Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

これだけ、読むべき課題の本がある。その紙に書き出しーAmazon kindle本・電子書籍によると…。

2025年01月13日 13時06分55秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類


 本来読むべき本を類型別、優先順位を付けて、電子書籍内のみに限るが、紙片に書き出してみた。(汚ない字ですが)。
 一杯ある。どうしてここまで放っておいたのか、と思う程である。
 それでも、読んでないで、積ん読ならぬ、格納読であり、私は何やってるんだと言う話。
 けれども、それだけ、時間を持て余さずに、自由時間に、いつでも読める余裕のよっちゃんな訳で。
 これら著作群と取り組むだけでも一筋縄ではいかずに時間が容易ではない事はたれの目にも予想想像される。良くこれだけ溜め込んだなと。
 これらに果敢に打って出て、インプット・入力中心とはなるが、なるべく、これら著作群の、三割から五割が読み切れば、上々じゃないかと思う。
 楽しみで買ったのだから、楽しく読む。そこには、私の極上の趣味の、音楽、短歌、最近凝り始めた将棋、思想信条の宗教、政治他、文学、評論、経営哲学、人生成功論(本)、道徳論、哲学書、心理学・精神医学・医学全般、スポーツ勝利への理論、タレント本、etc…。
 よくもまあ、これだけ買い入れたものだ。私の収集癖は止まらなかった。今年は、今度こそ、郡山市の図書館の利用を考えなくっちゃ。
 いいえ、家にこれだけ読む本があり過ぎて、頭が混乱するだけ。音楽CD以外、やめとこう。
 とにかく、新春も、目出たいと言っている内に成人式で、小正月の十五日過ぎれば、正月気分も晴れてなくなっちゃうのかな、など考えると、寂しい感じ。
 もう、とうに正月気分は私を除いて終わっているのか。時代・季節は目まぐるしい。

 とにかく、私は今年こそ、読書だ読書だ読書だ!!!
 入力入力入力!!!
 出力は、自身の媒体での発表を待つ事にして、この拙い文を終える。
以上。よしなに。wainai

片岡鶴太郎著「50代から本気で遊べば人生は愉しくなる」を読了※ネタばれ注意

2024年10月07日 00時32分12秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 片岡鶴太郎著「50代から本気で遊べば人生は愉しくなる」を読んだ感想。
 実際に、鶴太郎氏が目一杯遊んでいたのが、成功した二十代後半から三十代にかけて。この頃が、飲んだり食ったり、最も体形も崩れて、だらしない体型の時だった。
 その後、一念発起して、ボクシングを、その当時のライセンス取得の年齢制限33歳までに取得しようと、体をシェイプアップさせて、減量化する。この人は何事も熱心に取り組むタチだ。
 この本の初めは、序章、ものまねからスタート。に始まる。それから、今現在の彼のストイックなまでの日常生活に触れる。ヨガから、絵を描く事、役者としての人生の生き様。それらを軽く切り取って見せる。
 それから、時系列が前後して、後年に至るまでのライフワークとなる、「画家」としてのそれもスタートがこの人は熱心に凝るタチなのだ。
 それにしても、自分に限界が訪れたと、鶴太郎氏ですら自覚せざるを得ない時が来る。
 時としてお笑いから人気俳優として成功するが、ドラマシリーズがほとんど間を置かずに終了する。
 芸人、俳優なんて、やって来た事は、一般人から見たら、売れなくなれば、それまでの芸能生活など、キャリアでも何でもない。根無し草の様なもの。何をしていいのかさえさっぱり判らない。
 そうして、鶴太郎氏は、不惑の四十歳を迎えようとしていた。不惑、四十にして惑わず。とんでもない言い草だと、鶴太郎氏は戸惑う。
 一種のノイローゼ、うつ状態というのか。心の動揺が激しく、何を見ても涙ぐむ状態に。自信喪失状態に。これが、冒頭の序章から、いきなり、第二章で読者に突き付けられる。あの、優等生芸人・万能者の如くの片岡鶴太郎氏にも、こんな時期があったのか?!という、一種、安心感、同情の芽も吹いて来ます。
 そして、劇的な一瞬が訪れる。隣家の赤い花。これが最初鶴太郎氏は判らなかった。
 そして、仕事は一応あるが、そのヒマな時に、その赤い花に見とれていた鶴太郎氏に、隣家の奥様が、たまたま用足しに出て来て、一言二言、挨拶を交わす。その時に、この花が椿だと教えられる。一重のヤブツバキだと。それが素直に、鶴太郎氏は「可愛い」と思う。それが片岡鶴太郎氏と赤い椿との出会いだった。
 その感動を、実際に見た鶴太郎氏は、どうしても、「絵」に表したいと望む。
 この、鶴太郎氏の凄い所、見習うべき点、所は、最良の師匠にすぐに見習いに伺う姿勢だ。
 最初に、お笑いの世界に飛び込んだ時も、女優の家の前に何時間も弟子入りの為に出待ちして断られ、最終的には、片岡鶴八師匠に弟子入りする。
 ボクシングも同じ。元世界ライトフライ級チャンピオンの渡嘉敷勝男さんや、スポーツインストラクターにチャック・ウィルソンさんを選ぶなど、ちゃんと自分の習いたい動機付けの基となる時に、師匠を選んでいる事が、この人の後の大成してゆく基礎の基礎として位置づけられる。
 絵も、結局、三人、それ以上の先生に習い、ヨーガも先生が特別にいたようだ。
 習うには慣れろ。先生、師匠を持つ事の利点を、この片岡鶴太郎氏ほど知悉している方はいない。
 それに、彼の場合は、「守破離」の、上達の段階がある事を良く知り抜いていました。
 師匠の教えや技を真似て身に付ける段階(守)、身に付けた師匠の教えや技を発展させる段階(破)、師匠から離れて自分独自の新しいものを生み出して、それを自分のものにする段階(離)。
 これを「はじめに」でも、最終の章でも、繰り返し片岡鶴太郎氏は、説得力を持って、読者に問い掛けます。

 私はこの本を読んで、師匠を持つ芸人さんは過去には沢山いましたが、現在では、弟子を取る芸人の師匠さんも少なくなって来て、こういった、師弟関係を結べた片岡鶴太郎さんのケースは、今では、レアケース、貴重な人生の糧だったと思います。「男はつらいよ」の渥美清さんは弟子を取らない事で有名で、この鶴太郎さんにとっては、願っても果たせなかった弟子入りの模様が、この本の、冒頭と最後に散りばめられています。そして、御本人との夢の対面も。
 しかし、現代でも、探せば、教えてくれる師匠というのは、何処かにはいるはずです。

 私は、個人的には、師匠は、ギターに於いても、かつてたしなんだ、ピアノにしても、それを言ったらキリがなく、カリンバにしろ、半年間だけの自身に取っての先生についた習得期間があった複音ハーモニカにしろ、全てに於いて言えるのですが、私は片岡鶴太郎氏式の、何でもちゃっかり、先生役の人に教わって習っちゃおう、という方式には、今現在、私は背を向けます。
 その時代時代に応じた、勉強の仕方、技術の習得法も、この現代生活にはあるという事です。
 それこそ、未来のそれら、お笑いにしろ、音楽楽器の技術習得にしろ、その頃には、りっぱに「AI」が師匠役を御指南して、立派に果たしているかも知れません。今までの、現実に即した、成功体験をもとにして、AIがどういう役割を未来の人類に果たしているのかは、これは想像する以外に現段階ではあり得ませんが、決して、絵空事とも言えません。 
 立派に、子供達を始め、大人に至るまで、教育システムがAIによって自動化されれば、その分の教育経費も浮いて、そこから新たな人材が輩出するやも知れません。
 しかし、これはあくまでも、未来予想図であって、やはり、人の手の柔らかさ、温かさ、ぬくもり、といったものは、人でなければ表せない人にとっての唯一の表現法なのかもしれず、未来はより、混沌として、五里霧中で暗中模索の最中なのであります。
 
