Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

私の福祉事業施設への通所に当たって前もっての等級替え認定の手続きの必要性

2025年02月04日 09時55分17秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私は、これは福祉の話となるが、今年一月一日に、私の個人的な福祉の障碍者サービス受給者証が一年に一回の更新時期を迎えた。これが何のサービス利用にもモノを言う。
 しかし、うちの福祉相談室室長さんと最初の施設当日見学に行った日に、福祉事業所から、私が五十歳を越えてるので、施設利用には、受給者証の等級変更が必要だと言う。
 通常、保健所等のお役所に届けてから、サービス受給者証が無事に家に届くまで1ヶ月は掛かる。
 先程、先日以来、相談室室長さんには、私の為に尽力下さって、無事書類を提出し、後は保健所待ち次第状況である。
 だから本当は、昨日の反省だが、これは悔やんでもしょうがないが、私としては、限られたお金の中で、昨日みたいに、急ぐ訳ではなかったのだから、ギターなど買うのではなく、本来本当ならば、うちではすぐに部屋が暖まる、石油ファンヒーターを1台買って見たかったと後悔。私の完全なる見切り発車だった。
 今更言ってもこれもしょうがなく、ここは男らしく、是々非々でありたい。
 今月の障碍年金支給日あたりを狙いをすませて今かと東北の厳寒の寒さをこらえて、待ち焦がれている。
以上。よしなに。wainai 

ギターと母の卒寿と同信の信徒と。wi-fiとAmazonタブレット端末を使って、福祉事業所から仮送信

2025年01月30日 13時12分50秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私は今、福祉事業所で体験研修の最後の三日目である。
 そして、私のお世話になっている、特に男性スタッフ職員さんに、ギター経験者や現在もギターを継続中の方々、私なんか消し飛ぶ程の経験者が多いと個人的には思っている。
 最初の日は、私を最後に送迎して下さった、職員さんと、ギターの話になった。その時彼は、フォークとエレキをやった事があり、公演、発表会的なライブもしたという。しかし今はギターはお休み中だという。
 そして、三日目の今日、あるこれも非常に私などよりも若手の男性スタッフ職員さんに、私がFacebookのページのタブレット端末のチェックの最中を脇からみられた。そのページは、丁度一応、私のエレキギター練習の動画の場面のサムネイル紹介写真だった。
 すると、彼は、なーるほど、と言い、エレキギターの初心者の私に対して、まず、「パワーコード」の有用性を説き出だし語り始めた。
 パワーコードを使えば、大抵の曲がある程度、難なくこなせるようになると。
 私も知っていたのは、どのエレキギター教則本にも、必ず初心者が習得すべき、ホントの基礎中の基礎なんだが、私は余りにパワーコードを軽視していたきらいがある。食わず嫌いと言うか、一人で難しがっていた。
 それにその若い男性スタッフは、毎日、ギターに触れていますか、と聞かれ、私はこの四日間位は触っていなかった、と言うと、もう、経験者・玄人肌の感じや表情を湛えている彼、職員さんは、毎日ギターに触れて継続的に練習すれば、上達も早いですよ、と私に薦め仰られた。
 私は、日本のギター人口は、せいぜい数万人から十万人を下ると思い込んでいた。
 それがここへ来て、私の身の回りでギター愛好者がこうもいや増しに増えて来ると、おそらく、数百万人、下手したら一千万単位で、ギターに親しんだり現在もその継続中の人々はこの国にも相当な数いるのではないのか。
 そう考えると、凄い事だと思う。うちのお寺では余りギターやってる人は聞かないが。預かり信徒の中で、将棋の有段者の方ならいるが。
 私にとって今日は朗報が二つあった。一つは母の卒寿、90歳の誕生日を迎えた事。これが非常にめでたい。
 もう一つは、この事業所に、日蓮正宗の別の近隣地区所属のお寺の信徒がいた事だ。これは大変に心強い。
 しかし、郡山市内から、隣町まで通うのが非常に難儀すると。
 これも一つの出逢いである。

 母の事に戻るが、仏教仏法では、子供の側が、両親を選んでこの世に生まれて来ると説く。この親なら自分をちゃんと育ててくれるだろうと。母を含む両親を、私は選んでこの世に生を受けて来た事になる。それだけ浅からぬ縁だと言う事だろう。
 全く、この子にしてこの親あり、この親にしてこの子あり、と私は人様から真っ当に呼ばれたい。

