仏法・仏教は因果に基づいた、因果律の教えだ。原因があるから結果が起こる。つまり、現代の科学に匹敵する考え方なのだ。だから、仏教は科学的な教えだ、という事もまんざら嘘じゃない。
科学は、医学もそうだが、数々の原因を探る臨床実験を繰り返し、結果、結論を導き出す。原因を探求し結果を重視するのが科学者の立場だ。
しかし、一神教、キリスト教などは、因果には基づかず、故に科学とは常に対立して来た。
あるキリスト伝道番組を聴いていると、求道者の未信者の人を相手に、牧師がわざわざ、あなたは因果論の立場に立っていないのですね、と念を押した挙句、ならばあなたはキリスト教の側にふさわしい人間だ、と言って持ち上げ、キリスト教の話を詳しく説いていった。
全くもって話にならない。自ら科学的な立場に立った宗教じゃない、と暴露するようなものだ。キリスト教程、道理に合わず、非科学的な教えは無い。
キリスト教の聖書によると、天地が六日間で誕生する、それも今から六千年前に、女は男アダムの肋骨から作られた、数々の捏造された奇跡と呼ばれるおとぎ話のような作り話、キリストは処女から生まれる、その死後、三日目に生き返り、その後、天へ帰っていく、等々。
こういう与太話を、信じる者が多い今はいいが、もしキリスト教が今後、規模が縮小し、人数が少なくなったとしたら、狂いに狂った教義の責任を、キリスト教が世界中で犯してきた数々の宗教戦争、魔女狩り、宗教裁判等々の犯罪を、その時の教団の責任者が取らされて、一気にその宗教の賞味期限が切れ、廃教、キリスト教解散、そこまで行けば、現代の諸問題、世界平和に貢献できるのに、と思う。
冒頭の因果律から言えば、ユダヤ・キリスト・イスラム共通の神は(この三つの宗教は、神の呼び名がヤハウェ、ゴッド、アラーと違うだけで、実は同じユダヤ教から出発した一神教の神なのです)、因果・道理から言えば、神を立てた時点で矛盾が生じた。
その神はいつから居た神なのか、天地万物を作った神ならば、その神を何者が作ったのか、神を作った神がいないとおかしい。独り神だけは昔から居た、では、宇宙の成り立ちを見ても、神がいたならば、神がこの宇宙を作ったのなら、それ以前は神はどこにいたのか、神のいるスペースもない所に神など存在出来る訳がない。
一神教は、因果論で論破できる。そもそも神を立てる宗教全般に言えるが、神様信仰の矛盾が全て露呈する。それだけ神を立てる、立てた人類の祖先は、論理が破綻する事を見通せず、非科学的不完全宗教を生み出した罪は重く、現在までその害毒を垂れ流し続けている。
一人、仏教、特に末法の御本仏、日蓮大聖人の最高真実の偉大な仏法、即ち日蓮正宗こそが、この混迷した現代社会の思想界をリードしうる唯一の大法、御教えなのだ。