 ともかく、習うよりは慣れよ、との言葉がこの稿で飛び出した、これは何事も肝心であり、趣味の世界では、ほぼ、常識的な言葉かもしれません。
 何事も、怖れているばかりでは、何事も前には進まない。とにかく、前へ、前へ。
 明治大のラグビーの手法は「前へ」であり、早稲田のそれは「横へ」が伝統のラグビーボールの選手達同士への渡し方である。
 私は明治の手法に習いたい。明治出身ではないのだが。法政は何だっけ。そんな作法すらない。ラグビーの早明戦は、六大学野球の早慶戦の再現版か。

 閑話休題。それはさておき。話がとんでもない方へ飛んで行った。とにかく、片岡鶴太郎氏の周りには、優秀な先生、師匠に恵まれて、それは立派な人生を歩む素地となっている。私も見習いたいが、打ち出の小槌、出るものがないと来ている。 

 最後に、片岡鶴太郎氏の、学校時代を振り返る。 
 もう、小学校5,6年時代から、「お笑い芸人になる」とハッキリと志望していたようである。彼の場合、東京西日暮里に生まれて、父親が落語好きで、良く父と一緒に寄席に通った。
 小5でテレビに出て、ものまねでいい所まで行くが、その番組がこれもいい所で終わるという憂き目に遭う。
 しかし、この時のADの横澤氏が、後の「オレたちひょうきん族」のプロデューサーとなり、再会を果たす。これが人生の面白い所だ。
 高校受験となるが、全く勉強はダメだった鶴太郎氏。家はお金がなく、私立はダメでどうしても都立へと家族からの要望が。
 中卒の最終学歴だけは何としても避けたかった鶴太郎氏は、勉強の仕方が判らない。教科書を開いても判らない事ばかり。
 教科書を中二、中一と開いても判らずに、小6の教科書にまで遡ると、何となく理解できた。
 夏休みに突入するや否や、神田神保町の三省堂書店に出向き、小6から中三までの国・数(算)・英の参考書と問題集を買い込んで、ひたむきに背水の陣で勉強に臨んだ片岡鶴太郎氏。
 どんどんとはかどり、小6から取り組んだお陰で「ああ、判る判る。解ける解ける」と問題をクリアしてゆく。やっとの事で、中一、更に中二から中三に入り、「そうか、先生が黒板に書いて教えていたのは、こういうことだったのか」と合点がいった。
 そして、復習して全て判ると、今度は素直に予習のスタイルへと代えていった。
 芸人になりたい。中卒で終わりたくない。高校受験に受かりたい。これで追い詰められた結果が、成功を生む。この学校時代の体験が大いに後の芸人生活の人生の下支えともなったと鶴太郎氏は言う。
 その後、劣等生だった彼が、90点満点中85点を取り、学年で十番以内に入る。担任教師にも、カンニングを疑われる程。
 そして、担任には学区の難関都立「上野高校」を勧められる。
 しかし、片岡鶴太郎氏は、最初から志望校が決まっていた。「都立竹台(たけのだい)高校」だった。
 ここは、元女子校で、きれいな女の子が多かった事も理由の一つだったが、本人も、動機はかなり不純だったと言う。しかし、それ以外にも理由があり、そこは卒業生に作家の有吉佐和子さん、音楽プロデューサーの加藤和彦さんという方々が揃い、文科系の濃い学校だった。
 後の後輩に、林家正蔵さんも輩出している。将来、芸能人になるならば、そうした校風が一番自分には合っているのではないか。
 そして、合格を果たした。後は遊ぼうと思い、大学進学は毛頭考えなかった。そして、芸人になる為にはどうしたらよいか、そればかり考える内に、同級生から「演劇部」に誘われ入部する。
 元々その学校では、本格的な演劇部であり、一年上の先輩に、後に「文学座」で活躍する梅沢昌代さん等がおり、偉大な先輩についてゆくのに必死であったと言う。
 演劇スタイルは不条理劇。そのなんたるかは知らずとも、次第に舞台上で声を出すのは無条件で面白いと思う。演じる事の楽しさを知る。
 そして高三には演劇部の部長にまでなる。高校生活では、芸人も役者も同義と気付く。ものまねも演じる事につながると肌身で感じた。

 ざっと、片岡鶴太郎氏の学生時代を振り返ったが、彼の人生は、この後が見逃せずに、面白くなってゆくのである。
 それは、あのひょうきんな芸人スタイル、俳優としての顔、ヨーガにいそしむ姿、ボクシングにストイックなまでに打ち込む精神性。そんな彼の一途な生き方が、この一冊には、封入されている。

 これを読んで、タイトルが、「50代から本気で遊べば人生は愉しくなる」の文字に踊った、私が期待した彼の生きた人生、生き様が、そのまま、生き写しで、私に迫って来るのを、この肌身で感じざるを得ない。
 それは、猛烈な、これから五十代、六十代と、人生を秋から冬へと向かう、黄昏の季節を前にした、人生模様、生き方の教科書としては、少し自分にはハードルが高すぎる感はある。
 しかし、同じ人間なのである、皆。他人に出来て、自分に出来ない筈は無い。
 
 彼の学生時代を振返ったシーンを読んでいて、その、学力向上のシーンについては、私も「腕に覚え在り」で、実際に、校内で二百人、二百五十人ごぼう抜きの、中学校時代の、高校受験での愉快痛快な学習体験が私にもあり、とても共感した。他人事ながら、わたくし事として、懐かしく読ませて頂いた。
 
 私は思う。人の生き方は百人百様。千人、万人いれば、それなりの感慨を皆それぞれに持つのが当然だ。
 この世に、完全なる、完璧な生き方などは決してない。私は、途中、人うらやましくて、ヘンテコなる、AI万能論、のような変ちくりんな説を唱えたが、あんなもの、放って、捨てて置いた方が万人の為だ。AIなどに、人の肩代わりが出来ようか。 
 しかし、実際には、現実的には、音楽の世界でも、有効にAIが使われ始めている。 
 「ザ・ビートルズ」の最終の楽曲となった「Now and Then」。あの曲にも、実際には、亡きジョン・レノンの身代わりにと、AIが忍ばせるように使われているという。
 そんな時代に、もう、我々は、この世の異体験として、既に、この身近な世界の一部となって、AIが入り込んでいるのを、私達は忘れてはならない。

 例によって、話が大幅に脱線に次ぐ脱線で、文字数も長文と化した事を、非常に失敬で、申し訳なく思う。

以上。よしなに。wainai

「敷金・職質・保証人ー知らないあなたがはめられる」烏賀陽弘道著、を読了。今現在進行形の自公政権の未来について!テレビでは事実は見えてこない!

2024年08月17日 17時05分42秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

「敷金・職質・保証人ー知らないあなたがはめられる」自衛のための「法律リテラシー」を備えよ、烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)著、を本日、読了した。
 日本国民の無知に付け込み、警察、司法などや、貸家の家主の不当な搾取、法的に認められない事実を列挙しつつ、それにどう対処してゆくのかを論じて、考え、対処法をアドバイスする。
 例えば、敷金は、大家は、これは返す事が原則になっているのに、敢えて無知な借主に付け込み、返さない。後は、警察の、街角での職務質問も、これも法的には強制力はなく、断る事が出来得る案件である事を、この著者は力説する。
 そうして、これら事実が、「警察官はヤクザ同然」「裁判官は世間知らずのバカなのだ」「所詮あいつらはマスゴミだから」といった、「人間的資質」のせいにする事は、余りに愚かで賢明ではないとする。
 これは、間違った問題設定であり、問題の本質・原因を隠し、現実の改善を妨げるものだとする。
 ここで露呈しているのは、「法律」「制度」「組織運営」といった「システム」に何らかの深刻な障害、故障が起こっている結果と考えるのが妥当だと著者はいう。
 法律や制度が機能不全を起こしている。ならば、改めればよい、と。
 西欧の格言に「知識は力なり」(Knowledge is power)との言葉があると。「知っている事で、あなたには力が備わる」という意味。敷金は入居者に返還するのが原則、と「知って」いる事で、退去時に、貸主に堂々と請求が出来得る。そうした知識を、「力」を、あなたは「自分の身体や財産の安全を守る事」に使えます。あなたの財産を不当に奪われる事は起きません。それが著者が言う、「自衛のための知」なのだと。
 元々、この著者は、Jポップから、インターネット、メディアリテラシー、福島第一原発事故など、手広く本として書いて来たという、朝日新聞社会部記者であり、ニュース週刊誌「アエラ」編集部員・記者でもあった。その後、退社しフリーランスの報道記者・写真家として活動している。
(これらは主に、筆者あとがきから、主要なものをかいつまんで書き表わした。)