以上。よしなに。wainai 

私、今、福祉事業所に体験に行っています

2025年01月28日 21時27分42秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
私、今、福祉事業所に体験に行っています
私の日常を綴る。私は、第二の羽根を伸ばす地を見つけた気がする。そこには、極めて利用者ファーストの別天地、自由の地平が広がる大地があった。以上。よしなに。wainai

正月の母との日々

2025年01月02日 20時17分41秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

 上は、去年の年末に、私が電子書籍代のアマゾンカードをコンビニで買う前に訪れた、福祉事務室の室長さんから、頂いたお菓子類である。郡山市中町の大黒屋とあった。このお菓子を、新年一月一日に、母の施設で母と一緒に食した。
 母の食欲たるや、物凄いものがあり、私は去年の初夏の母の体重減少、食欲減退のあの時の悪夢がまるでウソのような、二人で幸せなお菓子の食事の時間を過ごし味わった。
 その他に、セブンイレブンで、又別にお菓子類を一月一日の夜中のお寺、日蓮正宗無量山壽海寺での元朝参りの帰りに買って帰り、それら皆を持ち寄って、お寺で頂いたカレンダーもお寺の新聞も持って行き、一旦眠ってから、その日の昼の一時過ぎから、夜の六時近くまで、ずっと母の施設に入り浸っていた、私なのであった。
 とても母と楽しい時を過ごしたと思える一日であった。

以上。よしなに。wainai

私を取り巻く医療・福祉の世界について、その恩讐の彼方に。エレキギター練習

2024年11月18日 15時38分48秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
私を取り巻く医療・福祉の世界について、その恩讐の彼方に。エレキギター練習
具体的には、私の二年前に起こった、入院時の動きを逐一思い出し、私なりに反省も加えた上で、もう少しこうすれば、との配慮を考えた。しかし、結果として、今の病院に通えるキッカケを作れたので、雨降って地固まる、であり、多くの犠牲を自他共に伴いつつ、結局は全てが丸く収まった寸法だ。
エレキギターは、ローリーさんの本から離れて、できるシリーズに移っているが、付属のDVD等に歯に衣着せぬ文句も言っている。 
以上。よしなに。wainai 

時折、私の投げやりになる有り方への、相談室室長からの喝 ! それへの私の心からの志、反応

2024年11月15日 12時09分57秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私の福祉相談室室長との、一対一の、言葉対言葉の応酬は、動画では触れたかも知れないが、ブログ記事では皆無だろう。
 そこで、室長さんは、時折、私が見せる、表題にもある通り、いかにも面倒そうに、発言、態度からも伺えるのは、「投げやり」になる心根を非常に心配し、憂慮為されていた。
 今まであんなに打ち解けて語っていたかと思えば、急にしょげてみたり、物事をいい加減、ぞんざいに扱ったり、無茶を敢えて言ったり行ったり、とにかく目に余るらしい。
 それに自覚しない私ではない。ではないが、時折、自分を見失う。
 そこを、福祉相談室の室長さんは突っ込む。元々の、私の両親の育て方にも原因があるんだろうし、それとこれを、軽々と、性格とも病気とも判断判別出来ず、付かずに、室長さんも手に余る様だった。
 しかし、私も私なりに反論もある。私の人生を、そうやって、ガタガタとうるさく外野から勝手に言われるのも心外だ。
 心配される、してくれるのは、これは非常に有難いと思う。こんなどこの馬の骨とも知らない私に対する最大限の賛辞であろう、正に。
 しかし、人の性格を裸にしてほじくれば、どんな人、紳士淑女、聖人君子だって、いつかはボロが出るものだと私は思う。
 余りに、会う機会が一週間に一回とは言え、間柄が私達は濃密過ぎるのではないのか。
 それをおもんぱかって、私は最近では相談室へのメールも、どうしても知らせたい、重要な事、悩み事以外は、送らない方がいいのかとも思い悩んでいる。
 尚、この稿、ブログ記事に、後は相談室以外の人へのメール、それへ、私は今まで、自分の記憶を正確にたどり、書いて来たが、それにもあんまり向こう側の相談室では心良いとは思っていない風ではある。それらには常に、時間差が付きまとい、私の後付けの主観がその文章に入り込み伴い、偏向してしまいがちだと室長さんは言う。
 そこで、私は私の記憶力をあなどる事勿れ、と私が言い、先方、室長さんは、人の話を聞き流す事は出来ないの?と聞かれるも、私は耳の奥に染み込むタチで、確かにその記憶力の良さで得した事も損した事、両方あるから、すぐ様、自身の性癖を変えよう等とはこの時点では考えが浅はかで思いもしない。思い返すと、私の記憶力の良さで、普通の人なら聞き流すつまらない事を、いつまでも覚えていて、お寺の問題児ともなってしまってもいたのだ。
 一応、私としては、自身の、身の回りに起こった日常を、そこはかとなく、ただぽつねんと独り静かに、PCのキーやら、タブレットの画面上のローマ字表をタッチして、個人情報保護に留意しつつ、毎日の出来事として、日々の記録、備忘録として書き綴ってゆきたいだけなのだ。
 実際に、私は今の時代は、名誉毀損など、例え一障碍者でも、罪を犯したならば、それ相応の罰則、罪を被る事位知っている積もり。その話もその場で出た。
 それから、室長さんは、私のFacebookをも見たのか、その時の私の話振りで判ったのか、私が自民党支持である事にも触れられ、この間までは野党支持だったくせに、と問われ、私も、この逆風吹く時期に、敢えて自民党に鞍替えして支持を変えた心意気を買って下さいよ、と言うと、彼女は無言だった。
 そうして、話は男女平等から、女性室長の女性天皇容認を言われ、私はそれは間違っている、男女平等は当然だが、皇室の万世一系の男子の天皇制はこれは譲れず、深い訳がある、決して男女差別じゃないんだと言ったが、どこまで判ってもらえたのか。
 実際上、双方、その件は、議論は平行線ですね、で幕を閉じた。
 
