Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

迷う折伏。あの人を破折して、果たして…

2019年02月09日 21時13分08秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
うちに週三回の内、一回来てもらっているヘルパーさんが、実はキリスト教徒だと判った。
 私は、相手の宗教宗派を知る為に、自分の知恵で、「あなたは今年、初詣に行きましたか?」と聞くことにしている。
 それで相手の反応を見る。初詣に行けば、神社仏閣を含む信徒だと判る。行かなければ、同じ日蓮正宗か創価か顕正会か、キリスト教かが判る。
 そこから詳しく相手の宗旨を知る事が出来る。
 しかし、この日の方は、神社は行かない、私はクリスチャンですから、と言った。
 私は面白い事になりそうだ、と思った。なぜなら、キリスト教には私自身深くかかわり、かなり私も聖書等に詳しく親しんだからだ。
 その方の行っている教会を聞くと、何と私も通った教会だった。
 その方はその教会に一年通い、洗礼を受けたと言う。
 しかし、その後、統一教会に騙され、印鑑、壺などを買ってしまったが統一教会には入らず、又今いる教会に戻ったと言う。
 その方の辿って来た半生を聞くと、今ある神のみもとに安心して憩う姿が垣間見られ、幸せそうなヘルパーさんの横顔を見ていると、なんだかこちらも日蓮正宗を宣揚し、相手の邪義を破折しなければならない所を、大目を見て許してしまい、ただ、キリスト教の神の話をこちらも黙って聞いていた。
 キリスト教の教えは欠けた所が多く、半端で、未熟な不完全で完璧ではない宗教である。それは判るが、その人の辿った人生の一部分を聞くと、なにか憐れむような、可哀想な気がして、とても破折する気にはなれなかった。
 その宗教の術中にハマった感もあるが、キリスト教の得体の知れなさと言うか、情けを誘う気分が、これだけ全世界に教えが広まった由縁なんだろう。
 その方は、私も神社の初詣は日蓮正宗では禁じているので、行かなかったですよ、と言っても、別に日蓮正宗そのものにも関心なく、ただの日蓮宗の一派、葬式仏教、偶像崇拝、としか思わなかったと思われ、興味も示さなかった。
 この日は私の完敗である。このままでは捨て置けず、語る時は一文一句なりとも語らせたもうべし、であり、日蓮正宗の事をもっと知って頂きたいと思う。
 しかし、キリスト教も手ごわい宗教だ。キリスト教から創価学会に信仰を代えた人もいると聞いたから、キリスト教を辞め別の宗教に変わる人がいても何もおかしくはない。ただ、個人的に、その人の精神生活や実生活に影響を与える宗教を、変えてしまっていいものか、と私は相手を憐れみ、その宗教を許してしまっている。
 これは私の心の弱さ。優しいようで、邪は邪と認めず、折伏は慈悲の行為、がまだ判っていないのでしょう。
 つくづく、スマートな、相手に嫌われない、こちらに火の粉が掛からない折伏などないと、思い知りました。
 本当の折伏は、針の山を登るように苦しい、と法華講の先輩が言っていたけれど、ほんとに、折伏は難しい、でも尊い貴重な命と命のふれあいなんだと思い知りました。反省。