 それにつけても、私も、実は数年前に、警察のパトカーによるパトロールの最中に、職質、職務質問に遭っているのである。
 これは数年前の、今の時期の様なお盆に、私は近所のコンビニへと、自転車で悠々と車輪を走らせて、何気なく、警官二名を乗せたパトカーが私の横を通り過ぎるのを、そのまま見送ったのだが、これがしくじりの元だったが、そのまま目線は、パトカーに釘付けとなったのである。
 それはそうだ。この住宅街では、滅多な事では、パトカーなどに出食わす事など、有り得ないからである。
 それで、じっと、後ろを振り向いてまで、私はパトカーを見送った。
 その後、私はゆっくりと、コンビニに向かって、自転車のカギを掛けようとした瞬間、先程のパトカーが、ウーとサイレンを大袈裟に鳴らして、私の目の前に現れた。
 そうして、あなたの身辺を調べさせてもらう、と、確か、警察手帳を見せて、私のカバンを調べ始めた。
 その後、カバンに異常がないのを確かめて、今度は私のズボンのポケットの中身を、外側から手でまさぐり、その後、私に、ポケットの中身を、この網の中に入れろ、と指示した。
 そこで私は、ポケットの中の、家のカギやら、ティッシュ、ハンカチ等を、その中に入れた。
 そして、二人の警察官は、一人が私に対応し、もう一人は周りを常に伺っていた。
 そうして、私に、本当にこの、これらだけしか、ポケットには入っていないのですね、と聞いて来たので、ええ、ハイ、と答えた。
 それで、何も事件性がない、無事なのを確認した警官二人は、その押収物を私に返還して、何ら謝るでもなく、さも当たり前のように、帰っても良い、との指示の下、私は無罪放免、又もや自由の身となった。
 これには、私の不審な行動、パトカーを見つめ続けた、その点と、この時期はお盆であり、この住宅街には、色々な地方から、帰省で地元に帰って来る。それには、中には物騒な犯罪者も紛れ込んでいるのかも知れない、との思いが、私にも納得せられた。
 この日は、私以外にも、このコンビニへの、沢山の買い物客が数人以上いた。その中から、あえて、気の弱そうな私を選ぶ当たり、この警官達も相当、気が弱かったと見えた。自分の同類項に、人は惹きつけられ得るのであるからして。
 しかし、この本を読む限り、これに応じる理由など、一切ない事になる。
 けれども、この職質は、元国家公安委員長や、国会議員、弁護士に至るまで、皆、犠牲になっている事であり、日常的に行われているが、不正な、不法かは微妙だが、警察官の個人の得点稼ぎにはなっているというのだ。
 その件に関して、私はこんな事があった、と、その後、うちに来ていたヘルパーさんに早速言ってみた。すると、○○さん(私)がそんな目に遭うなんておかしい、そんな風には全然見えないのに。その警官がよっぽどおかしいんだ。と言ってくれた。
 私の菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の元女性講頭の、Gさんに早速電話を入れると、Gさんは、その時に、お寺の本や、お数珠、お経本は持ってなかったのかい、と聞かれて、勿論、私のカバンの中にはそれら、「仏教セット」が入っていました。というと、Gさんは、それがあれば、立派に折伏が出来ただろうに、勿体ないねえ。又、機会があったら、チャレンジしてみな、と、その御指南は、悠然、御立派たるものであった。
 その言葉に、私はせっかくの、警察官二人もの、日蓮正宗の折伏の獲物、対象者を逃がした悔しさで一杯であり、忸怩(じくじ)たるものを感じざるを得なかった。「ここで会ったが百年目!」との、正に恨みを慈悲で返す、意気に感ずる想いだ。
 とにかく、不当な警察権力が、この街を舞台にして、繰り広げられている、という事。この私は元はと言えば、母の父親、詰まりは私の祖父が、実はかつては弁護士出身の警察官僚だったと言う誇りさえ持っていたのに、このザマだ。これには不服でもあった。
 それにしても、敷金、職質、保証人、これらには、非常にこの社会を生きる私達にとっての落とし穴であり、いついかなる時に、裁判にかけられたり、被告、被疑者とされかねない危険性がこの社会にはある。それらを打破するには、それらを構成する、仕組み、システムを改変する以外にない。
 もう、西欧では、マスコミその他が、司法を監視するシステムが既に確立しているが、この日本という国は、マスコミが先程も私は言ったのか言わないのか、機能不全に落ち込んでいる。

 この本には書いてはいない気がしたが、マスコミの自由度では日本は世界で確か70位前後である点を考えても、「テレビ真理教」では、ダメな気がして来た。
 インターネットの情報も玉石混交だが、そのうちのお寺の元女性講頭さんも、ネット情報に手慣れた娘さん達仕込みおかげで、我々日本国民はもう通ったのか、危険な、国民皆がワクチンを強制的に打たれかねない法律を政府は通そうとしている。
 そして、そのアメリカでも使わない代物のワクチンの実験台に、我々国民がされようとしているんだと、アメリカの不使用の在庫余りのワクチンを日本が全て買い取り、それを日本人だけが有難がって、自民党・日本医師会が中心になって、アメリカの製薬会社、ファイザーやらモデルナらが、大儲けしているんだと言った元講頭さんの反応であった。ここまでは正しい。
 この知見は、テレビのみでは得られない、正に娘さん達のインターネットの情報を見事に取り入れ仕入れて、自分の身を守ろうとする、一身に日本の太平を祈る講頭さんではある。

 しかし、やっぱり、テレビ真理教信徒の限界を感ずる。
 私は、その時のテレビの視聴はしていなかったので、知らないし判らないが、きっと、岸田に有利な、勤続三年間の軌跡のような悪徳番組や、総理後継の指名は誰か、誰がこの国のかじ取りを為すのか、とかいう、まだ総選挙すら行っていない。それなのに、党の表紙だけ替えて、飾りを、見た目を良くしてこれから起こり得る総選挙戦を戦おうとする自民党政権の悪辣極悪さ。その傲岸無比さ。
 誰が首相にふさわしいか、ではなくて、本来、そもそも、お前ら自民党政治家には、首相すら、政権を担当する能力資格すらない、与えられてはいないのではないのか、果たして!元はと言えば。日本国民の一般常識から考えても。
 実に下らない政治放送報道ばかりで、この国の民衆を惑わせ、去年末から今年にかけての、「裏金問題」をも駆逐、反故にする、由々しき問題、事態だ。
 それに加えて、政治と宗教の問題。「統一教会」「創価学会率いる公明党」の邪教、邪政治団体のこれらも悪党共の、悪事が大いにバレているのに、一切、報道しようとしないマスゴミ共。それを、すぐに忘れる国民性。水に流すという、悪風習。
 とにかく、この国は、国民共々、少し狂っている。国民の大多数が、今まで悪だと思って来た空気が、岸田が降りると宣言した次の日の朝には一新されたかのような、まるで、この調子だ。これでは先が思いやられるよ。

 元はと言えば、本の書評、感想だったはずが、何故か政治評論、テレビ論へと向かってしまいました。脱線してしまい誠に済みません。

 以上。よしなに。wainai

現執行部への疑念を晴らす。それと、西郷南洲(隆盛)の思想。『敬天愛人(天を敬い人を愛す)』読者の皆様へ長文失礼

2024年08月06日 12時58分01秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
初めに。
=この文章群の根底には、現時に於いては、執行部に向かったが、それは正に畏れを知らぬ間違いであったとおのれ自身で気付く。妄想も我ながらここまで来ると実に恥じ入るとともに、怖ろしくもある。私の完全なる判断間違いミスジャッジだ。それへの詫び入れとして、後半部には、私の敬愛する郷土の名士、英雄、鹿児島からの先祖、祖父の同じく尊崇した「西郷隆盛」の言葉を稲盛和夫氏の名著から引用して掲げて載せた。この言葉で大いに反省を致し、慰められた。時として、言葉は選んで使わないと、多くの人を傷つける基ともなり得る。