 しかし、こうやって、お互いに議論を熱に任せるのじゃなく、冷静に出来るようになったのも、私の精神的な成長を志す上で、立派に向上が認められ得るのでは、との感情も思い知らされた。仏法上の慢心、増上慢では決してなくて。

 私にとっても、この相談室の作法、佇まい、利用者メンバーへの心配り等々、決して嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。
 最近では、お寺、福祉、医療関係者とのわだかまりも滅多に無くなった。全く皆無、とは言えないのはご愛敬。

 これからも、今年当初からの、私の人生の最大の目標、「平和主義者になる」を地道に取り組んでこれからも生きてゆきます。

 私事を長々と書き連ねてしまいました。けれどもこれこそが私の決意文であります。

以上。よしなに。wainai

今日はお母さんの施設で秋祭り、パート2・ショートバージョン・短編

2024年11月10日 19時20分16秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今日は母の施設で秋祭りがあった。
 大成功に終わった。
 母の食も増して、私は母の食欲に驚いた。
 我がお寺の講頭さんも言っていた。
 wainai君(私)の祈りは、お題目が実に少ないと聞いているが、
 大聖人様も御書の中で、多くお題目を唱えるのがいい、との御言葉と、
 たった一遍のお題目でも叶う、との御金言の両説があって、
 丁度、wainai君のは、無理せずに理に叶ったやり方でやってるから、
 御利益が出るんだよ!と。
 私の今のお母さんを見ていると、
 息を吹き返した様な生命力を感ずる。
 何とかここまで来た。
 御本尊様、大聖人様、感謝します。後は本人次第です。
 母の好きな様に、なるべく楽で楽しく、
 母の自分なりに仏法に定められた法に則り、
 自由気ままに、苦しまずに、これからも母が生きてゆけますように。
 不肖の息子の私も、母を出来るだけ頑張って見守り続けます。
 合掌。南無妙法蓮華経 !

