け答え能力」、お互いに大切にしたいですね。