 正に、日本が第二次世界大戦に突入するきっかけとなった、真珠湾攻撃。織田信長に対して、三日天下と言われた、明智光秀。いずれも、悲劇で終わるが、歴史は悲劇では終わらない。日本は戦後の復興を遂げて、やがてはアメリカをも脅かす経済大国へとのし上がった。明智光秀も、後の天台宗の高僧、徳川幕府にも取り立てられたと言われる、天海へと成り代わった、との伝説もある。
 今は例え仮に荒唐無稽に思われようとも、私は真実には叶わないと見抜き、想い、考える。そして、努力は報われない事など決してない事を知った上で、その努力を、我が人生の願いとして、この誓いの言葉として、再び誓うものである。
 私は人相を観ただけで、その人間が本物か、真実にたる人物か、或いは全くのニセモノか、その因って立つところはいずこからか、全てお見通しだ。
 企業など、百年続けば、十分老舗であり、そこまで続いた企業など、皆、一握りだ。大抵の企業など、一切が、十年単位、中には数年で皆、水泡のように消えてしまう。そして、その企業の存続が何百年、千年単位となれば、それこそ一社、二社数社との、稀有な存在だろう。
 しかし、宗教教団は、事を異にする。どんな邪宗邪教でも、何十年、時には百年単位の栄枯盛衰を繰り返す。キリスト教などという邪教は、その命脈を千年、二千年と息を永らえさせて、世に悪弊、害悪を振り撒いている。その仕組みは、怖ろしいくらいだ。
 正に歴史は繰り返す。そして、歴史は、成功も失敗も表裏一体だ。今の勝者が果たして後々まで勝者でいられるのか。逆に今は敗者でも、いつまでも敗者が真実なのか?!これを今、私は問うているのである。=

本論。私の言い分。
 私は今朝、八時に、或る幹部から、こんなTELをもらった。
 私が要件は何か?と聞くと、朝っぱらから、九月の総登山への誘いであった。
 私は、うちの母の具合が思わしくない事。お金が年金暮らしの為、現在カツカツであり、とてもじゃないが、そんな余裕さえない事。今年は三月末と、六月下旬にもう二度も行っていて、行く務めはとっくに果たしており、今年はもう、九月は行かない事に決めている事。等々を相手には伝えた。
 その人は、お母さんの為にも、総本山へ行って、祈ってきっせ、と言い募り、人の気を引こうと躍起になっているのが判る。
 私は、もしもの事が、母に起こったら、どう責任取るんだ、それに、私自身が、道中の事故などになったら、これも責任は誰が取るんだ、との言説を言い募っても、そんな事は起こらない。滅多な事では起こらない。そんな言い振りであった。私は、万に一つ二つ、実際に起こってみないと判らず、そんな事を赤の他人に軽々に言われたくはないと実感として思った。
 それで、相手は、いいことずくめ、いい事ばかりの話で終始して、電話を締め括った。それに対して私は、どうにも、話としては非常にムシが良過ぎるきらいがあるのを思わずにはいられなかった。

ここで、私自身に反省と自省を試みる。
 しかし、私は非常に恵まれている。せっかくこうしたお誘いを受けたという事は、私はその時までは、特別待遇で、その幹部さん、実を言えば副講頭さんの御目こぼしに合い、ご理解を賜り、御配慮を有難くも頂いている根拠・論拠にもなり得る。何も私が恨む話でもあるまい。ここは断るにしても、穏便に済ませて、それら、私の恨みやすい根性は、三毒、貪瞋痴(とんじんち、貪り・いかり・おろか)であり、恨善・憎善・嫉善・軽善の、十四誹謗、破和合僧ともなり得る大罪であろう。
 ここに深く謝するものである事を、現講頭さん副講頭さん達には、私から申し上げねば、至らぬ私の面目、そんなものよりも、それら方々への、仁義が廃るのである。これらは、立派な悪い罪障となって顕れないよう、日々のお題目をもって、祈る次第である。明らかに、私に非があり、向こうは正義大義があるのであるからして。ここは何としてでも丸く収めたい所である。私は、全面無条件降伏も辞さぬものである。
 

ここで、地区婦人部長、O合さんから一言(TELで相談)
 人生で、取り返しがつかない事がある。一度言った事は取り返しが効かない事が多い。wainai君(私)は、反省する事ばかりで、追いつく暇もない。
 とにかく、謝ってばかりいたって、言った事は取り消せない。私も良く、講頭さんには言うんだ。wainai君は一人暮らしで、寂しいんだ、きっと。だから、みんなに絡むんだ。そこを判ってあげて欲しい。若手への嫉妬も、皆wainai君の寂しさから来るんだ。
 とにかく、反省したって、wainai君の場合は、罪障積み過ぎて反省し切れるものではないから、反省は程々にして、今回の事はしょうがないから、ゆっくりご飯を食べるなり、自分ばかりを責めないで、健康的に生活を組み立て直して、過ごす事だ。
 終わった事ばかりに目を向けずに、地道に努力を重ねる事。そうすれば、いずれ、判ってもらえる日が来る。(私:有難い。O合さん、ありがとう。うれし涙。)


「人生の王道」西郷南洲の教えに学ぶ・稲盛和夫著から
 ここに、西郷南洲(隆盛)の遺訓を、稲盛和夫著の、「人生の王道」から、その西郷の語った主要な部分を抜き書きする事として、読者の皆さんとは、お別れお開きと致す。

[遺訓二一条]
 道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」(『論語』)と云えり。
 総じて、人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能(よ)く古今の人物を見よ。事業を創起する人その事大抵十に七八迄は能く成し得れ共、残りの二つを終わり迄成し得る人の希(ま)れなるは、始めは能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕(あらわ)るるなり。功立ち名顕るるに随(したが)い、いつしか自ら愛する心起こり、恐懼戒慎(きょうくかいしん)の意弛(ゆる)み、驕矜(きょうきょう)の気漸(ようや)く長じ、その成し得たる事業を負(たの)み、苟(いやしく)も我が事を仕遂げんとてまずき仕事に陥(おち)いり、終(つい)に敗るるものにて、皆自ら招く也。故に己れに克ちて、みず聞かざる所に戒慎(かいしん)するもの也。

(訳)
 道というものは、この天地のおのずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人(天は神と解してもいいが、道理と理解すべき。すなわち、道理を慎み守るのが敬天である。また人は皆自分の同胞であり、仁の心をもって衆を愛するのが愛人である)を目的とし、自分の修養には己れに克つということをいつも心がけねばならない。己れに克つということの真の目標は論語にある「意(い)なし、必(ひつ)なし、固(こ)なし、我(が)なし」(当て推量をしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。すべて人間は己れに克つことによって成功し、己れを愛することによって失敗するものだ。歴史上の人物をみるがよい。事業を始める人が、その事業の七、八割まではたいていよくできるが、残りの二、三割を終りまで成し遂げる人の少ないのは、はじめはよく己れを慎んで事を慎重にするから成功もし、名も現れてくる。ところが、成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心が起こり、畏れ慎むという精神がゆるんで、驕り高ぶる気分が多くなり、そのなし得た仕事をたのんで何でもできるという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから、常に自分にうち克って、人が見ていないときも聞いていないときも自分を慎み戒めることが大事なことだ。

 西郷のいう「道」とは、つまり誠(まこと)のことです。中国の古典、『中庸(ちゅうよう)』の中に、
 「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」
 という言葉があります。誠実、誠を尽くすことが天の道であり、その天の道に従い生きることこそが人の道だということです。

ーーーーーーーーーーーーー(以上、引用終り。)
(これら文章は、稲盛和夫氏の著作引用以外は、大幅に大々的に元の記事の原型を止どめぬほど、文章に手を大量に書き加えて、悪しき文を改めて、原作を改作改定改変を施したものです。)
長文失礼。以上。よしなに。wainai