以上。よしなに。wainai 

今日はお母さんの施設で秋祭り、パート1・ロングバージョン・長編

2024年11月10日 18時04分42秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 本日は母の施設にて秋祭りがあり、行って来ました。
 ああいう施設は、母のみが写っている写真ならば良いが、他の人が写っていたらアウトで、施設の職員さんのみ、カメラの撮影が許されるという、一種独特の世界ですね、高齢者施設とは。
 今は何でもかんでも個人情報がー、とうるさくてやってられません。
 けれども、お祭り自体は大成功で、良かったと思います。
 母も、去年から今年初夏、夏にかけての拒食状態というのか、施設の職員さんも仰るのも、以前はおかずは残すは、ご飯にも一部のみで一切手を付けない。
 何よりも、水分不足による脱水が心配だった。
 それが今では、おかずも食べてるようだし、ご飯も半量だったのが全量食べられる様に良い方に変わっていった。水分もちゃんと取っている。自然と。
 これをお寺の講頭さんに言うと、特に、私(wainai)としては、お寺で唱題するのに集中する以外は、全くと言っていい程の手抜きの唱題…。勿論やる時はやるんだが、とお答えすると、講頭さんは、wainai君の場合は、大聖人様の御書の中で仰る、たった一回、一度のお題目を唱えた事により悟ったり救われたり成仏する事もある、との御文のままにやってるから、御利益があるんじゃないの?と聞かれた。
 私も自信もなく、自己正当化はしたくはないので明言は避けたが、世の中には、お題目を何時間、何十時間上げて立派に作用する方と、私の様に、霊験あらたか、効き目がすぐ、とも言えないが短日月の内にぱっと現れる人と、二通り位ある気がする。
 しかし、私の場合、この信心をやらなかった時の罪業も深く刻まれ、勤行をサボったりすればてきめんにたちまちに、その日の内か、その数日後には結果、果報がすぐに出て来る。それは恐ろしい程だ。
 何で、あの大謗法者の池田大作氏に現証現罰が顕れないのか、と不思議に思った事もある。
 しかし、大謗法者程、現世で現罰は顕れにくいと、経文にも大聖人様の御言葉にもあるらしい。
 だから、話を転ずるが、私は毎日の自行化他にわたる勤行唱題の大事が身に染みて判る。
 それが、自身の浅からぬ因縁、原因により作った罪業罪障が、一番身近で弱い所に顕れ出て来やすい、と我が菩提寺の日蓮正宗無量山寿海寺のトップの講頭さんが時折、力説する仏法の法体系理論である故、揺るがせには出来ない実際上の事実である。それだけ、この日蓮正宗という宗教は、効き目、お力がある御教え、という事だ。
 とにかく、私は母のいる高齢者施設での今日の母の食べっぷり、皆様のひょっとこ踊り等々での嬉々として喜んで、車椅子ながらも上半身健気にも、日舞か沖縄のカチューシャ踊りを舞うが如くの、我が母の強い強い生命力、負けじ魂をここぞとばかりに見せつけられ、圧倒されっ放しの、力強い母を久しぶりに見た、私なのであった。

※編集後記
 今日のこの拙稿の論調が、我ながら変に蛇行する様で心配したが、最後は最初に戻り、母の件で終われて救われた気分。収まる所に収まりました。

以上。よしなに。wainai 

今年もラジオ福島チャリティ募金「通りゃんせ基金」に参加

2024年11月05日 12時44分27秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 ラジオ福島が福島県内で主催、東京ニッポン放送をキー局として主催され、全国のラジオ局有志が主催協賛する、ラジオチャリティ「通りゃんせ基金」に今年も参加した。
 今年も例年の如く、東邦銀行大槻支店にて、募金をして来た。
 毎年、募金しているのだが、サービスでもう一歩、と思うのは、例年、来年のカレンダーが、この時期にしては、まだ出来上がっていない点だ。
 十一月初頭でも出来ていない。そして、今、電話して確かめたら、女子行員さんが出られて、私共も、全く、実態がつかめていない、というか、判らない、との事で、じゃあ、十二月になれば、できているんですね、とこちらがいうと、自信なさそうに、おそらく、との御返事。
 百円ショップダイソーなんか、毎年初秋の九月位か、その前後には、必ずといっていい程、来年のカレンダーコーナーが出来ている。まあ、銀行も商売?ではなく、カレンダーばかりを作っている訳ではないので、責める事は出来ないが、実際、他の銀行、私は取引がないので余り行かないが、ぐんしん、郡山信用金庫。大東銀行なんかは、今の時期にはとっくに、カレンダーが置いてあった記憶があるし、実際上、そうなのだ。
 だったら、そちらに行けば、と思うだろうが、私は東邦銀行の絵の絵描きの、齋正機氏の絵に毎年惚れ込んでいるし、そのカレンダーの方が、すき間に予定等が非常に書きやすく、意外とコンパクトにまとまっていて、正に私はファンなのだ。
 その点が残念だ。今年の十二月頃、又行ってみる。
 それに、今年の変わった点と言えば、銀行の窓口に、普通普段ならば、女子行員がズラリと固めて並ぶのに、今回は、やけに男性行員が窓口で対応していた点である。
 私は、これは良い傾向だと思う。せっかく、男女雇用機会均等法が昭和だかバブルの頃制定されて、労働の場に於いて男女差別が禁止されたのならば、女子だけの職場、男子だけの職場、などあってはならない、との深い矜持のような、法律の精神を今までの労働慣行は壊して無視して無き者にしていたのだ、との心持ちがあるからだ。
 だから、今まで女性がいた職場に男性が進出する。逆に、男性がいた所にも然り。これで誠に宜しいと思う。そして、力仕事など、それまで男性が担当していた所では、女子の若手の力持ち自慢の人か、或いは、機械を用いた、技術面・力でサポート、解決する。
 とにかく、職場の男女差別が無くなれば、男女共に、ウィンウィンの関係であり、私にとっては、今日本日の東邦銀行の仕事の作法・流儀・佇まいに、一人、納得していたのであった。

