最近読んだ本。
めぐみ在宅クリニックのIナースが、先月ブータン旅行に行ったのだそうです。
なんでブータン??って聞いたら、大下大圓さんという、高野山の高僧で大阿闍梨のお坊さんと一緒のツアーだったと言う事でした。
このかたは、スピリチュアルケアでも有名な方で、その方とのツアーだったそうな・・。
私は、恥ずかしながらその方を知らなかったのですが、たまたまその名前が載った本があったので、読んでみました。
これは、日本ホスピスケア・在宅ケア研究会の飛騨高山大会での、講演者の内容を集めたものでしたが、あらゆる分野からそれぞれの立場でターミナルケアに関わる講師の話は、とても興味深いものがありました。
スピリチュアリティとは何か、日本人の死生観は西洋とどう違うのか・・
7人の講師の方のお話、なかなか面白かったです。
[ブッダとターミナルケア」
2日前まで読んでいた本。
題名が意表を突くというか、ちょっとおもしろそうだったので読んでみました。
ターミナルケアとかスピリチュアルは、死生観をめぐってどうしても宗教と深く関わってきます。
特別にこれと言った信仰はなくても、先祖代々受け継がれたしきたりとか、日本に根づいている「八百万(やおよろず)の神」的な考え方は、私たちの中にもしっかりと刷り込まれていますよね。
正月に神社に行って、お墓参りにお寺に行って、旅行でムスクを見て、クリスマスを祝っちゃうことが出来る日本人は、きっとこの「八百万の神」的な感覚なんじゃないかと思います。
そんな日本人でも、根底には仏教的なしきたりなどに、心のよりどころを持っている場合も少なくないのではと、最近思うようになりました。
「ひびきあう生と死」の中でも、誰かが言っていたと思うのですが(いい加減ですみません・・)仏教では、はるか昔からグリーフケアが行われていたといいます。
大切なご家族を失った悲しみを、一人で抱え込んで苦しまないように、「死」そのものを家族が受け入れていけるようにするものが、初七日や一周忌や3回忌などの法要なのだそうです。
そうして、時間の経過とともに親戚の人も集まって、死を悼み死を受け入れて行くのですね。
そういうのって、やたらめったら高額なお布施を取るイメージがあったのですが、考えてみればそんな事でもなければ、故人に関わる親族が顔を合わせる事もないですし、一人の死を巡ってみんなで会うのは、よっぽど遺産相続とかで関係が悪くない限り、すごくうれしかったり懐かしかったりしますね。
この著者も、大谷大学で仏教を研究されていた方で、のちに京都にある仏教系ホスピス「ビハーラ」の創始者や看護師、研究者などとターミナルケアの研究をされている方でした。
内容は、そのまま仏陀の晩年の説法の解釈をしながら、実際の足跡をたどり、入滅までの経過を「人間仏陀」として捉えていったものでした。
仏教を究極的な社会福祉ととらえ、キリスト教との考え方の違いなども書かれており、とても分かりやすく書かれていました。
ターミナルケアとっても、本当に奥が深いですね。
たまには、こういう本もいかがでしょうか?
めぐみ在宅クリニックのIナースが、先月ブータン旅行に行ったのだそうです。
なんでブータン??って聞いたら、大下大圓さんという、高野山の高僧で大阿闍梨のお坊さんと一緒のツアーだったと言う事でした。
このかたは、スピリチュアルケアでも有名な方で、その方とのツアーだったそうな・・。
私は、恥ずかしながらその方を知らなかったのですが、たまたまその名前が載った本があったので、読んでみました。
これは、日本ホスピスケア・在宅ケア研究会の飛騨高山大会での、講演者の内容を集めたものでしたが、あらゆる分野からそれぞれの立場でターミナルケアに関わる講師の話は、とても興味深いものがありました。
スピリチュアリティとは何か、日本人の死生観は西洋とどう違うのか・・
7人の講師の方のお話、なかなか面白かったです。
ひびきあう生と死―未来を拓くスピリチュアルケア | |
日本ホスピス在宅ケア研究会飛騨高山大会 | |
雲母書房 |
[ブッダとターミナルケア」
2日前まで読んでいた本。
題名が意表を突くというか、ちょっとおもしろそうだったので読んでみました。
ターミナルケアとかスピリチュアルは、死生観をめぐってどうしても宗教と深く関わってきます。
特別にこれと言った信仰はなくても、先祖代々受け継がれたしきたりとか、日本に根づいている「八百万(やおよろず)の神」的な考え方は、私たちの中にもしっかりと刷り込まれていますよね。
正月に神社に行って、お墓参りにお寺に行って、旅行でムスクを見て、クリスマスを祝っちゃうことが出来る日本人は、きっとこの「八百万の神」的な感覚なんじゃないかと思います。
そんな日本人でも、根底には仏教的なしきたりなどに、心のよりどころを持っている場合も少なくないのではと、最近思うようになりました。
「ひびきあう生と死」の中でも、誰かが言っていたと思うのですが(いい加減ですみません・・)仏教では、はるか昔からグリーフケアが行われていたといいます。
大切なご家族を失った悲しみを、一人で抱え込んで苦しまないように、「死」そのものを家族が受け入れていけるようにするものが、初七日や一周忌や3回忌などの法要なのだそうです。
そうして、時間の経過とともに親戚の人も集まって、死を悼み死を受け入れて行くのですね。
そういうのって、やたらめったら高額なお布施を取るイメージがあったのですが、考えてみればそんな事でもなければ、故人に関わる親族が顔を合わせる事もないですし、一人の死を巡ってみんなで会うのは、よっぽど遺産相続とかで関係が悪くない限り、すごくうれしかったり懐かしかったりしますね。
ブッダのターミナルケア | |
吉元 信行 | |
法蔵館 |
この著者も、大谷大学で仏教を研究されていた方で、のちに京都にある仏教系ホスピス「ビハーラ」の創始者や看護師、研究者などとターミナルケアの研究をされている方でした。
内容は、そのまま仏陀の晩年の説法の解釈をしながら、実際の足跡をたどり、入滅までの経過を「人間仏陀」として捉えていったものでした。
仏教を究極的な社会福祉ととらえ、キリスト教との考え方の違いなども書かれており、とても分かりやすく書かれていました。
ターミナルケアとっても、本当に奥が深いですね。
たまには、こういう本もいかがでしょうか?