元材木市場の市場長だったSさんとは付き合いが長い。
定年退職後は他の材木市場で浜問屋を取り仕切って取引も続いていた。
ある日、仕事の電話でろれつが回らない状態になり電話の相手が機転を利かして
市場内の方に様子を見てくれと連絡してSさんが倒れているのを発見。
重い脳梗塞の症状で意識が無く寝たきりの入院生活が続いてた。
岩手県出身で離婚をしてから身寄りも居ないSさんは
三か月毎に病院を転々としてお見舞いに行けないまま
先月、亡くなったと聞かされてものすごく悔みました。
今月の月初めに行われた大きな記念市で大勢の来場者がいて
その中にSさんから嫁さんを紹介してもらった銚子のKさんに詳しい経緯を尋ねると
Sさんは離婚した奥様や息子さんが懸命に看病を続け
老人介護施設でリハビリを続け
現在は車イスに乗り会話も出来る程に回復したと聞いた。
私にとっては父が亡くなった時にも助けてもらった恩人です。
日曜日に車を飛ばして流山市の奥地までお見舞いに行って来ました。
エレベーターで施設の3階に降りたところでバッタリ再会をした。
私の訪問をとても喜んでくれて談話室に移動した。
倒れてから半年間は意識も無く寝たきり状態だったこと。
今月いっぱいでこの施設を出無くてはならないこと
自宅には離婚した奥様が戻って待っていることなど
右半身不随でろれつが回らないながらも一生懸命に話をしてくれた。
入院生活をしてる間には身近に居る業界人が次々と亡くなっており
最期のお別れにも行けなくて悔しいと嘆いていた。
「ここまで回復したのだから現場に復帰する!と目標があった方が良いです」
「いや、こんな右手も動かない体では無理だよ…」
「なに、材木を担げと言ってるわけではありません。
Sさんが持っている全国の製材所とのネットワークを必要としてる方が
大勢待っているって事なんです」
「でもなぁ、もう69歳だしどこも雇ってくれないよ…」
「じゃぁ、うちに来てくれますか(笑)」
「いやぁ~、そう言ってもらえるだけでも嬉しいよ」
積もる話が続いていたけどこういう場所に長居はいけません。
「今の私にはこんな事ぐらいしか出来ませんけど受け取ってください」
見舞金を渡そうとしたら断られた。
「あんたの親父さんには5万円を借りたままなんだよ」
「そうでしたっけ?」
「返せないまま亡くなられて、その上、見舞い金まで…」
「お金は邪魔になるもんじゃないし、会社と私と亡き父の分まで用意してあります」
「いやいや、その気持ちだけでも十分嬉しいよ」
「では今日の所は納めますが、退院する時の快気祝いで受け取ってもらいます(笑)」
「あぁ、リハビリを頑張ることにするよ」
Sさんがこの世に生きていて、こうして会話を出来るまでに回復して
とても嬉しいお見舞いとなりました。
私の父も2度目に倒れてからは意思の疎通も計れない状態に陥り
末期がんも重なりそのまま逝ってしまいましたから尚更。
数日前にこのお見舞いについてKちゃんにも話してある。
「やっぱりお金を包むの?」
「勿論」
「幾ら包むの?」
「3万円」
「そんな?お金、無いのに?」
「一般的な慣習だと1万円位だけど、世話になった知人がお金に困っているんだよ!」
「ケチなのにそういう時だけは気前がいいのね。あたしに使うお金は惜しいくせに」
「そんな言い方しか出来ないの?日常では倹約をして必要な時には使うものだよ」
心が通じないばかりか価値観の相違も目立ってきたなぁ。。。
定年退職後は他の材木市場で浜問屋を取り仕切って取引も続いていた。
ある日、仕事の電話でろれつが回らない状態になり電話の相手が機転を利かして
市場内の方に様子を見てくれと連絡してSさんが倒れているのを発見。
重い脳梗塞の症状で意識が無く寝たきりの入院生活が続いてた。
岩手県出身で離婚をしてから身寄りも居ないSさんは
三か月毎に病院を転々としてお見舞いに行けないまま
先月、亡くなったと聞かされてものすごく悔みました。
今月の月初めに行われた大きな記念市で大勢の来場者がいて
その中にSさんから嫁さんを紹介してもらった銚子のKさんに詳しい経緯を尋ねると
Sさんは離婚した奥様や息子さんが懸命に看病を続け
老人介護施設でリハビリを続け
現在は車イスに乗り会話も出来る程に回復したと聞いた。
私にとっては父が亡くなった時にも助けてもらった恩人です。
日曜日に車を飛ばして流山市の奥地までお見舞いに行って来ました。
エレベーターで施設の3階に降りたところでバッタリ再会をした。
私の訪問をとても喜んでくれて談話室に移動した。
倒れてから半年間は意識も無く寝たきり状態だったこと。
今月いっぱいでこの施設を出無くてはならないこと
自宅には離婚した奥様が戻って待っていることなど
右半身不随でろれつが回らないながらも一生懸命に話をしてくれた。
入院生活をしてる間には身近に居る業界人が次々と亡くなっており
最期のお別れにも行けなくて悔しいと嘆いていた。
「ここまで回復したのだから現場に復帰する!と目標があった方が良いです」
「いや、こんな右手も動かない体では無理だよ…」
「なに、材木を担げと言ってるわけではありません。
Sさんが持っている全国の製材所とのネットワークを必要としてる方が
大勢待っているって事なんです」
「でもなぁ、もう69歳だしどこも雇ってくれないよ…」
「じゃぁ、うちに来てくれますか(笑)」
「いやぁ~、そう言ってもらえるだけでも嬉しいよ」
積もる話が続いていたけどこういう場所に長居はいけません。
「今の私にはこんな事ぐらいしか出来ませんけど受け取ってください」
見舞金を渡そうとしたら断られた。
「あんたの親父さんには5万円を借りたままなんだよ」
「そうでしたっけ?」
「返せないまま亡くなられて、その上、見舞い金まで…」
「お金は邪魔になるもんじゃないし、会社と私と亡き父の分まで用意してあります」
「いやいや、その気持ちだけでも十分嬉しいよ」
「では今日の所は納めますが、退院する時の快気祝いで受け取ってもらいます(笑)」
「あぁ、リハビリを頑張ることにするよ」
Sさんがこの世に生きていて、こうして会話を出来るまでに回復して
とても嬉しいお見舞いとなりました。
私の父も2度目に倒れてからは意思の疎通も計れない状態に陥り
末期がんも重なりそのまま逝ってしまいましたから尚更。
数日前にこのお見舞いについてKちゃんにも話してある。
「やっぱりお金を包むの?」
「勿論」
「幾ら包むの?」
「3万円」
「そんな?お金、無いのに?」
「一般的な慣習だと1万円位だけど、世話になった知人がお金に困っているんだよ!」
「ケチなのにそういう時だけは気前がいいのね。あたしに使うお金は惜しいくせに」
「そんな言い方しか出来ないの?日常では倹約をして必要な時には使うものだよ」
心が通じないばかりか価値観の相違も目立ってきたなぁ。。。