「前頭葉バカ社会」和田秀樹著、を読了する。郡山市西部の書店、本屋事情。

2024年07月29日 15時54分15秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 「前頭葉バカ社会」和田秀樹著、自分がバカだと気づかない人たち、を読んだ。
 最後の方のページには、精神科医・和田秀樹先生と、作家の橘玲(たちばなあきら)氏の対談が載せられている。
 そこでは、最終的には、高齢者が今後のAIの最も大恩恵を受ける立場であり、それは、認知症の方、等々、問わないそうだ。
 わがままな人の方が、AIの恩恵を受ける。そして、この国の少子化を改めようと、国は躍起となっているが、逆に子供が増えたとして、その頃の未来の日本には仕事がない、という現実も踏まえねばなるまい、と力説する。
 そして、高齢者から自動車免許をはく奪している現状だが、AIによる、自動車自動運転が開発・実用化されれば、その奪われた高齢者達の免許証はどうやって取り戻すのか。認知症の有無に関わらず。そもそも、この国に、免許制度自体が要らなくなるのでは、との和田氏のぶっ飛び発言も飛び出す。
 とにかく、全般のこの本では、日本人の9割は前頭葉バカ、として、知らない事より考えない事がコワい。前頭葉を使わないと脳と体は老化する。
 前例重視、行きつけの店しか行かない、大体筋のわかる同じ著者の本ばかり読む、やる前から答えは決まっていると諦める、正義か悪か、敵か味方かの、二元論に陥りやすい人…。
 これらは、この本の表紙に書かれている要旨だが、そのまま、本書の内容とも合致する。
 養老孟司推薦とは書いていて、本当に少し、和田先生は養老先生を尊敬する立場から賞賛するが、出て来るのはほんの少しである。
 とにかく、この本を、私は、今年の春、否、冬であろうか、だいぶ長く寝かせていて、今日の今、読み終わった。読後感は、良好である。
 しかし、これは、この先生の本、たしか、五十代に向けて書かれた本でもその感想、私は書いた記憶があるが、この先生の説だと、今も言ったように、同じ傾向の本を書いている同じ著者の著作を読まない方が良い。それは「前頭葉バカ」を育てる。的に書いてあったので、しかし、私にとっては、和田先生の本は、非常に読みやすいのだ。語り口としても。
 だから私は、性懲りもなく、又もや、和田秀樹著「本当の人生、人生後半は思い通りに生きる」を電子書籍で買い求めた。私もだいぶ「前頭葉バカ」なのかも知れないが。
 それと「長生きはメンタルが9割」という電子書籍も購入。私は和田ファンだ、こうなれば。
 けれども、私は、今現代的には、紙の本は、場所も取るし、重いし、売れば二束三文で、それに比べて、電子書籍は、場所が要らない、その場で早く買った時点で読める。ダウンロードの便利さ。これらを挙げれば、電子書籍の方が、今の世の中、軍配が上がる。
 しかし、その、紙の本の、重厚感、仕上がり感、手に持った時の所有感。等々、私はまだまだ、紙の本の方が、存在価値はあるのだと思う。
 それにしても、電子書籍は、紙の本よりかは、平均して、数百円は安い。しかし、心を込めて製本された本、書籍の形としての重厚感には、これは叶わない。もっと、電子書籍は安くてもいい筈だし、紙の書籍は、高いのは困るが、需要が増して欲しいとも思う。
 電子書籍は、今言われる、目には余り良くはない。ブルーライト等で…。
 しかし、昨今の、書店、本屋さんの閉店ラッシュには困ったとも思っている。私の現在住む郡山市西部には、幸い、大型書店が、大駐車場とともに残ってあるが、これが我が街の地区では、郡山市全体では書店が何ヵ所かまだあるが、最後の本屋、書店の牙城だ。これをなんとしても死守せねばなるまい。
 ともかく、私は、本・書籍を愛する者である。そして、紙の本の重たく、読んだ後の邪魔な感じも分かるが、愛着感も増すのである。それが紙の本の良さだ。
 いろいろ話してきたが、私の書籍を愛する気持ちは、電子書籍だろうと、紙の本だろうと、変わらない。ただ、地域、地方都市に住む者にとっては、書店、本屋さんは、街にとっては死活問題なので、出来るだけ残って欲しい。
 その為にも、現代風のアマゾン一社偏重でなく、地元の、私の郡山で言えば、ツタヤみどり書房桑野店、この一店を守り切る、そんな気持ち、気概が、我々市民にも必要だ。
 これは、郡山市唯一のデパート百貨店の、うすい百貨店にも、当然敷衍(ふえん)して、言える事なのである。
 話が脱線しそうなので、今日はこの辺で終わりにしたい。
以上。よしなに。wainai

金欠病の為、サブスク、解約しました、wainai(私のメール記事から) 1分前2024/07/27 土曜日 19:25

2024年07月27日 19時27分15秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
アマゾンキンドルアンリミテッドを、
今日付けで、解約致しました。

来月の22日までの契約で、それ以後は解約、契約破棄です。
おそらく自信はなく、ろくに契約書等も見ずに契約してしまったもので、
あれなんですが、きっと、来月まで980円払えば、

或いは9月まで引き伸ばされるか、
知りませんが、とにかく終わる事は終わります。

この千円弱が我が家にはボディーブローのように
効いていたのです、負担感が。

本を定額で借りる仕組みでしたが、
結局はお試しでも、内容が良ければ買っちゃうんです。

或いは、読みたくない本は、そのままうちにある本同様、

積ん読状態か、すぐ返すかの二択。

二十冊まで借りられる計算で、私も最初は借りすぎた事もあった。

しかし、上限を越えれば、それ以上は借りられないし、
お金は定額980円のままだから、
一冊ずつ返してた。

結局、買いたくなる本は特別借りなくても買うし、
アマゾン全体の全部の本が借りられる訳でもない。数は限られて来る。

しかし、アマゾンのレンタルのネットワークは凄く、
東洋経済から確か文春、他、結構穴場の本、

今の私だったら、趣味本の、短歌、ピアノ、小説を読んだり、
俳句も読めましたね。

しかし、たしか、現代語訳付きの、小林一茶だか、松尾芭蕉だか、
何千ページだか、一万ページだか忘れましたが、全集が、

それだけ読むのにどれだけ掛かるのか?

そんなの一生掛けて読むものを、大俳人が一生かけて遺した膨大な作品群を
借りたまま一生過ごすのか、という話。

非常にコスパがわるいんです。
二十冊の上限には、常に俳句の一茶や芭蕉、が置いてあるのが。

だから、結局買ったり、諦めてみたり。

諦められればいいが、高いのを、ポンと買ってみたり。

時には私の好きな短歌の(私は実際に無料で大槻公民館で短歌の歌会に出て習っています)
「古今和歌集」などや、「万葉集」などは古今集より大規模で日本一の大歌集ですから、

膨大な歌の数量となります。

これを、レンタルで、一ヶ月980円にしろ、
借りてる手間賃がバカです。

だったら最初から安ければ買った方が早くて確実ですし、手元に置ける一番安心感がある。

そして、この契約は期間にして一ヶ月千円。十二ヶ月で一万二千円弱。

これだけのお金があれば、何かしらは別口で買えるでしょう。

ここがサブスク、サブスクリプションの恐怖、落とし穴です。

私にもしもの事があれば、誰が解約するのか。

これにまんまとうそぶかれたって寸法だ。

もったいない話でした。

このお金が浮いていたらと考えると、痛恨の極みです。いいお客さんだったと言う訳。

とにかく、現金で買った電子書籍も、数十冊、百冊近いの膨大さであり、
これを読むいとまもないのに、これ以上、次から次と
借りる方がおかしい。読むヒマもない。

とにかく、今日付けでAmazon Kindle アンリミテッドを解約した事を、

広くお知らせしたく、参上つかまつった次第で御座います。

以上。よしなに。wainaiより

※編集後記
今まで、このサブスク、サブスクリプションの利便性に心底慣れ切ってしまい、
後遺症、と言うのか、麻薬をやめた人の禁断症状のようなものに、
一時期苛まれたりもするかも知れませんが、
社協あんサポ、A相談室の皆さんには、
御注意、御鞭撻を賜り、
温かい御指導、宜しくお願い致します。

とにかく、来月の22日までは、自由期間で残りの日数を試せるので、
今までの反省がてら、期限つきで借りた本を精選して、
読書したいと思います。

よしなに。


「平和な国」日本の裏側・堤未果著。こういう私が読みたかった本もあるという事。その見本例。

2024年06月15日 18時43分35秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類


「平和な国」日本の裏側     単行本 – 2022/9/20

堤未果 (著)
3.5 5つ星のうち3.5    2個の評価

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「ウォール街が一番怖がっているもの...」

それこそが、日本人が古くから育んできた、わたしたちの頭の中にある知恵、
「お互いさま」という精神性です。
どこまでも自分自身と深く向き合う、崇高な文化や伝統、いのちに優劣はなく、人間もまた万物の一部であるとするアニミズムの思想……

そういうものがなぜ、ウォール街にとって恐ろしく、計画を脅かされる存在なのでしょうか…?