以上。よしなに。wainai

昨日夕方のPC教室の福祉相談室の予定が今日の午後となる。それに付けても、母との想い出

2024年10月24日 17時52分15秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私は、昨日の動画内でも言ったが、私の福祉相談室のPC教室が昨日の三時半と約束していた。それを、今日の何時でもいいと向こうが変更して提案し言ったので、私はてっきり、今日の午前中は予定がないものと勘違いしてしまい、午前中十時と設定してしまった。
 実際は今日の午前11時から、金銭管理の社協のあんしんサポートが来られるのをこちらが忘れていた為、昨日の段階でショートメールで明日の午前中は無理です、と私から訂正文を送った。
 そして、今日、社協が来る前に、午後なら大丈夫なんでしょ、と言われて、向こうの都合で、午後三時半と最終的には決まった。
 
 そして、パソコンの何を習うかと言うと、表計算・エクセルによる、我が家の家計簿作成である。
 その間にも、女性室長さんは忙しい仕事、主に電話のやり取りや、今度は自前の農場で生産する野菜の名札を書いたり、その他、それに話好きの私の相手もしなければならない。これだけ並行的に、事務もこなしたり、私の相談、それ以外にも電話でのお悩み相談等々、これだけ出来るのは、屈託のない女性ならではだからか、頭がいいのか、どちらか両方かである。

 そうやって、毎度の事ながら、私はどこでも長居してしまう。悪いクセだ。

 私のお寺で、駅のそばに住む方で、私を非常にもてなし歓待して下さるお人がいる。
 私が入信直後は、その方がひとかたならずに、親切にしてくれるものだから、私も度々お邪魔し厄介になり、入り浸った時があった。
 その頃は我が家には母もまだ居て、まだ今より若くかくしゃくとしていた。

 そこで、帰りのいつも遅い私に、母はこう、意見した。
 母「主人と客と、どちらが本当は偉いと思う?」
 そこで私は、ホテル勤務時代は、客商売たるもの、当然、お客だと思っていた。
 それと、確か、昭和歌謡の三波春夫が「お客様は神様です」とやっていたのを古い私は見聞きして知っていた。
 だからお客だと言うと母は違うと。
 むしろ、その家の主人公は、その主人である。家に入れるのも退出させるのも主人の一存で決まる。だから主人が一番偉い。
 あんた(私)は、いっときだけ、仮の宿りをさせてもらっている、一旅人同然。
 だから、その立派なお方、あんたをもてなしてくれる人のうちにいつまでもあんたが居たんじゃ立場が逆転してしまう。

 その人の自由な時間もあんたは奪う事となる。

 だから、君子の交わりは水の如し、で、幾ら優しくしてくれるからって、甘えてちゃいけない。

 いつかはその人にあんたも受け取るばかりじゃなくて、ご恩返しもしなければならない。持ちつ持たれつの世の中なのだから。

 その人に、ちゃんと、ご挨拶、返事、有り難う御座います位言ってるの?

 私:自信がないが、多分言えてると思う。

 とにかく今日は疲れたでしょう。夕御飯用意してあるから食べなさい。

 とまあ、こんな風に母にはいつも諭されていた、私なのであった。

以上。よしなに。wainai 

冒頭から、福祉と労働の相矛盾した相克を語る。ギター練習に励む[動画編集版]画像乱れ済みません

2024年09月21日 15時31分40秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
冒頭から、福祉と労働の相矛盾した相克を語る。ギター練習に励む 冒頭は、福祉の私にとってのデメリットを述べる。福祉を利活用すると、労働に時間が割けないジレンマ。それは母が我が家に居た時代から変わらなかった。母の福祉への怒り。それに徐々に自身が迎えつつあった、福祉を受け入れて、その為に、作業所の工賃が低賃金と成らざるを得なかった相克を語る。アコースティックギター復習で、コード・和音に取り組む。以上。よしなに。wainai

