創価学会は、池田大作を本仏として、池田を師匠として進んでいる。我々日蓮正宗法華講は末寺の御住職様、それから御法主上人猊下様を基調として見習っている。
創価はミニ池田を目指し、我々は御住職様に親しみ敬い、尚且つ、御法主上人猊下に心から従う。どちらがまともか、創価は在家団体であり、池田なる俗物はただの一凡夫に過ぎない。
だから創価は気色悪い。まだミニ各地に散らばる末寺の御住職様、の方が可愛げがある。
池田大作のどの写真でもいいが、見ると、汚らしい程の脂ぎった肥満体であり、チビで、これのどこが宗教家、宗教指導者なのかと思う。ただ気持ち悪い。
それでもそこの団体に収まると、そこの団体の構成員には蓼食う虫も好き好き、良く見えるらしい。
人の第一印象は大事である。誰もが抱く池田をチラと最初に見た印象は裏切れない。学会員はみーんな騙されている。
大体、顔や体付きを見ただけでも怪しさプンプンなのに、池田の二言目には、やれ、私は宗門に寺を何か寺も寄進してやった、それをあの坊主共は、私に感謝もせず、云々と、自分がさせて頂いた、という恭順、尊敬、謙遜の念では一言も言わず、自分の手柄話、自慢、慢心、驕慢謗法の権化と池田は化してしまっている。
それが末端の創価信者にまでその害毒が及び、一大謗法団体が築きあげられている始末。
タチが悪く、しかし、一人一人の学会員の心は迷い、さすらい流れ、惑っている。
この方々を、一人でも多く、早く目を覚まさせ、創価を去る決意を持たせる為なら、私は命を懸けて闘っても良いと思っている。