それは、絶対にお金で買えないからです。

日本には、お金で買えない知恵がある。
日本人は、お金で買えない精神性を持っている。

日本が持つこうした“宝”の数々は、どれだけお金を積んでも、決して買えません。

だから、日本が狙われるのです。

日本で巨額のお金が動くところには、アメリカの民間金融企業の影があります。
実は私たち日本人の生活が、アメリカの企業たちに握られているという多くの事例がすでに存在していました。

そのような「事実」をマスコミが報じることはありませんが、安心してください。
政府、企業、金融機関の「お金」と「人事」を丹念に追えば、きっと真実が見えてくるはずです…

目次:
プロローグ
新型コロナウイルスの裏でほくそ笑むウォール街

第1章 カネで世界を動かす“神々“
桁違いに稼ぐ「ロビイスト」
マスコミは個人にフォーカスするので注意
封印された狂気に再び息を吹き込んだクリントン
政界と業界をつなぐ「回転ドア」
金融危機を引き起こしたウォール街を誰も取り締まれない
オバマは回転ドアにメスを入れたのか?
チェンジの裏舞台では、回転ドアが高速回転中
メガバンクは税金で救われ、金融業界は猛省なし
お金の流れと人事を見れば、真の権力構造が見えてくる
アルファベット3文字の、世にも怪しい金融商品
多額の報酬に笑いが止まらない人、すべてを失った人

第2章 日本の四大VIP客
ウォール街が大事にする日本のVIP客とは
郵便貯金と簡保のマネー開放のための民営化
私たちの年金がどんどんウォール街に流れてゆく
スタートアップ企業に投資するソフトバンクの巨大ファンド
WeWorkはテクノロジー企業か、不動産賃貸企業か
「真っ赤っかの大赤字」に陥ったソフトバンクと後継者の正体
巨額のお金が動くところには、ゴールドマン・サックスの影がある
日銀がソフトバンクの株を大量に買っている?
「今だけ金だけ自分だけ」ループ
ソフトバンク問題に、アメリカの中枢が関わっている?!

第3章 株式会社アメリカ
「アメリカ合衆国なんていうものはもうどこにもないんだよ」
ワシントンに降り注ぐ大量の札束が見えてきましたか?
ウォール街は、共和党、民主党の両方にチップを置く
絶対にヒラリー・クリントンが勝つ筈だった……
ヒラリー・クリントンの本音が暴露された
トランプ政権になって、ウォール街は政治の中枢から離れたのか

第4章 「日本の宝」が売られていく
株式会社アメリカが狙う「宝の山」
日本の水道が、ハゲタカに狙われている
ウォール街が推す「これからの有望投資商品」とは
邪魔な法律を取っ払うためには、圧力、交渉のみならず強硬手段も使う
アメリカがいつまでもイラクから出ていかない理由
17年前のマスコミの嘘が、トランプ大統領を誕生させた
戦争は「何より儲かる公共事業」
イラク戦争を始めた真の理由は何か?
イラク戦争を始めた三つ目の理由は意外なものだった
社会を大きく変える法律の動きに注目しよう!
日本版ロビイスト「有識者会議」の正体
日本の水を狙う企業はどんな形で入り込むのか?
命の水を扱う企業が、核のごみビジネスをも手掛ける怖さ
水源だけじゃない、中国が爆買いする日本の土地
世界中で大問題になっている除草剤が日本で普通に売られている
外国企業が参入することは、日本の発展のためになるのか
「マスコミを信じるランキング」で日本は世界一位
社会の表と裏をしっかり見たいなら、お金の流れを見る
大手マスコミだけじゃない、SNSも大衆操作ツールである
SNSは思考より感情を捉え、冷静さを失いやすい
シリコンバレーの企業は、政治的な存在になりつつある

第5章 ウォール街と対極の価値観を持つ
デジタル断食のススメ
NHKが「何を報道したか」ではなく、「何を報道していないか」を見る
ニュースがある事件一色になったら、その裏で何かが起きている
自分の直感を信じる
ウォール街が一番怖がっているもの
日本人のDNAには、助け合いの精神「お互いさま」が刻まれている
「日本売り」を食い止めることはもう手遅れか
今私たちが心に刻むべき「国家百年の計」とは
「お互いさま」の精神を世界中に広げ、貴重な資産を次世代に残そう

  

 私はこの本を買う気はないが、こういう本もある、という事だ。日本を憂いているが、政権与党の自民党の批判もしているようで、私はユーチューブ動画でこの本の在り様を知った。
 千円台で安いコーナーでは売っていたので、安い時期に、買いたい人は買っても良いのかも知れないが、私のうちには腐る程本があり、電子書籍でも有り余る程の本、それに、電子書籍では、アマゾンkindleアンリミテッドにも加入しているので、これは要らんな、とは思う。
 けれども、決して悪い本ではないと思う。この人の本では、2024年4月に既に、電子書籍本のタイトル「国民の違和感の9割は正しい:堤未果著」が持っていて買ったので、だから、私は次の本は躊躇している最中なのである。
 この、「国民の違和感…」の電子書籍は、借りたのではなく買ったのであり、それを今、読んでいる最中だが、最近は余り読まず、正に「積読」状態なので、とにかく、読みたい本はうちにはたくさんある、という事。
 それが言いたかっただけである。どうしようもない私である。
以上。よしなに。wainai

※編集後記
 こういう、真に日本を憂える、良識人、良書もある、という事です。この方の言っている事は、間違いがないとは思いますが、一点、「アニミズム」を礼賛している点が、神道礼賛をしてはいないか、我々日蓮正宗信徒には、一つ気にかかりますが、多分、良書なんだと思います。アニミズムも元を正せば、「山川草木悉有仏性」の仏教思想にたどり着く訳ですからね。この方の本で、もう一冊、私は電子書籍で買って持っているもので、一度、比較するのもいいかなとも思っています。
以上。よしなに。再度、wainai

「道をひらく」松下幸之助著、を読了

2024年05月25日 22時00分19秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 松下電器、現パナソニックの社長だった、松下幸之助氏の、「道をひらく」という電子書籍を本日、読了した。
 松下氏は、経営者、経営の神様と呼ばれ、社員教育にも熱心であられ、徳の高い自身の教育による、経営を実践した。
 中でも、PHPという出版社は、今日の私達には誰もが一度は聞いた事があるのではないだろうか。これを、戦後すぐに立ち上げた。
 そして、彼自身、丁稚奉公の、幼い時から、店で働き、やがて独立する。
 その模様が書いてある訳ではないが、最後のページの著者略歴で、その人となりを実感できる。
 書いてある内容は、とても、今の日本国民にも訴えて余りある、松下氏の叫びにも似た、しかし静かで穏やかな口調で書かれている文体だ。
 それが短い文章で、単元毎に収まっている。
 でも、時に主張する所は主張し、今の世の中に対して、社員、等々への注文、希望も出している。
 傑出した経営者とはかくあるべき、と言った感を得た、読後感であった。