※再編集の為、画面に乱れがあります。誠に済みません。音声を中心にお楽しみ下さい。 

このタチの悪い夏風邪も終焉が見えて来た、風邪への対処法、風邪をひかないために

2024年09月12日 10時47分19秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私が連日騒いだ、タチの悪い夏風邪も退治への潮時が来た。
 昨日9月11日水曜日夜。シャワーを浴びて暫くネットサーフィンをしている間に体温はPM11時半には37.2度。
 今朝方、簡単な朝食を摂り、朝の勤行唱題を果敢に進めて、ネットサーフィンしつつある、現在AM11時になろうとする前の時、体温を計ると、36.6度と、平熱に戻っている。
 しかし、せきや鼻水が非常にまだ酷い。だから今日も訪問看護の方には、熱はもう何とか正常平常モードだが、せき鼻水がまだ続くので、まだ我が家へは近寄らないように、と又もや言い渡してある。
 とにかく季節の変わり目。人混みの中や日中の寒暖差。これからは寒くなる季節に合わぬ薄着姿はまだ酷暑が続くので心配ないですが。又はこの時期特有の秋雨前線、台風等による、雨に打たれたままの服装で居られたりはしていないでしょうか。風邪の原因となりうるので濡れた衣服は乾いた服へと即交換。いつでも寒くなれば薄着から長袖へのチェンジ。外出時、羽織り一枚持つ心の余裕を ! 等々を即実行へ移しましょう。
 これが、今、絶賛、夏風邪でやられている、私からの渾身のメッセージです。
以上。よしなに。wainai 

体温が平熱に戻って来た。せきはまだ出る、でも大部少なくなって来た。鼻水は今の所止まってる。全てはシャワーでサッパリしたお蔭

2024年09月10日 21時30分24秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今日の格言。風邪の時でも、時こそ、風呂シャワー類を活用すれば、新陳代謝が活発になり、症状が断然改善する。
 体温が、平熱に極めて近い、37.4度と、段々下がって来た。
 これは、私は、ここ数日間と言うもの、全然風呂、シャワーの類には無縁の生活を送っていたが、今日という今日は我慢がならずに、シャワーの御蔭で、かえって体温があっけなく下がってしまっている。
 そして、私は、数年前に、二回目だか、三回目は打たなかったのか、覚えていないが、コロナワクチンを打った時に、これも、救急車を呼ぼうか、と思う程の、関節の節々の痛み、やはり熱が出てのぼせて、汗をかき、吐き気と、体が熱いのに悪寒と、これはもう、やっぱりシャワーだわ、と一目散に風呂場へ向かった。そうして出て来て、体温計で計ると、その通りに、体温が下がっていたのだ。
 この時に、私の折伏主でもあられる、G元講頭さんと、一つの盟約を交わした。このワクチンは何かがおかしい。私(G講頭さん)はそう思う。それにしても、この一回の注射だけで、二週間~一か月間も床の中で横たわらせたこのワクチンが憎いと。普通のワクチンではないと。効き方がおかし過ぎると。
 そして、彼女、G元講頭さんは、只だからって、打つのが危険な場合がある。或る方など、生活に苦しんでいるが(今はどこの家もそうですが…)立派に、三度目のワクチンはやらない、と私(G元講頭さん)にハッキリ告げて、それを見事実行に移したという。
 それじゃあ、私らも、とその私の折伏主のG元女性講頭さんも、私らは連合を組んでいるみたいに、我も我もと、そんなインチキワクチンのお世話になんかならない、と宣言するかの如くに、取り止めた。
 私は、あのワクチン自体が、コロナウイルスというのが仮にあればの話だが、あれが培養されて、無毒化が果たして出来たのかどうか。私には判らない話である。
 とにかく、昨日よりも、今日の晩の方が、気持ち、楽になって来たので、ほっとしている。世の中、人様を、コロナ感染者扱いして、それによる差別もコワいし、私は一人暮らしであり、誰も、私一人を守ってくれる人などはいないのだから。これも私の不徳と致す所。
 何とか、快方に向かいたいと望んでいるし事実、向かっている。何か、希望の星が一つ輝いているのが見えた気がした。
 結構今日は終日家で過ごしていても、素晴らしい日であった。明日もシャワー浴びよう。

 ※編集後記
九月十一日深夜三時近くに起き出して、体温を計ると、36.7度である。最早平熱である。
これに今の私のせきやら、鼻水さえ
治って頂ければ、これ以上の幸いはない。
以上。よしなに。wainai

コロナのせいだけじゃないと思う。これは悪い夏風邪だ!!

