会社に猫が居るので日曜日でも餌やりに出社します。
この日の朝は曲げちゃんが日向ぼっこをしながら出迎えてくれた。
猫が出入り出来るように右側のシャッターは10cm程開けてます。
事務所内は24時間暖房が効いて温かいのであんちゃんが寝てます。
曲げちゃんとサビママは天井裏が寝床です。
野良猫のにんじんくんは
断熱材の上が寝床です。
恥ずかしいことに、廃業から2年も経つのに会社内を片付けてません。
どこから手を付ければいいのか優先順位が付けられないのです。
満身創痍で仕事を続けて何とか無事に自主廃業できたのに
次から次へと色んなことが起こりパニックになりました。
茂原の家の契約日の早朝に兄妹で共有するマンションで火災が発生し入居者が亡くなり
火事場の後片付けと初めての薩摩芋の作付を同時進行で行い(鉄筋コンクリート造)
復旧工事からリフォーム工事も行われて田舎暮らしの準備をしつつ
材木屋の仕事も復活してしまう状況に。
夜の野良猫の餌やりでもトラブル続き。
母が警察に保護されて認知症が始まったのが分かり
8月に入ってから糖尿病が進行して何も食べない母を病院へ連れて行ったり。
水分を摂取すると肺に水が溜まる症状は糖尿病の末期症状です。
母の今後の生活について兄妹で話し合い有料老人ホーム探しもした。
母の通院に付き添いながらも畑仕事も続き収穫に1か月も費やしました。
母を病院へ連れて行くために迎えに行ったら死後数日の母を発見。
母親を孤独死させてしまった事で兄妹みんな不眠症になりました。
それがきっかけで2年ぶりにお酒が飲めるようになり晩酌が習慣に。
葬儀で周囲からも指摘された右手親指の治療と飛蚊症で病院通いの続く年末に
癌で闘病中の従妹が亡くなり精神的なショックが激しかった。
年が明けて母と従妹の四十九日法要が終わると叔母が入院。
背骨を骨折して入院中に脳腫瘍も見つかり開頭手術。
娘に先立たれたショックから認知症にもなり老人ホームに入居した。
親指の治療で通院しながらも薩摩芋の作付けを済ませ皮膚科を受診したら
癌の疑いがあり紹介状を持って都立墨東病院→国立東京医科歯科大医学部付属病院へ。
7月28日に親指を切断。
一週間で退院できましたが不自由な生活になりました。
癌を患うと絶望的になる人も多いですが
私は観念的に受け止めてます。
楽観的だと表現したのは恰好つけたかったからです。
亡くなった従妹は乳がんで乳房を全摘出したのに骨と肺に転移。
抗がん剤治療と放射線治療のフルコースにも負けず痛みにも耐えたのに
内臓にまで転移して多臓器不全に陥って亡くなりました。
私も希望を見出すのが困難な精神状態ですが
今年になって従弟が原付ツーリングに誘ってくれて救われた気分です。
この気持ちがブログでうまく伝えることができなかったみたいです。
文豪トルストイの「光あるうち光の中を歩め」を思い出します。