Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

因果に基づかない教えは非科学的な教え-矛盾だらけの一神教

2020年04月28日 21時13分22秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 仏法・仏教は因果に基づいた、因果律の教えだ。原因があるから結果が起こる。つまり、現代の科学に匹敵する考え方なのだ。だから、仏教は科学的な教えだ、という事もまんざら嘘じゃない。
 科学は、医学もそうだが、数々の原因を探る臨床実験を繰り返し、結果、結論を導き出す。原因を探求し結果を重視するのが科学者の立場だ。
 しかし、一神教、キリスト教などは、因果には基づかず、故に科学とは常に対立して来た。
 あるキリスト伝道番組を聴いていると、求道者の未信者の人を相手に、牧師がわざわざ、あなたは因果論の立場に立っていないのですね、と念を押した挙句、ならばあなたはキリスト教の側にふさわしい人間だ、と言って持ち上げ、キリスト教の話を詳しく説いていった。
 全くもって話にならない。自ら科学的な立場に立った宗教じゃない、と暴露するようなものだ。キリスト教程、道理に合わず、非科学的な教えは無い。
 キリスト教の聖書によると、天地が六日間で誕生する、それも今から六千年前に、女は男アダムの肋骨から作られた、数々の捏造された奇跡と呼ばれるおとぎ話のような作り話、キリストは処女から生まれる、その死後、三日目に生き返り、その後、天へ帰っていく、等々。
 こういう与太話を、信じる者が多い今はいいが、もしキリスト教が今後、規模が縮小し、人数が少なくなったとしたら、狂いに狂った教義の責任を、キリスト教が世界中で犯してきた数々の宗教戦争、魔女狩り、宗教裁判等々の犯罪を、その時の教団の責任者が取らされて、一気にその宗教の賞味期限が切れ、廃教、キリスト教解散、そこまで行けば、現代の諸問題、世界平和に貢献できるのに、と思う。
 冒頭の因果律から言えば、ユダヤ・キリスト・イスラム共通の神は(この三つの宗教は、神の呼び名がヤハウェ、ゴッド、アラーと違うだけで、実は同じユダヤ教から出発した一神教の神なのです)、因果・道理から言えば、神を立てた時点で矛盾が生じた。
 その神はいつから居た神なのか、天地万物を作った神ならば、その神を何者が作ったのか、神を作った神がいないとおかしい。独り神だけは昔から居た、では、宇宙の成り立ちを見ても、神がいたならば、神がこの宇宙を作ったのなら、それ以前は神はどこにいたのか、神のいるスペースもない所に神など存在出来る訳がない。
 一神教は、因果論で論破できる。そもそも神を立てる宗教全般に言えるが、神様信仰の矛盾が全て露呈する。それだけ神を立てる、立てた人類の祖先は、論理が破綻する事を見通せず、非科学的不完全宗教を生み出した罪は重く、現在までその害毒を垂れ流し続けている。
 一人、仏教、特に末法の御本仏、日蓮大聖人の最高真実の偉大な仏法、即ち日蓮正宗こそが、この混迷した現代社会の思想界をリードしうる唯一の大法、御教えなのだ。

母と泊まった懐かしの那須のコテージ

2020年04月26日 17時37分32秒 | 旅程。旅行記。時間旅行。ちょっとの外出。旅立ち。墓参等含む(高野悦子女史等)。

 那須に「コテージ桜の丘」という宿泊施設がある。私の母は私を連れ、車でこのコテージに行き一泊した。今から二十年位前になるだろうか。
 私は暫くこの旅行を忘れていたが、「さくら」という名前の宿泊施設だった事、各コテージには床暖房があり、そこから少し離れた所に温泉入浴場があったのを最近思い出した。床暖房を使った事から、秋から初冬の頃だろうか。
 今はインターネットという便利なものがあるから、こういった事を検索するとすぐに出てくる。
 近くにトリックアートの美術館や、クラシックカーの博物館があったのも覚えている。
 隣の棟では、朝方、若いカップルの男性が外のベランダで、女性の髪を切っているのが見えて、当時、木村拓哉・常盤貴子主演の「ビューティフルライフ」というドラマが流行り、木村は美容師役で、男性がハサミを握り女性の髪を切る場面を多く見た。その影響かと母と話したのを思い出す。
 母は、私が常に退屈をしない為に、私をもてなし、色々な所へ連れ出してくれた。あの頃は母も気丈で、車を自在に操り、父を早くに亡くした私には、母が父に成り代わり、男まさりの面もあった。
 今は母は施設に住まうが、母には常に感謝のしどうしだ。
 他にも、子供の頃、母に連れて行ってもらった場所で、東京や横浜の今は懐かしいが、現在は全くどこか判らない場所も多い。
 母の偉大さをこんな事からも感ずる。母には只、感謝である。

