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【山本太郎】この話を聞いてゾッとしました...実は創価学会と公明党は深い繋がりがあります...はっきり言いますが仏罰を下るのは彼らの方だと思いますよ...【れいわ新選組】

2024年11月11日 18時50分50秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
【山本太郎】この話を聞いてゾッとしました...実は創価学会と公明党は深い繋がりがあります...はっきり言いますが仏罰を下るのは彼らの方だと思いますよ...【れいわ新選組】
マスク姿の山本氏に違和感を持ちますが、言ってる事に共感はします。

以上。よしなに。wainai 

創価学会員折伏再々々度にわたり、憎っくき創価魔めが !

2024年09月22日 15時33分47秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 本日は、秋季彼岸会でもあり、日蓮正宗無量山寿海寺でも御住職様の深甚の御説法を御拝聴賜り、気分は非常に高揚し、折伏精神がみなぎり、自身でもなんとしても抑えようがなかった。

 そこで、私がいつも目につけている、近所の母の元同僚仕事仲間のIさんという旧態依然の創価学会員の家へと、日蓮正宗系列の一応、新聞でもある、大白法と慧妙とを携えて、その創価宅へと直行したのである。

 すると、見るからに情けない、確かひげづらの夫が出てきて、開口一番、「何の用だ!」とな。

 コイツが出てきて、今までろくに折伏の真面目な話し合い等出来た試しなど絶対ない。それ位にコヤツは鬼門の男なのだ。

 それで私がにじり寄り、「折伏の用件で来た !」と言うと、「ああ、うちは公明党だから関係ない」の一言で済ませて「うちに来ないでくれないか」と言うので、「一人でも多くの創価学会員を救い切る義務が我々日蓮正宗法華講にはあるんですよ」と言うと正論?に聞こえるのか黙り込む。

 そして私から、「お宅の奥方はどこへ行ったのですか ?」と聞くと「知らない」と。

 私が、あんたの奥さん、得体の知れない、本当にどこ行ったか判らないの、マジで、と言うと、あっさりと先方は、もう帰ってくれ、これだ。

 この男は、人の話を聞くと言う一貫性、堪え性も一切ない。しかも、宗教の話で折伏に来たのに、わざと政治団体の公明党等と、今は自民党が人気復活、自民公明で一蓮托生で選挙の勝ち馬、勝ち戦に乗ろうと必死の公明党。次期党首もほぼ、内部だけの秘密裏の人選で、内定で、既に決まっているのだろう。

 あわよくば、何処までも付いて行きます下駄の雪、であり、そのバカな亭主も、新興宗教団体の邪教創価学会と今の時節柄名乗るのは、創価は統一教会と同じ穴のムジナかそれ以上のカルトセクトの悪徳団体だとバラすのを最も嫌って、得策じゃないと思い、そんな言辞も出るのであろう。

 大体が、元を正せば、創価学会とは、平成三年以降、御宗門に破門されるに至るまで、それ以前から、だんだんと、ドンドンと、大吟醸の高級日本酒に、少しずつ「池田大作」という汚ならしい汚物のような水を他人に気付かれぬ内に足してゆき、とうとう別のおぞましい酒とも言えぬ代物へと代えて行ってしまった、偽の大吟醸酒、酒じゃない、汚物まみれ、汚物が沈殿した、理科化学で習ったチンダル現象そのままが、今の世間からも嫌われ者の創価学会の本質、ズバリ池田教、なのだ。

 そんな単純な事すら分らず屋の創価学会は、いつかは公明も政権離脱してもらって、憲法違反で解散。

 創価学会も、昭和の頃に、第二代会長戸田城聖先生が東京都に宗教法人格取得の時に総本山御宗門との御約束、

 一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
 二、当山の教義を守ること
 三、三宝(仏・法・僧)を守ること

 これを守らない為に、解散してもらう。それが筋だ。

 結果、昭和二十七年八月二十七日、東京都知事より宗教法人の認証を受けた創価。

 この時の「創価学会規則」には、「この法人は、日蓮大聖人の一閻浮提総与の大漫荼羅を本尊とし、日蓮正宗の教義をひろめ…」(聖教新聞 昭和二十七年六月二十日付)

 と、日蓮正宗の教義を広めるための団体ではあった。曲がりなりにも昭和の末までは。

 途中にも、創価は、言論出版妨害事件、昭和五十二年路線等の過ちを何度も繰り返して来た。

 その矛先を、今度は、五十二年路線の焼き直しで、日蓮正宗御宗門に、特に当時の御法主第六十七世日顕上人猊下様へと罵倒の限りを尽くした平成二年の暮れの池田大作による全国創価文化会館同時衛星中継による、謗法スピーチから端を発した創価学会による世も末のおぞましい宣戦布告が、その年の暮れから巻き起こった。

