Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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最後は私の今後の「ピアノ学習」についての自ら下した結論を見た。本日の相談室からのメール、「演技性パーソナリティ障害」とは。基礎疾患、発達障害、多動、アスペルガー症、他について

2024年07月05日 02時23分58秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 本日、福祉相談室から来たメールには、大体、次のような内容のメールが含まれていた。

RE: 私は、wainai
  • 12時間前2024/07/04 木曜日 11:20
wainai様
昨日の件、昨日私はずっと会議や車の運転中で、電話に出られなかったことと、いろいろやり取りを見ていると、今は介入しない方が良いとの判断で連絡は取りませんでした。
別に見放すわけでもなく、嫌っているわけでもありません。
あまり極端に判断しないでください。
メール から送信
*************************************

 これを見て、私は一安心した。私の勝手な、一人相撲だった事が判明したからだ。
 これで、私の、心の拠り所、居場所はまだ、確保されている安心感につながる。首の皮一枚つながった。良かった。これは心強い事だ。

 それに付け加えて、私はお寺の、栃木のKさんとも、メールのやり取りで、私の一方的な言い振りによって、彼を傷つけてしまう、という、難を与えてしまっていた。後日、というか、翌日、数時間位を開けたか、その位で私から大層、大謝りで謝罪をして、それら発言を撤回して、これも許された。
 ここに、その時のKさんからのメールの一部を紹介する。

Re: 今、再びの、もう一度、お詫びを申し上げます。wainaiより

  • 2024/07/03 水曜日 14:08
大丈夫ですよ。
こんなに早いとは思いませんでしたが、
2,3日のうちに電話があると思ってましたよ。
(以下略)

2024年7月3日(水) 14:03

 これらを全て承知の上で、相談室の室長さんには私の昨日今日起こっていたメールでの動きを逐一報告、送っていたのだ。それで、上記の様な反応となった。

 私は最も信頼する、今まで生み育ててくれた親を始め、今ではそうした、私に関わって下さる福祉やお寺の方々に対して、これは甘えだとは思うのだが、これを、けちょんけちょんに貶めて良し、としてしまう所が私には元来ある。最も大事な大恩人に対してである。これは異常行動、異常思考だと思う。前世からしょい込んで来た、重い重い罪障だと自省反省する。
 自身で、反省に反省、猛省を加えて、サルでも出来る反省だが、人間ならば、形だけでは済ませずに、それらの大恩人の方々に、恩を報いる関係性の構築の努力が必要だと痛感する。
 とにかく、愚痴が一番いけない。今やらなきゃならない事は、お仏壇の御本尊様の前での合掌端座、勤行唱題である。これが、一番に、仏教徒、日蓮正宗信徒として、何を差し置いても、やらなきゃならない手始めの行動の指標・指針である。

 話は代わるが、私はこれは、或る病気、症状の本の中で読んでいるのだが、「突然大きな声を出す人間に注意」として、挙がっていたのは、大勢の前で、突然大声を出す人にも注意。「認知症・演技性パーソナリティ障害」の可能性もある。というではないか。

 ただ、その本は、医師が書いたものではなく、患者発信であり、最初に、責任逃れのように、この本に書いてある事を現実に当てはめてしまい、その結果の被害損害については私は一切の責任は負いません、との何とも言い逃れにしか聞こえない自信のない発言、しかし、その正直さは言い分を買ってもいいとも思う。 

 この本は、私はアマゾンの、「アマゾンkindleアンリミテッド」の、サブスク、サブスクリプション、定額制読書コースにて読んでいるので、後は返すのみ。買わない。買う積りも一切ない。
 ただ、貴重な情報源ではある。患者発信という、当事者目線では。それにこの本は、予防医学的見地からも患者目線で書いてある所がミソだ。

 話は代わって。以下に簡単なその症状の概要・要約、まとめを書いた。
 

演技性パーソナリティ障害(ウィキペディアより要約
 その症状は、虚言癖、演技性、自己に過剰に注目を引こうとする行動様式、対人関係が不安定になる、機能的な障害。

 外向性が強く、他者の影響も受けやすい。虚言傾向も。行動様式の不適切性は、患者の文化を基準とすべき、と。

 いろいろな理由で、対人関係を遠ざけてしまう。新たな刺激に渇望しており、日常は退屈と感ずる傾向性もある(こうは私は思わない自信がある)。

 今でも自分の存在が周囲に認められていない事などがしばしば原因としてあげられる。

 外向性 
 外向性が強い事が特徴。同時に内面が希薄。アイデンティティの確立が弱い。そのため、被暗示性が強く、他人からの影響を受けやすい。他者からの注目が自己の基準となり、そのために外見など表面的な手段を使う。
(⇒昨日から今日までの、私の行動、このブログ記事の、その通りじゃないか!?)