創価の自語相違

2020年04月25日 15時50分01秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価学会の自伝歴史書ともいえる小説、「人間革命」。その中で、日蓮正宗宗門の第六十二世日恭上人についての記述が旧版と現在の版で扱いがまるっきり違う。
 旧版では、私もお馴染みの箇所だったが、不幸にも客殿の失火により日恭上人が亡くなられてしまう。その模様は、旧版では丁重に敬語でお慕わしげに敬って書いているのに、新版では削除に次ぐ削除で、意図的に綴られる。
 何せ、現在の創価の教学では日恭上人は悪者で、その現罰で死んだとなっている。旧版人間革命とは逆を行っている。
 創価にとっては歴代上人は途中の人師論師であり、選択セレクトの対象のようで、良い猊下と悪い猊下に色分けする。(創価が認めた)良い御法主上人はべた褒めとまではいかないが、言葉を重んじてその本尊も認める。
 日蓮正宗では皆一様に尊敬する御歴代上人様であり、創価の様なご都合主義ではない。創価は自分の好みで好き嫌いを分けている。
 この時点で大謗法なのだが、創価の人々はそれを辞めない。
 その他、新版人間革命は大御本尊の「大」の字を大幅削除。戸田先生の大御本尊賛美の場面でもそれは変わらない。
 以前の人間革命とは打って変わり、変造された小説となった。
 誰がこんな継ぎはぎ小説を読むのか?新しい信者向けなんだろうが、不自然極まりない。
 こうやって創価は自語相違してゆく。かつての正宗命だった創価と、現在の日顕(上人)宗と罵る低級宗教の創価へと、この三十年で大幅に教義の舵を切った。
 「創価ルネサンス」「魂の独立」等々、元々最初から打ち出していた教義じゃなく、池田大作の謗法スピーチに端を発した、創価の突然死に等しい、場当たり的な教義で、本尊も急場しのぎでこしらえた、本当は大聖人の本尊が欲しかったが叶わず、仕方なく浄円寺の日寛上人本尊に決定したと。
 平成の初め頃、創価は独立へ舵を切るが、当初はだいぶ混乱していた。教えは日蓮正宗の教義を踏襲し、独自色を打ち出せずにいた。そこで池田及び幹部達は少しずつ日蓮大聖人の教えを改変してゆき、平成五年のニセ本尊販売へ。平成十四年、会則を改変。平成十六年、勤行を「方便品・自我偈・唱題」に代え、祈念文を制定。平成十八年原田会長就任。平成二十六年会則改変、大御本尊への信仰を放棄、へと連なる。
 正に、教義をコロコロ代えるのは邪宗教の本質(戸田城聖先生、趣意)、という頭破作七分の現証が出ている。
 悲しいが、今の創価は、どこまでいっても邪義邪宗邪教邪説邪道邪悪の邪でしかない。

一匹の虫にも…

2020年04月13日 12時29分50秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 一寸の虫にも五分の魂。確か樋田昌志さんの動画ユーチューブで、一匹の虫を殺した時も、本当はお題目を上げるといいと仰っていた。
 あの憎っくきゴキブリでも、人を見たときには慌てふためき、逃げる態勢になる。
 まるでその虫にも虫なりの前世があり、一度殺された記憶がまだ残っていて、その恐怖であれだけ逃げ惑うのではないか。
 トンボなんかでも、地域性があり、福島のトンボは人懐っこいというか、余り人を怖がらない気性を持っている種が多い気がする。一度、秋に栃木県今市市に行って泊まった時、トンボがいたが、皆、人を避け、人にも留まらず、逃げるのが早かった。
 福島のトンボは、平気で人の頭でも背中でも留まり、指を近づけると指に止まった。
 動植物、昆虫などが、福島はおっとりとしていて、人を余り怖がらない印象を受けた。
 この差がどこにあるのかわからないが、その虫の育ってきた環境、我々仏法者からみれば、前世の因縁、因果にまで考えが及ぶ。
 ふと、この間まで金曜の夜の八時にやっていたNHKラジオ第二放送の虫博士による虫の生態の紹介番組が楽しく、面白かったのを思い出した。