 御宗門では、今まで任期が一切定められてはいなかった制度上の不備を改めるため、同年に宗規の一部改正による総講頭の「罷免」ではなく一時的な資格喪失だった。この時の対象者は池田大作一人ではなく、他にも創価学会幹部十二名、法華講幹部二名が資格を喪失している。

 もしこのとき、池田大作が宗門からの教導に随順し、正しい信仰を貫く心に戻っていたならば、再び総講頭への道も開かれていたのです。

 にもかかわらず、この時創価学会幹部は、全国の会員に向かって、「先生が総講頭を辞めさせられたのは猊下の嫉妬によるものだ」と大々的に宣伝しました。そして、聖教新聞の報道や各種会合において、「男の嫉妬は女以上」「坊主のやきもちは、まっ黒け」などの暴言を繰り返したのです。学会問題が起きて間もない時期、何が起きたのかよく分からなかった学会員には、この指導は強烈な印象を与えました。

 しかし、「猊下の嫉妬…」の指導は、創価学会問題の原因が池田大作の驕慢謗法にあることを隠すために、創価学会が無理矢理に作り上げたデマなのです。

 そもそも、御法主日顕上人が、池田大作や創価学会に対して「やきもち」を焼く理由がどこにあるのでしょうか。

 僧侶が得度するとき髪をそり落としますが、これは、俗世間の名誉や地位・財産などへの執着を捨て去って、仏の教えに生きることを意味します。釈尊は、一国の王位に就くべき身を捨てて出家し、悟りを求めて修行の道へ入りました。

 日蓮大聖人は、佐渡から帰られて間もない文永十一年四月八日、鎌倉幕府の権力者・平左衛門尉頼綱から鎌倉の地に堂舎を寄贈する替わりに幕府の安泰を祈念してほしいとの申し出がありましたが、これを断り、身延の山奥に隠棲されました。

 日興上人以来、「釈尊五十年の説法」と「日蓮一期の弘法(ぐほう)」を継承される日顕上人は、世俗の名誉や地位など、はるかに越えた「御法主」という御境涯におられるのですから、称号や勲章にうつつを抜かす池田大作に対して嫉妬などするわけがないのです。

 また創価学会では、「池田先生のほうが人間的に立派なので、日顕(上人)が嫉妬して先生の失脚をもくろんだ」などとも吹聴しているようですが、これは全くの誤解であり、浅はかな考えです。

 御法主日顕上人は、毎朝の丑寅勤行において、一切衆生の幸福と広宣流布を御祈念され、正法流布のために我が身を顧(かえり)みず慈悲の御教導に専念されているのです。したがって、正法の信徒が社会的に高い評価を得、人間的に立派に成長することを、最もお喜びになるのは御法主上人なのです。

 仮に、池田大作が清浄(しょうじょう)な信徒であり、社会的評価も高く、人間的にも立派な人物であったなら、それこそ御法主日顕上人は池田大作を信頼し、宗門発展と正法広布のために尽力するよう、さらに大きな使命と役割を与えられたに違いありません。誰が考えても、宗門発展に貢献する人はもちろん、いかなる人に対しても日顕上人や僧侶がやきもちで失脚をもくろむはずがないのです。

(この文章の中盤から後半に至るまで、「創価学会員への折伏教本」252~255頁から引用させて頂きました。発行、日蓮正宗宗務院。発行所、KK大日蓮出版)。

慧妙、日蓮正宗。令和六年八月十六日号。アコースティックギター練習

2024年08月30日 15時27分09秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
慧妙、日蓮正宗。令和六年八月十六日号。アコースティックギター練習 慧妙、日蓮正宗。令和六年八月十六日号。アコースティックギターは端緒に着いたばかり。まだ、形にはなりません。以上。よしなに。wainai 
※追記
ギターの第一弦が弦のまとめて交換している最中に切れました。予備が九月に届くのでそれまでギターはお休みです。よしなに。