 診断基準 
 私に当たっているもの。
 一、感情の表出がすばやく変化しそれは浅薄である。
 一、印象的だが中身のない話し方をする。
 一、他の人から見ると芝居がかったような演劇的な表現を行う。
 一、被暗示性があり、その場面や流行に影響されやすい。
 [一、他者を実際以上に親密とみなし、知人をかけがえのない親友のように言ったり、会っただけの人を下の名前で呼んだりする(これは畏れ多くて、呼んだり言ったり見做したりは自分には絶対に出来ません)。]

 これら以外からも、五つ以上満たす必要が診断基準にはある(自分はギリギリセーフ。しかし4つと、極めて微妙で濃厚である)。DSM-IV-TRによると注意をひこうとする行動を伴い、単に社交性などを証拠とする前に、臨床的に著しい苦痛や機能の障害をもたらしているかの評価が重要である。

 疫学
 構造化された評価法を用いた場合、男女比は同じである。

 治療
 ありのままの自分でいいのだという安心感を持つ事ができると、特別な行動をする必要がなくなり、精神状態も安定していく。そのため、周囲(家族等)が、どのような時でもありのままの本人の姿を認め受け入れていけるよう、サポートが大切である。

私自身の症状
 私は基礎疾患で、或る心の病だが、これは今の所、お薬で非常に抑えられていて、妄想、の類以外は、実によくお薬が効き、一切の、幻覚幻聴等が全くない。これは正に仏様の御加護ご恩寵である。現代医学の勝利とも言える。

 先にあげた、「演技性パーソナリティ障害」やら、これはこの病名症状は今回初めて私は知ったが、非常に自分の胸に突き刺さる。これはこの症状は、昨日と今日の私の極端な発言そのものだからだ。特に、ピアノを先生に付いて習いたい、等々、etc。

 それ以外にも、私には「発達障害」や、「アスペルガー症候群」や、多動障害やらが、含まれるらしい。これは先月か先先々月、星ヶ丘病院の私の担当の若手女医先生に聞いた。
 それらが、私の勘では、症状が重なっているのではないのか、と私が第一に疑いを持った。それで、女医先生に心理テストは出来ないのですか、というと、出来るが、もう、wainaiさんは、自分で答えを出してしまっている。最初から答えが判っているものに、答えを再度、出しても意味がない。wainaiさんも賢いね。とこうであった。
 それに、その時の、女医先生の診断、見立てでは、私の場合は、アスペルガーと、多動が大きく考えられるが、その点は、微妙な範囲であり、現在もそれらに関する薬など、現在の医学でもないので、このまま様子を見ましょう、と仰られた。
 元来、どんな人でも、私の福祉相談室でも、この、発達障害などの症状に当てはまる人は、結構な数でいるらしい。先生も、相談室の人も仰っていた。
 それ位ポピュラーな症状であり、気にする必要もない。ただ、自身で自覚はしておいた方が良い、という話。
 
 (まだまだ話が続く…。「演技性パーソナリティ障害」について)これに当てはまるかは私としては、女医先生に聞いてみないと判らない。ただ、声が大きいのは、元々、私の耳が小さい時からラジオなどをイヤホン等で大音量で聴いていて、それに伴い、耳から内容物の液体が始終、出て来た、という体験と、学校時代、先生に左の頬と耳を平手打ちにされて、一週間位、耳が遠く難聴になった事。これに関しては、その時一切、病院には通わなかった事、が大きいので、ここで取り上げた「演技性パーソナリティ障害」には何分の一かで、当たっているし、当たらないとも自己判断で思ってはいる。
 あと、二千年代に、私はゲームセンターなどの、ゲーム機の机状の台座を加工し作る仕事で、NC加工という、コンピュータ制御の仕事もやっていた事があり、一日で、その固い木材をコンピュータ通りに切って行く、その騒音で耳がやられてしまい、その次の朝、会社へ行く直前に、福島民報だかの、新聞を当時取っていて、それに健康歳時記のようなミニコラムがたまたま載って出ていて、大きな音を聞くと、難聴になりやすく、そうなった場合は、一刻も早く、なるべくならば耳鼻科専門の大病院へ、との記事を読み、これは大変と、母と相談の上で、母の運転の車に乗って市内の太田西の内病院へ行った。
 そこで、最新式の、防音室のある、素晴らしい位施設が整った、大病院での診察を受けて、医師からは、難聴です、との診断を受けて、二週間位のお薬を出され、その日から飲んだらこれが快調で、それでも真っ正直に、最後の日までお薬は大事に飲んだ。そのお蔭で、今の所、難儀ではない。一日で仕事は辞めてしまったが、健康には代えられない。お金、給料はちゃっかりしっかりともらった。
 その時の新聞には、耳なりがキーンと、金属音の様な音がして、それは大音量の中に身を置くとなり、なるべく早く耳鼻科の大病院へとあった。病院へ行かないと後遺症として残ると。
 たまたまの新聞記事が、こうした幸運な巡り合わせとなる。実にこの時は助けられたと思う。
 しかし、やはり、子供、生徒学生時代からの、耳の酷使、折檻等を受けて、私の耳は弱ってしまった。それで、今日の様な、人より大きな声、声高な声、目立つ声、に私はなってしまった。
 決して、目立とうなどという、そんな浅はかな、大袈裟なものではない事を、皆様にはご留意ご理解を頂き、心に留めて頂きたく、存じ上げます。


