一年前の記事を読んでいただきたい。
もう二度と仕入れる事は出来ないと思っていた材木が甦ったのです。
震災関連の事を書くとアクセス数が落ちるような気がします。
復興がなかなか進まないと伝える人は多いけど違います!
あまりにも被害が大きすぎて時間が掛かっているだけで進んでます。
但し、菅政権は多くの規制を作りそれが足かせになっております。
津波被害を防ぐ為に海岸線沿いに堤防の建設を義務付け
なおかつ高台にしか住宅の建設を認めない?
それでは住民は戻って来ないだろう事は誰にでも理解出来ることだ。
1000年に一度の規模の津波にやられた南三陸町にボランティアに行くとき
家族の誰にも言わなかった。
「そんな危険な場所に行かないで!」と反対されるのが分かっていたので
他のボランティアさんも同じ事を嘆いていた。
被災地に実際に向かう者だけが持つ信念というか勇気、
理解されるのはしばらく時間が経ってからでした。
1000年に一度の規模なので次に巨大津波が襲ってくるのは
1000年後でありボランティア活動をする間は心配無いし
今まで通りの街並みが復元されると信じて活動してた。
現在、地域によっては大幅な復興計画を見直し
高台に避難する為の避難路を整備している町がある。
中央政府は細かな指示は出さずに見守ってゆくべきでしょう。
生まれ故郷の復興を諦めて高台に移住する町もあろう。
たった一人で海岸線沿いに工場を再建する人も居る。
震災以前から抱えている過疎が絡む地域もある。
と、ここまではスラスラと書けた20日前の草稿です。
うちの在庫に奇跡の「南三陸町の丸平木材製品」が並んでいたのは最近まで。
防潮堤が出来るまでは建設許可が出せない役場の反対を押し切って
工場を建設し操業させた丸平さんが与えた勇気は大きな評価を受け
復興への機運を盛り上げたとして多額の助成金を受け取った。
役場側の評価も180度変わり丸平さんの社長の行動力を頼り
多くの復興事業に関わり忙しくなった社長。
本業の製材業は他人任せとなり品質の低下が著しくなり
市場も扱いを停止せざるを得なくなった。
こちらが現在の在庫品となります。
南三陸町から国道45号線を南下した内陸部の隣町
登米市津山町の製品です。
ここの道の駅は多くのボランティアさんが宿営地として利用しましたよね。
そうそう、どうしてそんなに被災地の木材ばかりを使うのか疑問でしょう?
寒い東北で育つ杉は成長が遅いけど目が詰まっていて強度も高い良材です。
温暖な九州産の杉は成長が早く目が粗くて強度が低いのです。
そんな事情があるのですよ。
歯を食いしばって復興に尽力している社長にとって
多額の助成金が人生を狂わせた?
若い世代は仕事を求めて町を離れざるを得ないでしょう。
三陸の復興は険しい山登りのごとくでしょうね。。。
では福島の場合はどうでしょうか?
放射能の影響で避難生活を余儀なくされてますが
生活費は東電が補償してくれているので働かなくても喰える。
家に戻ろうとかの機運も生まれにくい。
パチンコ屋と飲み屋が繁盛しているのは本当らしい。
そろそろ安全宣言と東電の補償を打ち切らないと
福島はダメになると私は考えてます。
浜通りだけが社会主義政策が敷かれているみたいで困惑してます。
ええ、脱原発=左翼思想なのですからね。
東電を叩けば避難住民の生活保護をさせられる。
警戒区域の安全性を検証しようとしても政治的な絡みが強すぎて
本当の事が見えにくい福島なのですねwww
昨年の衆院選で脱原発を訴えた政党を思い出して下さい。
そして放射能の危険を煽り続ける大きなブログの数々、
そのどれもが当事者である避難住民の事なんてこれっぽっちも考えずに
自分の主張の正当性ばかりを訴えているにすぎない。
いやいや~長文になりましたけど最後まで読んで頂き有り難う御座います。
母の病状次第ではどうなるか判りませんが今後は再編後の浪江町にも
行こうと考えております。
海岸近くの請戸地区、ニュースでも流れてましたが震災から2年が過ぎて
遺体の捜索。遅すぎるんだよね。
悲しすぎるよまったくぅ…
放射能の危険を煽ってしまうと福島は動けなくなるんだよね。
どうか福島に勇気を与えて下さい。