変な創価高齢ジジイにストーカーされ、付きまとわれている

2024年08月10日 11時27分29秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私のユーチューブ動画経由で私はストーカーされている。それは、このブログではスマイリングオールウェイズ、英語名で。動画ではその和訳名いつも笑顔で元気です、で名乗っていて、アイコンが鉄腕アトムが飛んでいてパンチングする絵であるが、一度、余りに謗法臭いので、私はソイツをブロックしたが、私の母の心配までしてくれたのだからと、情に負けて、解除してしまった。
 その後のその男の私の動画コメント欄での暴れ振りがあまりにも目に余り、程なく、再度ブロックしたのだった。
 こいつは、いかにも現在無宗教をほざくが、創価の唱える、辻説法は嘘、や、以前の大石寺には垂迹堂があって神を祀ったと難詰する。辻説法はこれは宗門では譲れず日蓮大聖人様は確実に為さっていたのが事実。これを何で今更創価が否定するのか意味不明。これをもこの哀れな老人は攻撃材料にして来た。この老人の因って来たる所がバレバレ。
 垂迹堂、これは事実だが、このたびの御住職様の御説法でも、そこにはちゃんと大石寺では御本尊を御安置していた事実を説明為さっている。本にもそう書いてある。それを日蓮正宗教学に絶対的に無学なこの男はさも無視して、それを驚いた事に、ソイツは御宗門に楯突いて非難、批判して来たのである。
 何も、朝の勤行の、初座での諸天善神に祈りを捧げる我ら日蓮正宗信徒僧俗には、疑問・矛盾点など一切ない。
 創価位だろう。五座を止めて、諸天善神への祈りも止めて、神々に尊崇の念をも完全に忘れ去り切った、神をも畏れぬ、亡国の徒の学会からの御宗門批判など、まともに聞いたって当たりはしない。的が外れている。
 日頃、神々にも護られない、創価学会、及び学会員。哀れ哀れ。
 それに付け加えて、御影堂他、全国の寺院では、御本尊の紙幅若しくは板曼荼羅の前に仏像、特に大聖人の像を置くことも禁じてはいない。
 しかしこの老人は、元々、宗教の元祖、宗祖は、偶像崇拝を禁じる習わしがある、必ず。とのおかしな珍説を出して大いに笑わせてくれた。邪推、邪論だ。
 そんな文証どこにあるんだという話。あるんなら出してみろ。大聖人様の御書を読んだ事が全巻一回でもあるのか、と私は念を押していったこともある。おそらくないであろう。私はある。偶像崇拝?キリスト教でもあるまいし。キリスト教も、人の姿のキリスト自身が偶像なんだと私は説き伏せた。勿論十字架も。この偶像礼拝云々も創価が説いてきた事のある邪説妄説である。
 それらその老人が説く邪説が、どこから来たのか。私はある日、あるネット上で、検索を掛けて、創価学会系の古い、と言っても数年前位の掲示板を見つけて読み出すと、これら邪説とおんなじ事が、問者と答える者とで、かなりのページ数で問答形式で述べられ載っていたのだ。
 その問答が、コイツの日常、私に無理難題を押し付けた根拠が天下の日蓮正宗の御教えに対する創価学会式のゴリ押しの難癖のQ&Aとして、全てそこにあったのだった。
 大体、辻説法は無かった、との珍説を言い出したのは邪教創価学会が始まりだと、日蓮正宗内では、余りに有名で、織り込み済みの話である。
 そして、コイツの悪い所、悪辣な点は、いつも私の揚げ足取りばかりに終始していて、私が不利になったり、不幸になったり、ミスジャッジするのを目ざとく見つけては、喜んで、私への攻撃材料とするのを良しとするのだ。私への無言有言の圧力を掛けて、実際、私のブログのコメント欄で騒ぎ立てて、人を罵倒してバカにする。たまったものではない。そして人騒がせだ。しかも傍若無人だ。
 人のブログ、以前は動画を炎上させて、喜ぶバカ者だ、こやつは。
 要するに、日蓮正宗が心底憎いんだろ。オマエが言いたい事は。百も承知だよ。
 うちの母へのあいさつも、あれもウソ。本当に心配していたならば、こんな愚挙暴挙には出まい。出しに使われた母が可哀想になって来る。
 これは、立派なストーカー、付きまといである。刑法の脅迫罪、強要罪、恐喝罪、他。ストーカー規制法、その他に立派に違反、違法行為を働いていると考えられる。
 余りに酷い場合、関係機関、警察、司法にも動いてもらう場面も考えている。
 一読者に成りすます、この「創価野郎!」「謗法者」「一闡提人!」めが。『ソイツの名称』この鉄腕アトムのアイコンの出来損ない。いつも笑顔で元気です、だと。スマイリングオールウェイズめが。
 今度出てきたら、ただじゃあ置かないからな。覚悟してろ!!
 お前は、二度と私のブログへ来るな!!これからも出入り禁止だ。
 何でこの私が、こんな底辺高校大学出身者で、しかも創価出身者の田舎者の老人の相手をしてやらなきゃならんのだ。まるで拷問だろ ! ヒマだからって私に絡んで来ないで、老人ホームやデイケアで最期の余生を過ごせよ。
 そいつのコメントを見つけ次第、即消去、削除する。これはブログ主の私に与えられた権限特権だからな。
以上。

【 創価学会 70代の独居老人】 元創価学会員の実体験 告白: 創価学会に一度入ると抜けられないかも!