2024年09月10日 06時57分48秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

 昨日、モミの木クリニックへ本当に久し振りに行き、コロナの検査を受けた。
 すると、陽性、コロナです、と先生からは言われた。
 私は、高熱が今の所も出ていて、これは、三十八度台の高熱のままなのだが、私は、コロナなんて、この世には敢えて、無いものだとも思い至っている。
 いわゆる、達観、という奴である。
 しかし、人にはうつし兼ねないので、本当に医師から勧められた通りに、五日間は外出を控える。確か、マスクは、自分が相手からウイルスを受け取るのは避けられないが、自分のウイルスはまき散らさなくて済む、というのは本当だかどうだか、判らないが、その関係で、五日目から十日目までは、マスク姿、となるのか。非常に情けなく、カッコ悪いなあ、とも自身忸怩たる思いである。
 私のお寺の人にも、その事を私の事情を話すと、私はずっと、マスクはつけてなかったし、付けても、使いまわしの、カッコだけのマスク姿であり、それじゃあダメ、とは言われたが、あのマスクの、繊維の網の目のどこに、それら本当にウイルスを防げようというのだろうか。 その根本を私は問いたい。
 だから、私は、これは、コロナという名の、悪い夏風邪なんだと思う事に今決めた!誰に何と言われようとも。
 私も思い出してみて、高校を休学中の、1990年代、高二の時にも、私は駅前の映画館に入り、空気が十分換気がされずに、汚い空気だな、と判っていたのだが、その場に一時間余りいて、たまらずに出て来た。
 その後に、私は今、と同じように、その時は四十度を超す高熱を出した。しかも、当時の我が家の体温計は、今は電子式が主流だが、その当時は水銀式の体温計で計ってもその温度だから大したものだと思う。
 その時、母が手配してくれた、タクシーに乗り込み、当時、コスモス通りにあった、本宮医院という、主治医の所まで、母と運転手さんが私を抱えて、やっとの思いで担ぎ込まれた。
 母は、思い切って、私が入院する事も覚悟したようだったが、現代のような熱下げ止め等は確か出さずに、茶色のあれは何て言う名前だろう、これも確か「ルゴール」のようなものをのどに塗って、ハイ、一丁上がりとばかりに、薬も極めて少なく出した。おそらく、せき止めすら出されなかった気がする。
 母は、熱を出すのは、体が病気と戦っている証拠なので、冒頭の入院を望んだ話とは矛盾するが、熱下げ、せき止めの類いは要らない主義だったので、この医院を選んだ。しかし、今の時代は(その当時は)どこもパパみたいな交通事故の重傷にでもならないと、助けてはくれないのね、といつも私が入院出来ないのを悔やんでいた。(まあ、この時代の古い世代の母にとっては、熱冷ましせき止め薬すら認めない、現代だったら虐待で訴えられかねない、古風な人間だったと言うことだ)。
 しっかりと、私の異常が見つかれば、親心から、何でもしてやりたい、そんな気丈で優しい母でもあった。
 あの時は、私は自転車の旅に出ていて、北の南福島、松川などの、福島市方面へと、自転車旅行をして、その帰りに、疲れている、抵抗力がない所での、その悪い空気に触れてしまったのだった。
 それだから、今とは違って、原因ははっきりとしている。しかし、私の今現代の様なそれを、「コロナ」などと大声で叫んでマスゴミ等が発表などは決してしてはいなかった。
 あの頃のマスコミと、今のマスゴミとの、両者の間には乖離があるのだろう。 
 そういえば、私が初めて高二の留年が決まり、詰まりはその翌年にも、今度は、星ヶ丘病院に入院が初めて決まった時にも、私は高熱を出し、大病をした事がある。(やっと母の望んだ入院という形とはいえ悲しい話だが。余り今日の所は自分を責めたくはないので皆様許して欲しい)。
 私はその頃は、男子校特有の手の付けられないヤンチャ坊主のようであり、少し暴力的でもあった。
 それが、打って変わって、トイレに行くのも、壁伝いで、やっとこさ行く状況であり、私が、おむつは出来ないのか、と訴えると、そんな若い人で、おむつする人はいない、と看護婦さんに即、却下された。
 とにかく、この時も、似たような、夏の高熱が出た、これを今でいえば、「コロナ」となり得るであろう。この時の私も、四十度近くの高熱だったのであるからして。
 そして、私の他害の気分もやっと収まり、私は、その風邪によって、気分も収まり、性格も温和となり、その病室の仲間たちとも、非常にフレンドリーで仲良しになれたのである。
 これを、私が同じ作業所で知り合った、J保さんは記憶力が非常に良くて、あの時wainai君は高熱出していたばい。僕らは皆で心配してたんだよ、と仰ってくれた。彼とはその後、日蓮正宗の件で話したい事が沢山あるから、今日はこの位にする。
 本来ならば弱り目に祟り目であり、私の普段から人を見下した態度をなじられて、いじめられてもしょうがないのに皆さん何て良い方ばかりなんだろう、という御話しだ。
 しばらく、私との面会謝絶が続き、うちの母は非常に心配していたようである。やっと母に会えるようになったのは、私の誕生日が過ぎた、九月間近かそれ以降の、今頃であった。
 これなども、二年連続で私は、夏風邪の、高熱を四十度を超えて出していたのだ。これは、これすらも、その当時、悪い風邪が流行っている、とマスコミが報じれば、それがその時のマスコミは、まだかしこかったから、ちょうどバブル景気の時でもあり、日本が最も盛り上がっていた時であり、コロナなどとは、呼ばれなかった。
 とにかく、私はどんなに高熱が続こうと、結果が出て、貴方はコロナ、の烙印を押されようが、私は正々堂々としたい。
 ただ、うつしたらまずいので、訪看さんその他には、我が家に寄らないように、との打診だけは出している。
 とにかく、私は、今は苦しいが、いつかは治るもの、そんなに騒ぎなさんな、と、気分も大きくおっぴろげて、他の人にはうつさないように、気を付けたいと思う。
 以上。よしなに。wainai、長文失礼。

