私は今から約三年前の平成二十九年2017年二月八日に母と共に日蓮正宗無量山寿海寺にて勧誡式を受けた。その時は、私が一人最初、単独で乗り込み、勧誡して頂いたのだが、終わると、今度は御住職様が「お母さんはどうして居られますか」「元気なら連れて来なさい」と仰られた。
私は、まずいなあ、と思いながらも、他の信徒の皆さんもその方がいい、悪い事は言わない、と私との押し問答の末、私は折れて、母を連れて来て母も一緒に勧誡式を受ける事になった。
これが結果としては一番良い効果をもたらした。その後、創価学会の信者達がうちに来て、あんただけじゃなく、母親も寺についたのか?と執拗に聞かれた時、素直に「そうだ!」と答えられて、その後はあと腐れもなく、気持ちよく創価学会からの脱会を認めさせたからだ。
ちゃんとお寺側としても、その後に私達が余計な心配、不安にさいなまれないように、用意周到に配慮が為されていたのだ。
母が昭和三十年代の創価時代に頂いたコンパクトな日寛上人の御本尊の返還を御住職様に求められたのだって、古くなったせいもあるが、あのままその御本尊をうちに下付されたままだったら、いつまた創価に寝返るかも知れない。私も日蓮正宗に入り直した際は、怖ろしい話だが、暫くは創価への回帰の気持ちも無いではなかった(その頃のブログに、私の日蓮正宗改宗を聞きつけ、創価の人間達がとんでもない事をした、と私を責めるコメントが来ていた)。
けれど、常に、うちに御安置の第六十八世日如御法主上人猊下様の御本尊様がそれはいけない、もう終わった事、今の貴方は日蓮正宗の立派な信徒なんだから、情けない考えは捨てなさい、という無言の励ましが私の迷いを打ち払った。
お寺の御住職様はプロである。何人も私の様な人を見て来ている。どう方策を打てば最良の結果が出るかを御存知だ。私も、元気に大船に乗ったように大海原を漕ぎ出してゆける。
かくて、私共親子は、総本山富士大石寺にも御登山させて頂き、福運、功徳を幾つも頂き、今は幸せに平穏無事に日々暮らしている。母は今は施設に住まうが、心は私といつも一つ、一緒だ。
母が車椅子でなく足が丈夫な時に、お寺にお連れ出来たのが、今となっては、御住職様、信徒の皆様のお蔭であり、皆様に支えられ、応援を受けて今がある。有難い事だと感謝しきりである。