2024年07月23日 20時17分09秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
【 創価学会 70代の独居老人】 元創価学会員の実体験 告白: 創価学会に一度入ると抜けられないかも! 恐ろしい話です。この、創価という名の新興宗教は、どこまで行っても、ク○(伏せ字)です。

私も母から聞いた事があります。昭和の頃の創価でさえ、こんな事がありました。或る婦人がどこかへ引っ越しました。その方も創価学会員でした。引っ越した先まで、市役所で調べなくっちゃ、と、或る、この、郡山市大槻町の婦人部の女が、そう言っていたと、母から聞きました。
それを聞いて、私には、創価には、今にして思う事も多々あり、その当時からもそうでしたが、学会員には、秘密にして置ける事、現代では個人情報の類が、全く根絶されてないのかと、怖ろしく疑問に思いました。
子供心ながら、これは、怖ろしい団体だな、人が引っ越していった後も調べ上げる。その女性の方も判っていたのでしょう。創価がしつこ過ぎる団体だと。
だから逃げたのです。しかし、追っ手はどこまでもしつこく追ってすがるように、凄まじい情報戦で、情報を手にして勝ち誇る。これが創価の手口なのです。

この以下の文は、私のこの方へのコメント記事です。
無くならない内に、コピペ、コピーアンドペースト致します。


@wainai12375
2 時間前(編集済み)

@wainai12375 
池田に先生などつけるな。 
あの男の題目こそ地獄界の声だ! 
数珠は揉むモノじゃないと、 日蓮正宗総本山富士大石寺奉安堂での館内放送では散々ぱらご教示があると言うのに、 あの池田という男はここぞとばかりに、 数珠をジャラジャラ、あいつの数珠は相当何代目も台無しにした位の、 モノを大事にする精神など皆無なのだ。
 だから、人も使い捨ての駒のように極めてぞんざいに扱えるのだろう。
 あの池田大作という男だけはいけ好かねえ。 
あなたの、動画主様の御気持ちはよーくとわかった。ここで池田讚美を為しているバカどもには構う必要など一切ない。それは貴方様が一番ご存知だ。
 だったら、私は事後の善後作として勧めたいのは、「日蓮正宗」に帰伏して、老後を一からやり直したらどうだろうか、という事だ。 
今からでも遅くはない。今では宗門もかつて以上に隆盛を極めている。 
確かに貴方の声にはハッキリとした生命力のほとばしりがない。それが残念至極。ここで創価員に突っ込まれるのも由縁がある。 
それこそ、大御本尊に直結した祈りがないから、どんどん生命力、功徳力が逃げて行ってしまう。 
こんな所で学会員なんかにバカにされて悔しくはないのですか? もっと正直になって、本気になって、正法、仏道修行してみませんか。
 人生の最後の大仕上げ、大ナタをふるっての自己改革です。
 人間、誰しも一生勉強です。この道に終わりは決してないのです。
 今しか、残された貴重な時間、道は絶対にないのです。どちらも真理です。 
「一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人なくして菩薩に留難をなさずば、いかでか功徳をば増長せしめ候べき」(四恩抄)。宗祖日蓮大聖人様の御金言です。 
とにかく、無智のために正しい信仰に対して悪口罵詈の謗法を犯す逆縁の衆生があるからこそ、それらの人達を善道に導いて自分自身も成仏が可能となる。 
本当に、最期まで自身の真の信心が本当に貫けるのか。 全てはそこに掛かっています。 
以上。よしなに。wainai
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自称・熱狂的創価信者だった私に突き付けた、母からの挑戦状

