私は余りそういう考え方を学問に対して持った事は少ないのだが、私の高校時代の女性担任教師のS先生という方は、先生が学生時代、大学進学に当たって、どの学問が実際、人を人生を救い、助けるのか、と思いつめ、かなり悩んで、やがてその先生は文学部を選び、国語教師となった。
しかし、今となっては、文学で人は救われるのか、救えないんじゃないか、と逡巡し、迷いの最中であると言う。
その時は、確か国語科で森鴎外の舞姫の時間で、法学(法律学)でも、決まりきった杓子定規の法律じゃ、法の裁きは冷たいばかりで人は救えない、主人公からそう学び、じゃあ、一体、何が人を救うのか、と話が広がった。
私の母などは、その時の話をすると、青臭いと言うか、その先生も真面目でお人好しだねえ、今時、学問で人が救えるかなんて考えるなんて、純粋なんだねえ、と言っていた。
私は、医学は、人の命も体も心も救うのではないか、とも思うが、今の医学は対症療法に特化し過ぎて、どうなのか。医療過誤、医師による殺人とも言える医学による事故事件など起こると、それも虚しい。薬学もある一面、薬で人を救えるが、時々蔓延する薬害事件・事故の問題もある。
工学部の建築学科なども、建物で人は救われるのか。救われるかもしれないが、一部の人が享受して、家庭内のホルムアルデヒドなどは救われない。
やはり、今、若い学生にも人気の、福祉の学問なども、その仕事をしている人が救われているばかりで、肝心の患者、障害者、高齢者が食い物にされていても困る。しかし、尊いお仕事だが。
経済学なんて、つぶしは効くが、所詮金儲けの学問。ただ、株のやり方は大学では教われない。
文学。文学が、精神の安定には効くかもしれないが、人間を果たして文学の活字で全面的に救えるのか。読書なら、個人で、一人静かに読んでもらって、何も大学で迄習う手間ひまが勿体ない。私は文学では人は救えないと思う。
やはり、実学、実際に役に立つ学問、特に理系に多いが、そういうものが人を救う気がする。福祉学部なども、障害者、高齢者、患者との垣根が取っ払われた時、差別が払しょくされた時、そこにエルドラド(黄金郷)が誕生する、と思う。
何が、どんな学問が人を救うのか?それは多分にそれを志向する一人一人に希求するものがどこに帰結するかで、千変万化、変わるものなのであろう。答えは百通り以上あり、答えは自分の中だけにあり、或いは答えはないのかもしれない。