※編集後記
今日は異様に遅いブログ更新である為、もう眠る時間帯であり、皆様の所へ伺うのは、あしたにさせて頂きます。必ずに。毎度の事、済みません。<m(__)m>(ぺこり)。

結論としての私の意見・陳述・忌憚なき発言・最も言いたかった事
 上記からの関係上、今まで、否、昨日、突如として、私の発言から飛び出した、「ピアノ独学からクラシックの先生に付く!」論を、ようようと引っ提げて登場し出した私ではあったが、ここへ来て、又もや「君子、豹変す」じゃないが、独学を、これは筋を通し直して、一からやっても良いとも思っている。
 しかし、今、数か所、特に大手の楽器メーカーの所属のピアノ教室等々との見学体験予約を絶賛、私は取った最中ではあるが、これもどうしようか、一応、覗くだけのぞいてみるか、との冷やかし半分の好奇心のみが私の胸中には湧いてある。
 一応の賭けとして、その日に、雨模様だったら、見学は、即座に辞めにする。大晴れの、暑くて体に危険な日も、これも棄権にする。これを背水の陣として決めた。やるかやらないかは、私の自由な裁量だ。言い出したのも私。撤回する自由な権限を持つのも自分。この結果は如何。正直私は辞めたい。ハッキリ言って、もう予約を取り消す積り、算段、腹づもり。
 これは勿論、福祉関係者達、或いはお寺関係の人の指図などは、一切、私は受けてはいずに、全ては一人行動である。その点の誤解のなきように。
 ただ、福祉関係者には、今流行りか廃れたかの言葉、忖度、はあるやも知れぬ。これ程心配、配慮に欠けた私が今後、取るべき行動は、又もや振り出しの、独学に戻る事に絶賛、決めたのである。決して、圧力、権威に屈した訳じゃ御座いません。悪しからず。
 皆様、お見苦しい文章・動画に、これからもお付き合い願えれば、これ幸いです。昨日と言ってることがまるっきり違くてすいません。
 やるならやるし、勿論、独学で、となると、あの私が提示した動画では、クラシックは型にはまって大変無理でも、ポピュラー・ジャズならば、個性を生かせて、大丈夫、表現上、クセが個性になる、とのご意見でしたからその出演者の、私の出身母校の安高出身者の人の話だと。
 だから、その方も仰っていた、私も元々大好きな、肩の凝らない音楽、ロック、ポピュラーのザ・ビートルズを目指せば良いんですよ!簡単な結論ですよ。ジャズのビルエヴァンスその他を目指せば宜しいのですよ!これで、ポピュラー路線で、ストリートミュージシャン、路上ライヴ、駅ピアノ、街角ピアノを目指せば誠に良い!これが私の生きる道です。やっと見つかりました。我が人生の趣味の生きてゆく道のりというものが。

 片方で、お母さんが具合悪い時に、一人で趣味に大金を使う、その腐った心根が、私には自分で自分が絶対に非常にどうしても許せなかった!これが第一義に一番に本来ならば言いたかった事!

 どんなに優しい言葉を使っても、それは遊び遊興の類は「魔」以外の何物でもない。それがこの世、第六天の魔王の支配下の方程式なのだ。

 それらから脱する道は、ただ、今回の様な「迷い」「貪り」「いかり」「おろか」「我欲」「煩悩」からの脱出。これの良薬(ろうやく)が「法華経」、「南無妙法蓮華経」が一番のお薬なのである。私にも一般大衆にも。いつもの、結論が戻る所に戻ってきたよ!

 それも「日蓮正宗」の三大秘法の戒壇の大御本尊様が一番に大事なのだ!

 とにかく、ピアノは「独学」。これが私の既定路線。このまま突っ走ります。クラシックがなんだ。お作法よりも、「感動」だ!私の魂は「ロックンロール魂」だ!

 それにしましても、皆様、お騒がせ致しまして、誠に済みませんでした。

以上。よしなに。wainai


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