2024年04月24日 17時05分40秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私と母は、母が非常に今の施設でも今なお元気だが、それ以前も今以上に、私を自分が運転する自家用車に乗せてあちこち出掛けていてより元気であった。
 そうして、その頃、今から十年~それより短い期間くらい前になろうか。その頃は、私と一緒に、車に乗って市内の図書館へと母と良く行き来した。
 その時、郡山市立富久山図書館にて、母と私はいつものように、私はCDを二枚借りて、その後、散歩をして、母が図書館で読書をしていた。
 そうして、私が図書館に散歩から帰って来た所、母から一冊の週刊誌を私に捧げ持って、私にひどく読むように勧めた。
 その週刊誌は、「週刊文春」であり、当時は創価におもねった今とは違って、創価学会だろうと何だろうと、怖いもの知らずで、言論の自由度を競うマスコミの一つであった。
 そこで、頭を殴られる程の衝撃インパクトを、その週刊誌の記事を私は読んで直にショックを受けた。
 そこにあった記事には、創価学会の池田大作氏が、その頃、もう、認知症が進んだ老人であり、週に何回か、看護人が何人も付いて、風呂好きな池田氏の為に、介護付きで風呂に入れられていると。
 そして、池田氏のベッドの脇の窓の下には棚があって、そこには、池田氏が全世界からかき集めて来た、楯やら、勲章、賞状の類が飾られているが、池田氏本人は、もう、それらに対して、それが何かも判別がつかなかったと言う。
 或る日、池田氏は、まだ物につかまって歩けたようだったが、そこに大事に置いてあった、世界の大学機関やら、国々、有名な学識があると思われた人々、とにかく、その楯やら勲章やら、賞状を、凄い剣幕で、その場から払い落として、地面に踏みつけにしたり、ガラスを割り、ぶん投げたり、粉々にして、狂ったように壊して破壊の限りを尽くしたのであった。
 それ以来、池田氏が乱行をしないように、それら勲章やら、楯、賞状はその場、その部屋からは遠ざけられ、皆、撤去されたと言う。
 私は、その話に、その当時ビックリして、母の方を見ると、母も、そういう話なんだわ、と言った風な、別の見方が必ず、世の中にはあるんだと、創価学会が言う言説、文言、言い分と、それと真っ向から反した言説がある事を、この時の母は私に最も言いたかったのだと、この時、私は認識した。
 これらの事実は、私にとっては、一度は、と言うのか、その時すでに、私は創価男子部として、一応は、池田氏が書いたとされた、実際はゴーストライターの書いた書物なども読み、池田氏を頂点とする池田創価学会に属する者としては、その池田氏を尊重して、敬愛はしていた。それだから、彼の書いたと称された書物は、丁寧に当時、読みふけっていた。
 しかし、この時のメガトン級の、当時の池田氏の実態を綴った、その池田氏の御付きだった確か看護師だか介護士のそばで見た人の手記には、私をその後の、「創価学会脱会」、「日蓮正宗帰伏」へと大きく舵(かじ)を取る、一つのキッカケになった出来事だった。

 母は、一方的な見方(味方)をするような、そんな偏った狭い料簡の人では決してなかった。私は、母の当時の、私へのそれら、創価学会と言う、日本の宗教団体で最大と言われた教団のトップの成れの果てを、そんな風にして見せてくれた、その図書館でのいきさつを見聞きするにつれ、この母の行為に何ら作為などなく、公平な見方をしたものである事。流石は我が母は、弁護士の娘、東京都立戸山高校卒業生であったと、尊敬、敬愛の念で、今更ながら、先見の明を持った偉い親、母だと、思い致している。
 創価にいながら、それに反した、公平な見方が出来得るという、俯瞰して見ていた母。
 母に対しては、後年、日蓮正宗への帰依の道を開くもの、決定打だったとの感謝の念を大したものだとの、私なりに大いにいだいている。
 以上。よしなに。wainai

創価狂学凶学、ひなびた郡山北工業高出身者ごときに従う私ではない、コノうすのろ創価学会め!

2024年04月18日 14時07分30秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私の近所の創価学会員宅には今は違う家にはなったが、当時、座談会場として使われていた御宅があり、私などは、そこへ晴れがましく通った。

 それは、私が本格的にこの信心を始めた、1998年以来、私の創価学会デビューの幕開けであった。

 その時、私は、その年に起こった、夏の栃木・福島を襲った大雨災害を機に、私なりに、天地に誓う、というのか、その座談会でも、これは、その被害者、死者からへの、何らかの、私への忠告に違いない、だから、私はこの信心を始めたのだ、と皆の前で、小さな、しかし、勇気をもって体験発表をした。

 それに対して、場を盛り上げる、太った司会者の年上女性は、凄い人が現れたものですね、と私をねぎらった。

 そこの座談会では、様々な思い出がある。しかし、そうする内に、母とも仲良く二人でそこへ通う内に、嫌な思い出も次第に多くなってゆく。

 何といっても、私たち親子に対して、快く思わない人などが、自分があげたお菓子でもないのに、私たちに勧めて、「食べな!」と乞食にでも与える風に言った時が、母にとっては、自身が受けた最大の屈辱・侮辱と受け取ったようだった。

 私は、この座談会では、男子部に属していて、そこでは、男子部の教学部を中心にして、この場を借りて、即席の教学の指導が、その場で男女関係なく、執り行われていた。

 私から見ると、その男子部でも、その教学部の中心者は、数歳、年上の、ある電機メーカーに勤める、郡山北工業高校卒業の、高卒の男性が、何か、教学の資格を持っていて、私達に教えを垂れていた。