岩波「仏教辞典」第三版を購入ー日蓮正宗信徒、仏徒としての心構え

2024年05月07日 16時49分00秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 岩波書店の、「岩波 仏教辞典 第三版」を購入した。
 我がお寺、菩提寺の、日蓮正宗無量山寿海寺の御住職様が、たびたび、この辞書が、自分のお書き遊ばされる、原稿に時々頻出して出て来るので、私も、一冊欲しくなり、所望した。
 中々、専門書と言う事もあり、高い。しかし、仏教書、辞典としては、最高峰のものであると思う。
 そういう私は、いつかお坊さんにでもなる積りか、といえば、全然そんな気などない。
 ただ、仏教としての、御本仏宗祖日蓮大聖人様が御説き遊ばされた、日蓮正宗の御教え、その大仏法大仏教哲学哲理に、大いなる、一、平信徒、一学徒として、尊崇の念とただひたすらの憧れがあるのみなのである。
 だから、私は出家する気など、申し訳ないが毛頭もなく、これからも在家在俗の身分で、広宣流布、一年に一人の折伏、自行化他にわたる折伏行に邁進して行くだけである。
 何もそんな大それた事でもない。私の中学、高校。大学は途中で退いたが、向学心は、仏教仏法においても、人一倍、頑張って、勉学学習に励みたいと望む私である。
 今日を契機に、私は、大仏法哲理を学ぶ仏徒として、皆様の御智慧を借りてでも、自身をいやましに頭(ず)を低くして、大いに勇んで頑張り、励んで、縦横無尽に、学びに学んでゆきたいと考えている。

以上。よしなに。wainai

岡本太郎著「自分の中に毒を持て」を読了

2024年05月03日 22時13分22秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 岡本太郎著「自分の中に毒を持て」あなたは”常識人間”を捨てられるか、を読み終わった。 
 元々は、週刊誌に連載されたものらしいが、この書は強烈な感じである。「芸術は爆発だ!」との、著者の言葉、大阪万博エキスポ70の、「太陽の塔」などが、私のような、昭和の頃の比較的若い生まれの世代にも、彼の姿が焼き付いている。
 或る一例として、要約すると、岡本太郎氏は、その時代、昭和の頃からの、その当時から勃興して来た、若者たちの、素朴に生きる、素のままの、自分で何かを生み出そうとする、「ほんもの」にこだわった生き方に称賛を贈る。着るものも、食べるものも、考えることまで大量生産に飽き飽きし、うんざりして、やっとその空しさに気付いた。何かを取り戻そうという動きが、健全だという。
 しかし、それが、「手作り」の良さという時、どうしても、職人さん、器用な人の作った精巧なものを考えてしまう。技術的にしっかりしてて、仕上がりが丁寧という。
 これに対して、岡本太郎氏は大いに不満をいだく。むしろ下手で、不器用、素人の手作りを褒めたたえる。
 その方がずっと人間的であり、身近だし、見ていると夢が開き膨らむ。
 職人が作ったものは、余りに器用であり、出来上がったものは、既製品の如く冷たく外側のものの如くの、権威ともいえて、本質的に自分から離れている、と。
 昔から、職人の仕事とは、機械製品を、機械のように正確に、熟練した器用な手で製作する、という、職人芸。
 それらは、階級社会で、狭く枠づけられている。誰でも自由に携(たずさ)われず、閉鎖的である。しかも、秘伝とか秘法とか言って、嫉妬深い職業上の聖域を作り、素人を締め出す。
 職人の製作品は、商品として、その中でもとりわけ精巧で優れたものは、権力や富を持った人のみが手に入れられる。一般人とはかけ離れてしまっている、という。
 これを、岡本太郎氏は、職人芸の枠を受け継いだ、人間疎外のコマーシャリズムと名付ける。
 岡本太郎氏が考える「手作り」とは、実は手先ではなく、心で作るものなのだ。実生活で、自分で情熱を込めて、ものを作る。楽しさ、解放感、冒険、うまくいかないのでは、との不安の中で、それを乗り越えて作り上げる。
 そこに生きている夢があり、生活感のドラマがある。
 「心」が参加して、生で生きて働いている事が、「手作り」の本質だと。
 職人さんの慣れた手つき、半端ない完成度は、本当の自由度、生活感は感じられない。
 であるからして、手作りとは器用である必要は全くない。職人の真似をして、絶望して、自分が不器用だから、といって、しり込みするのは愚の骨頂。
 子供の頃を思い出せば、誰でも平気で作製していた。大人になるにつれて、みっともない、自分なんて、との自己を卑下してしまう。
 とんでもないことだ。絶対に下手な方が良いのだ。笑いが出る程、不器用であれば、かえってそれは楽しい、想い出ともなる。平気でどんどん作って、実生活を豊かに開いて行く。それが意外にも、美しく、嬉しい事へと繋がる。
 それが、現代社会の空しさの中で、自分を再発見して、自由を獲得出来得る大きな機会となる、と。

 これが、岡本太郎氏の、或る章の言葉の要約であるが、私は、この、平凡の中に非凡を求めて見る、その極めての正論の、岡本太郎という人に感動し、非常に大好きになった。

 以上。よしなに。wainai

ビートたけし著「コロナとバカ」を読了

2024年04月30日 22時52分24秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 ビートたけしの「コロナとバカ」という本を読み終わった。
 内容は、コロナがバカではなく、コロナに翻弄される特に日本人がバカと言いたげな内容である。
 たけし自身も、この頃、2021年2月1日電子書籍版発行、という時代背景もあり、御多分に漏れず、コロナに過敏に反応している姿が垣間見られる。
 その中でも、志村けんのコロナ?によると言われる死に触れて、私は志村けんという芸人は大嫌いなほうであったが、この、たけしの惜しみ悼み方を読んでいて、又見方が変わった。志村が、お笑い界の或る程度の、インテリ的な感じも受けた。
 その他、俳優女優のこの間の相次ぐ自死に触れて、それに対して、理由を客観的に一般大衆、世間はどうしても見てしまいがちだが、その人の主観に触れてみないと判らない、とたけしは言う。
 コロナ時代に、(そんな時代は実際には存在しないのだろうが)芸能界で不祥事?をやらかしてしまった人などを、笑いのネタにしているが、たけしが言うのには、泣かせる芸能は、昔から、定型のようなものがあって、その枠に当てはめさえすれば、それが成り立つ。
 しかし、一番難しいのが、人を笑わせるという、これが簡単なようで、最大限に難しいのだと、たけしの言い分には、成程、最もだ、との感じも受けた。
 とにかく、この頃のたけしは、コロナで世の中真っ暗で、お笑いもやりづらいと言う思いが、ひしひしと伝わって来る。
 如何にコロナが、世間での、お笑いにしろ、人の生きる希望にしろ、全てを奪ってしまっていたかが、このタイムマシンのような書籍書物を読むにつけて、思い出される。
 最近のたけしの書籍が出回っていないような気もするが、出ているならば読んでも見たい。たけしの本は、皆、毒舌でエスプリが利いていて、面白い。たけし程の人ですら、あの、コロナの呪縛には逃れられなかったのが、何か悲しい感じがする。
 多くの犠牲者、決して、そのウィルスというもののせいじゃなく、コロナで風評被害、生命まで自ら失った人たちまで出てしまった、この時代の騒動は、一体、今から考えると、なんだったのだろうとの、私としては、ただの風邪程度に、世間がこうまで振り回されるのか、との、集団心理の怖さを思い知ったここ数年間であった。
以上。よしなに。wainai