福祉の恩恵にあずかっている私、高熱を出してしまい…。

2024年09月08日 19時05分24秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
これはみずみずしい梨である。一個は既に食べてしまった。それ程にお腹が空いていた。そして、下は、黒糖かりんとまんじゅう二個と、ゆべしである。

 昨日の晩から、37.6度、38度台後半、遂には、今日の午後二時には、39.1度まで行ってしまっている。九月九日深夜二時近くには、39.6度である。(参ったなあ!?)
 これを安易にコロ〇とは断定できないが、私の相談先の訪看さん、訪問看護の方は、それは、立派なコロ〇じゃないの?この一週間どこ行った、と聞かれて、それはそれは、八面六臂の活躍で、或る時は郡山駅前の旧国道四号。病院関連関係。それから、私には、近所のコンビニ、母の施設等々、沢山の場所、場面を潜り抜けて来た。
 これを、一概にコロ〇とは断定できないが、明日、内科の、以前お世話になっていた所、病院に行ってこようとも思っている。
 まあ、たとえ、コロ〇と診断されようとも、ショックは受けない自信がある。かどうかは、今後次第で、全く良くは分かっていない。
 何のために、皆様のブログで研鑽を積んで勉強して来たのか、訳が判らない。とにかく、薬というのも、対症療法の、効いてるんだかどうだか判らないのが、医学の世界だとは思っている。 

 それでも、私には応援団が沢山いて、福祉相談室が、本来ならば、休日中は、サービス停止の状態なのに、わざわざ、夕方、私の家に寄ってくれて、冷たく冷えた梨とおやつ、何か、黒糖かりんとまんじゅうやら、ゆべしを届けてくれた。これには、非常に助かった。何しろ、私は昨日の歌会以来、どこへも外出してはいなかったからだ。
 その御恩恵を私は一身に受けている。近所という事もあるが、私は極めて地の利に富んだ住宅街に住んでいる。時折、私のお題目が大きいと迷惑を掛けてしまい、妨害にも遭うが。だから今では、小声でお祈りしている。
 それにつけても、福祉の人たちは皆、優しい。それも紙切れ一枚の契約書に書き表わされていて、それが、様々な縛りがあるのだが、それらを度外視したって、私は福祉の応援団に護られていると、ひたすらに感ずる。
 日頃の私を見守る、福祉関係者の皆様に、最敬礼!

以上。よしなに。wainai