 この人は、別の機会に、私の玄関先にきて、実際、この今から二十年位前の話だが、携帯電話の料金値下げの国会陳情に、署名が欲しいと我が家へとこの男が乗り込んで来た。

 しかし、私は、実際には、当時、郡山駅前の中町通りで、私がCDショップの新星堂にCDを買いにゆき、その足で、中町通りを自転車を引いて歩いていると、その場に、当時、市議会議員だか県議会議員だかを務めていた、箭内議員と言う人を中心にして、街中で派手に、公明党ののぼりと車を置いて、熱心に署名活動をしていた。

 それにその熱意に私は乗って、一筆、署名をしたのだ。

 それから、その、前述の、北工卒の男が我が家に来て、どうしても署名が欲しいと言った。

 しかし、私が、既に、駅前に先週だか(当時)行き、公明党議員がいた場所で、署名は済ませた、と言うと、半ば、へえー、そうなんですかー、と言いつつ、何か、不審そうに、こちらの顔色を窺い、疑問視するような目つきで、私と相対した。

 それで、私も、本当なんですよ、と言うも、どこまで信じてもらえているのか、私には判らなかった。

 しかし、明らかに、私に対しては、信用・信頼などは全くしていなかったようだった。この男は信用ならぬと。

 そんな経緯もあった。そして、私は当時から、作業所に通っていて、そこの作業所の住宅・グループホームにも住み込んでいた、障碍を負った私よりもより病状・障碍が重そうなやはり年上の男性が、この北工の男を、それはそれは、私よりも誰よりも、何か特別待遇でもしてもらっているのかという位に、持ち上げていた。

 何かにつけて、○○さん○○さん、と、まるで、その指導する男が居ないと、自分の居場所すらないと言いたげな様子を、何時も見せていたその弱弱し気な障碍者男性。

 そして、その重い障碍の男性も私達の地区の座談会場に姿を見せるようになった。

 そうして、御書講義を受けて、良かった、を連発した。私には、全然、心のこもってなんかいない、御書講義だとしか思えなかった。

 結局、その北工上がりの、電機メーカー勤めの男の、御書講義の最後の決めゼリフは、必ず、日蓮大聖人の言葉より何よりも、「池田大作センセー」は、こう仰っている、とこういう結末で、締めているのが通例であった。

 何よりもまずは、大聖人様の言葉は参考にしか過ぎずに、最も言いたい事は、「池田センセー」の言い分を最後には必ず持って来て、これが初めから言いたかったのだ、と言いたげであった。

 私には、とても陳腐にしか聞こえなかった。例え、その当時の、熱意ある学会員だったとしても。

 ダブルスタンダード、二重基準がある、二重人格、二枚舌、偽善者然とした、創価の間違える、狂った教学だと、この時、図らずも、私の当時、「創価脳」の足りない頭だったとしても、「池田教」「池田創価学会」の表看板に、皆騙されているんだ、と、少しずつだが、私は気付き思い始めていた。

 それに、その職業高校の、北工上がりの先輩?!講師も、年に数回、教学試験が行われているならば、私はその問題集や答案が、聖教新聞紙上に当時から、何回となく載せられていたのを見ていたが、それら、地区の学会員の、男子部にしろ何にしろ、一度たりとも、私に試験を受けてみませんか?などという、お伺い等を聞いた試しが一度もなかった。

 その、前述の、グループホーム住まいの、障碍の重い男性ですら、何かしらの教学の資格を持っているのに、だ。

 私が、この地区、郡山市内でも、最難関高校の進学校、福島県立安積高校入学合格者である事は、この座談会場でも、来ている人のほとんどは知っているみたいであった。

 しかし、それを見越して、私に、教学を下手に身につけさせて、「正教授」等でもなられたら自分らの首が困る、とでも言うのであろうか。一切、私への、それら、御書の教学試験への誘いの話など、通り一遍でも、聞いた試しなど全然なかった。

 時折見せる頭の切れの良さを警戒されて、出世を妬まれ、わざと疎んぜられているようにしか思えなかった。

 それに、私の屈辱とするべく画策があり、その当時、私の作業所には、精薄、知的障害の、高齢女性も働いていた。

 どうやら、その女性も、創価学会から勧誘されていたらしい。年に似合わずに、自分の名前すら書けない、幼稚臭い女性なんだが、「その人に、ヨロシクね!」などと、私の帰り際に、私に面と向かって、その他の或る女信者が言った。

 私は家に帰って来てから、この侮辱じみたそれら、創価の座談会での事を、一緒にその場に行っていた母とよーくと話し合い、実際に母には、これは、私を不当に面罵して、罵倒して、屈辱を与えて、侮辱するものだと訴えた。

 母も、最初はそのヨロシクと言われた女性が判らなかったみたいだったが、私から真実を聞いて、本当に酷い話だ、と私に同調し一緒に激怒していた。

 どうして、あんな、名前も書けない、知障の女を、私が面倒見て上げるかの如くの、そんな関係性もないのに、又、その情報、私が同じ職場で働いている、という、この恥とも言える話に、無性に自身を責めて、恥じ入り、創価学会という団体に対して、この時程、疑問と怒りの念を沸々と燃やし湧き上がらせた事等無かった。