向田邦子著「新装版 夜中の薔薇」を読み終わる

2024年04月05日 22時01分03秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 向田邦子さんの、「新装版 夜中の薔薇」を今日、読み終わった。
 この本は、アマゾンの電子書籍として購入した。
 文学類型で言えば、短編エッセイ集、といった趣である。
 小さい頃の思い出。男性、特に俳優など、個人名で出して、ヨイショ、まではいかないが、向田さんなりに、応援していたり。
 男性に向けて、今日読んだ下りでは、「男のやさしさ」は女側から語るべき、語りたい、語らせて欲しい、と言った風で、決して、男性自身、男性方からは、大上段に構えて、「男のやさしさ」などを語って欲しくはない、との話に、昭和の頃の本ではあるが、私も男としてうなずけて、襟を正して、身だしなみには気を付けよう、というような感覚がした。
 そうして、これは、この間の三月末の、総本山富士大石寺へと行った帰りの際に、荷物にはなったが、アマゾンkindleの画面の白黒版、カラーじゃなく、読書に特化した小型タブレットを持ち込み、バスの車内で読んだのが、「手袋をさがす」という、これは、向田作品でも、一押しの、名作短編エッセイと言う感じの著作であった。
 そこには、向田邦子さんの、独り身になってしまった孤独、失くした手袋にかこつけて、話しを進めてゆくのですが、若い頃の事、今になっての想い。
 向田邦子さんは、余りに文学者として多忙で、婚期を逸してしまった。
 今の時代に生きるならば、中高年独身女性など、こんな人生は、幾らでもあり得るが、この当時としては、向田さんがパイオニアであった。
 後悔、自己反省、自己批判が淡々と…。けれど、それら自身の欠点には咎め立てはせず、堂々と人生を振り返る姿は、何か、この後に起こる、向田邦子さんの、台湾旅行途上での、飛行機事故を連想させる、ような気分にすらなってしまう。
 それは、偶然のなせる業なのか。自分の死をイメージして、書いている気もするが。全ては、今となっては、歳月が人の記憶も曖昧にしてしまう。
 向田さんの感性は、非常に研ぎ澄まされていて、何か、大理石の建築物でも作るかの如き、荘厳な文章仕立てであり、片一方では、何か庶民的女性でもあったり…。
 私にとっては、この他にも、同時並行で、向田邦子さんの著作には手を伸ばして読んでいるが、この作品が、私にとって、私の人生初の向田作品の読了となった。
 生きていれば、もう何歳になったであろうか。実に惜しい人を亡くしたと思う。
 
 合掌。南無妙法蓮華経。

 向田邦子さんの「手袋をさがす」をkindleタブレットにて読み終わり、ふと、マイクロバスの車窓から、目をやると、そこには富士山の雄姿が、いまだに私の脳裏に残る程、雄大さが一段と迫(せま)って見えた。

 以上。よしなに。wainai

なぜか人生がうまくいく「明るい人」の科学、和田秀樹著、を読了

2024年03月26日 20時57分46秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 今夜、「なぜか人生がうまくいく『明るい人』の科学」、和田秀樹著、を読了した。アマゾンkindleアンリミテッドにて、読ませて頂いた。
 明るい人の特徴などが述べられて、明るい気持ちで笑顔になっていると、たくさんのいいことがある、と著者は述べる。
 明るさとは、毎日を楽しく過ごす「原動力」ともなる、と冒頭でも説かれている。
 気持ちが明るくなったり、暗くなったりするのは、全て、私(あなた)の「主観」(自分だけの物の見方や感じ方)の問題だと述べて、同じ出来事に出会っても、平然とする人、不安に襲われてしまう人、様々だと言う。
 この違いは、物事に対する「考え方」や「見方」の違いによって生まれる、と言う。
 人は明るい気持ちでいると、笑顔になる。笑顔でいれば、自然と明るい気持ちとなり、笑顔が無理でも、仏頂面をやめることは出来る。
 表情が明るくなれば、暗い沈みがちな気分も変わる。
 自分が変われば、周囲の人たちの受け取り方も変わる。
 少なくとも、物事が今よりも良い方向へと動き始める。
 物事が良い方向へと動き始めれば、人生が楽しくなって、笑顔でいられる日が続く事になる、とこう、精神科医でもある著者は述べる。

 とにかく、笑顔、明るさ、等々、それらへのリハビリをやっている感覚、実感があった。精神科医としての、医師による、説得力・自信あふれる後押しがあり、自信がこちらにも付いてくるような感覚を覚えた。
 後は、べき、とか、ねばならない、等々の、べき思考は避けた方が良い、などの、明るさに近づくまでの、立ち居振る舞いまで、この先生から習えた気がした。
 実はこの本、kindleアンリミテッドにて、去年の頃、一度中断した本だった。
 その頃は、他にももっと読みたい本がたくさんあって、アンリミテッドはニ十冊までという限定・制約があり、この本は、今までちょこちょこと少しずつ読み進めて、七割方読んでいて、もういいかな、と思い、手放して、返却してしまった。しかし、今はかなり読んだ本があり、余裕が出来たので、又借りた訳だ。それが昨日今日で、読み終わった。
 読後感は、最高に良い。この先生の本は、私の最近のお気に入りだが、この先生は、あんまり、おなじ著者、同じ店、馴染みのものばかりにしないで、新たな冒険をこの先生は提言している。そこで新たなる発見を是非ともして欲しいと。
 それが老化やボケ等予防の、脳の前頭葉への刺激となると。
 私にとり、この本は、非常に為になった本だった。笑顔の法則、のようなものを、私なりに、この本で咀嚼して、感じ入る所、大であった。

 以上。よしなに。wainai

和田秀樹著「老後に楽しみをとっておくバカ」を読む

2024年03月22日 11時09分41秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 精神科医・和田秀樹著、「老後に楽しみをとっておくバカ」(50代で決まる後悔しない人生を送る方法)アマゾンの電子書籍で購入して、昨日の晩と、今日の昼までに、全編、読了した。興味を持って自分事として読んだ。
 むしろ、五十代に向けて書かれてあって、ドっ直球で、私達の五十代の、「アラフィフ」世代への提言が盛り込まれていた。主に男性向けである。
 和田氏は、「前頭葉バカ」と称して、どうも、四十代後半から、五十代にかけて、前頭葉が委縮しだしてくる。それを抑えるには、新たな体験。今までした事が無い、全く違った行動。これらを説く。
 「働かないおじさん」像にも触れ、むしろ、それらは、標榜すべき、人間像として描かれ、無理は禁物で、楽して、とにかく、これからは、人生八十年、九十年、百年と、後の年数が、五十歳代だと、丁度折り返し地点であり、これからは時間を非常に大切にした方が良いという。
 定年後、六十歳、六十五歳を過ぎてから、好きな事をやっても、体力・意欲が続かず、それより、少しは自由が利く、五十代から、趣味にしろ、スキルアップ、資格取得、なんでも、冒険と言うのか、著者の和田氏は、挑戦と呼ぶよりも「実験」と呼んだ方がしっくりくると、仰る。
 私のこれからの人生観を変えるには、充分の言説を、和田先生から頂いた気がした。
以上。よしなに。wainai

「人は聞き方が9割」永松茂久著、を読了。

2024年02月27日 17時28分48秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 「人は聞き方が9割」永松茂久著、を今日、読み終わった。月額制の、アマゾンkindleアンリミテッドで借りて読んだ。

 ここに書かれている事は、極めて一般的な事柄ばかりのようにも思えた。
 それでも、新たな気づきも得た気がした。

 本の内容の、話しを聴く事、傾聴する事の大切さは十分判った。

 閑話休題。それはさておき。

 とにかく、話すことも大事で、この本の前には、ベストセラーにもなった、「人は話す事が9割」という本もあり、どっちも大事で、どっちに偏ってもダメなのだ。

 世の中には、話す事に不安をいだいている人と、聞く事が苦手な人がいる。

 その両者を取り持つのは、私は仏教仏法の、「中庸」「中道」精神しかないと睨んでいる。

 中の道、中庸に徹すれば、こんな事で悩む事、必要など全くないのだ。

 話好きは私の長所。これに、私が聞く耳を持てれば、最強のツワモノ、人間と成れる。
 
 とにかく、この書籍の本は、人の場面場面に際した振る舞いに即した本であり、そこの、基本、基礎が出来ている人には、或る意味、不要、無用な気もした本であった。きわめて基本的な事ばかりが書かれた本である。

 私などは、一考を要した所も多かった本ではあったが、一面、要するに、ハウツー本であり、これを読んだからと言って、人生が劇的に変わるのか、と言えば、イエスとノーの中間、かも知れないかな?とも思いを致した書籍でもあった。

 まあ、毒にも薬にもならぬ本、書籍、と言っては、著者には失礼ではあろうか。
 
 私の月々のアンリミテッド代はAmazonに支払っているのでそれでおあいこであろうと考える。

 以上。よしなに。wainai