創価学会は後出しじゃんけん

2020年04月13日 11時58分46秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今の創価は、過去の日蓮正宗宗門への外護の功績を自ら無にする行動が目立つ。
 以前の平成二年以前の創価自身の御宗門への関わりを否定し尽している。
 例えば、血脈相承が絶えた、と今現在創価は盛んに吹聴するが、自身が破門されるまでは、永年日顕上人の相承をその時は否定していなかった。自分が認められなくなると、手の平を返したように正反対のことを言う。
 挙句は戒壇の大御本尊様の否定。三宝破壊の魔に満ち満ちた創価。三宝とは、仏法僧を言う。この全てを創価は破壊し尽くした。
 過去の栄光に自ら泥を塗る。過去の学会員達は、御法主上人猊下と共にあり、日蓮正宗を疑うこと等絶対に無かった。
 本尊自体もニセ本尊。本物にどこまでも似せて作り上げても、ニセはニセ。むしろ、手の込んだニセ札は悪意に満ちた、本物と迷わせる精巧さは、罪が重い。
 池田大作って、そんなに創価が言う程、偉大じゃない。張りぼてのような、作為に作為を重ねた強大な妄想が作り上げた創価張りぼて教学。故に私は池田を邪師と呼ぶ。池田の俗物根性、醜い権力欲と名誉欲に取り付かれた様は、私も学会員時代から気付いていた。
 その池田も今は見る影もない。表舞台から去って今年で十年位経つだろうか。
 早く創価のまやかしに学会員の皆さんは気付いて欲しい。いつまでも時間と金と労力を、人生を無駄にする必要など、どこにもない。

片耳イヤホンオーディオテクニカDMK-32を買う

2020年04月09日 19時38分29秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
オーディオテクニカ、DMK-32、片耳イヤホンを通販にて購入した。八百数十円。
片耳イヤホンにしては高い方だ。以前も買ったことがあるが、配線が細く、1年で断線してしまった。それは使い方が悪かったと反省。またリピートで買い直した。
音は非常に良い。臨場感がある。もう少し耐久性もあるといいのだが。
メイドインインドネシア。日本ではもうものづくりは廃れて流行らないのだろうか。
日本製の復権を望みたい。

土曜日ヘルパーさんとの別れ

2020年04月01日 13時31分32秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 土曜日の担当だったヘルパーさんがお辞めになられた。
 自身のステップアップと、お年の関係だ。
 私はヘルパーさんが去っていくとき、まともに後姿を見ることができずにそのまま見送った。
 私は後姿が見られなかった後悔で、せめて光だけでもと、うちの窓ごしににじり寄り、最後のヘルパーさんの車のヘッドライトを見た。
 サーチライトに照らし出された光は、ゆっくりと道路を照らし、そのままやがて消えていった。
 その瞬間、あー、私はとうとう独りぼっちになったんだなー、と孤独を噛み締めた。

 その模様、様子、瞬間、その時のことを福祉関係者に話すと、皆、一様に、「それは恋なんじゃないですか?」等と言われるのだが、私は違うと断言できる。私は年上は好みではない。
 土曜日ヘルパーさんとは、人間対人間の、清い関係性だった。私は否定しつつも、そう勘繰られることもまた良し、楽しんでいる。
 ある福祉関係者の方は、私のその時の様子を言うと、そのヘルパーさんもヘルパー冥利に尽きますね、と言っていた。
 暫くは土曜日ヘルパーさんロスに悩んでいた私も、少しずつ元気を取り戻しつつある。私は、本当にいい人と巡り会えたようである。
 土曜日ヘルパーさん、有難う!