 今では終わった出来事であるが、私の心の中では、いまだに終わってはいない。

 決着をつけるとすれば、日蓮正宗が、創価学会を解散破門勧告した、平成三年のその時に戻って、創価が実際上、それらを受け入れて、全て、自ら、宗教団体を解散する時が来るまで、私なりに、この悪徳団体とは、戦い続けなければならぬ、と強く思い念じつつ、感じて、考える次第です。

 どっちが学力で秀でているか。創価の、ひなびた福島県立郡山北工業高校くんだりなど、今となれば、くそくらえだ!

 以上。よしなに。wainai

お願いですから『日蓮正宗』と『冨士大石寺顕正会』とはまるっきり別個の団体だとお見知り置き下さい!!

2024年04月04日 18時06分36秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私は、今週先日の月曜午前中に、A相談室の長の方と、面談、モニタリングがあった。
 その時、私は、先月の末に、日蓮正宗総本山富士大石寺(静岡県富士宮市上条)へ行き、参詣したのだ、と語った。片道十時間以内、掛かったと。
 そんな話をしていたら、A相談室のK女史が、あの、(以前、また別の人からも聞かれた、おんなじ話題ですよ?!)女子大(郡山女子大)のそば、開成山大神宮のそばにある、国道49号線沿いの、たしか「顕正会」ってあそこにあるよね。あの団体に、○○さん(私)は入っているの、と聞かれて、とんでもない、それは事実に反する、とこちらはお答えし反論した。
 こちとら、宗教の話にはうるさいもんでね、と啖呵を切り、あの団体は、総本山富士大石寺を名乗る、真っ赤なニセモノ。そいつらは、新興宗教で、日蓮正宗からは昭和の頃にとっくに破門された団体。正信会や創価学会がのちに破門になる前から、邪教として破門に付された。
 そうして、悪どく、えげつない事に、その宗教団体名に女々しくも、いつまでも「冨士大石寺顕正会」と「冨士」の「冨」の字が、うかんむりじゃなくて、わかんむり、と、わざと紛らわしい名前にして、自分らを偽装して、伝統宗教・仏教の日蓮正宗に擬して、真似をして騙(かた)っている悪辣な、いかがわしい宗教団体なんだと。
 そうだから、その「顕正会」は、今も、常に、その暴力宗教としての振る舞いから、日本の公安調査庁からもマークされている団体で、宗教に無知な人々につけこんでは、勧誘して、拉致監禁等々、住所と名前を書かせるまでは、会館と称する施設に閉じ込めては、絶対に家には帰さない、強制的な勧誘をする、それで信者を増やした事にしている、ろくなことをしない団体だ、けしからん団体なのだ、と私は声を大にして、心から訴えた。
 そして、そんな団体と、間違われるだけ、こちら側、日蓮正宗も大迷惑であるし、その、名前を紛らわしくして、他人の宗教の名前を使って公言しているだけ、余計におかしな団体なんだ、と私は心から、訴えて、心底悲しんだ。
 そうしたら、そのK女史も、なーんだ、今までは、その団体に○○さんがてっきり所属しているものだとばかり思っていたけれど、実際は違うし、色々このうちへ来ると勉強になるね、と言われた。

 それに対しては、私共のお寺、菩提寺は、郡山市西部の大槻町の中の、郡山市土瓜、私のうちにも近くに存在し、在るのであり、あんな、女子大前の、開成山公園のそばの、開成何丁目ではないんだ、と強く訴えた。

 それから、あちら新興宗教と、こちら伝統宗教とでは、百八十度、全く違った雰囲気、邪教は邪教でしかなく、伝統にのっとった、厳(おごそ)かなのが当宗本宗、日蓮正宗の持ち味なんだ、とお答えした。

 とにかく、いまだに、私の家に来る、来た、福祉関係者の中で、この、新興宗教の顕正会と、伝統宗教・伝統仏教の日蓮正宗とを取り違えて間違えて、混同したり、同一視していた、と言う発言を聞くのは、これが一体何度目だろうか?とにかく多い。多すぎる。
 
 これら誤解を解くためにも、私たち、日蓮正宗法華講の一員ともなっている私にとっても、正に正念場だとも言えます。日々、日夜、こちらも広宣流布の為に一肌脱いで、これら邪教共の餌食にならぬよう、善良な市民、他宗教を信じる皆様にも、御注意を喚起し願いたく、ペンならぬ、PCのキーボードを叩いて、強く訴えるものです。
以上。よしなに。wainai

戸田第二代会長先生がいなければ今日の創価学会は無かった。池田氏は只のコケ脅し悪乗りの張本人

2024年02月04日 08時17分37秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今の創価、自称八百万信徒、そのレールを敷いたのは、今では極めて影が薄くなってしまった、「創価学会第二代会長、戸田城聖先生」以外に有り得ず、他ならない。
 その、レールの上を、その第三代会長の座席をかすめて、盗み取った、「池田大作氏」が、何か、大物気取りで居て、彼自身は生前から、功労者然としていたが、あの男は、全てが法盗人の性質を持ち、日蓮正宗御宗門からも教義を盗み獲り、戸田会長からも、物心両面にわたり盗み上げ、自分がその最大一の後継者だと、一般会員に信じ込ませる事に成功する。
 誰が、池田などが、折伏など出来ようか。彼の一家の、父母も、兄弟親戚すらも、彼のうちの宗教の宗旨は、「真言宗」だが、その誰一人も、池田自身、家族一家を改宗、折伏など一切手をこまねき、出来なかった事が全てを物語っている。
 全ては、当時の末端の、草創期の名もなき創価学会員が、毎日毎日、手弁当で、戸田先生の遺訓を胸に、東奔西走していた努力の結晶が、当時の創価学会の屋台骨を築き支えたと言っても過言ではなく、池田大作氏などは、ただの、自身では何も手を下さない、見ているだけの、正月の餅の上に乗った、ミカン、柑橘類の飾り物に他ならなかった。
 決して、池田氏自身が、個人的な折伏の名手などでは一切、なかったのだ。
 誰が池田の自分の手柄・自慢話に出て来るような、苦労に苦労の挙句に、折伏の地獄の如くの行を行って来たのか。今は鬼籍に入った、鈍感な池田氏には永遠に判らないであろう。
 池田大作氏は、裸の王様、ただのコケ脅し。それ以外の何物でもない。
 戦後の創価の発展の歴史は、戸田城聖氏の、立派に生前築いた、創価の折伏精神を受け継いだが、結局八百万止まりで、信徒数は伸び悩み、今の学会は、少子高齢化の波を受けて、退潮減少が止まらない。
 これは池田大作氏を、或る番組で持ち上げた話では、その池田氏が他の宗教団体に潜り込み、入会していれば、今度はその団体が日本一の宗教団体となっていた、などは全てウソである。池田氏は、学会で薫陶を受けたが、その効果と、その時の戸田会長のカリスマ、指導力に伏して、目ざとく、第三代の会長席に座っただけの、形だけの会長であり、全ての功労、功績は、その先代の、戸田城聖先生にあった事だけは、これは口を酸っぱくして言い募っても、言いすぎる事では決してない。池田氏などは、功労者でも何でもない。むしろ、最大一の敵対者だ。
 彼は、法華経の破壊者、現代の、釈尊に敵対した、破仏法・破和合僧・極悪・地獄界の使い化身、提婆達多の生き写し、生まれ変わり、体現者である、正に。
 それに、日蓮正宗の教学、即ち、大乗仏教の教え、その中でも実教の法華経の教え、文底秘沈の大法、三世永遠の生命、五重の相対、十界論、事の一念三千の法門、転重軽受の法門、大御本尊様と日蓮大聖人様の人法一箇の理(ことわり)、等々の教えが一番の、一般大衆への訴求力、説得力を持つ、まさしく正宗教学の面目躍如、それらが魅力でこそあったのである。
 池田大作などは、とてもじゃないが、若い頃から、勤行は大嫌いで鳴らしていて、日蓮正宗などには、その権威を最初から認めてはいなかった。大体南無妙法蓮華経自体が初めから大嫌いであり、怨念を懐いていたともいう。
 それに、生活自体が乱れていて、ご飯を具合も悪くないのに、布団の寝床で食べるクセ、女遊び、女たらしで名を上げていた、全国各地に、女性との醜聞が絶えなかった、との言説が、その当時からあり、創価学会の会長になる器ではなかった事を全て物語る俗物の会長であったと。
 あの豚みたいな風体で、脂ぎっていた、ギトギトの肥満体の不細工な池田氏などとは、長身のスマートさと、豪放磊落さを合わせもった戸田先生とは、全くの異質の関係性だ。池田は直接に、戸田先生からは、後継指名を受けてはいなかった。それが証拠に、戸田先生亡き後、二年間の、会長職が空白の期間があった。この間に、池田は権力闘争に打ち勝ち、会長職を盗み取ったのだ。
 とにかく、戸田先生は、今頃、今現在の創価学会の有様を見て泣いているだろう。戸田先生は、将来、今の創価学会が、御宗門に対して、裏切り行為、横暴を振るい、干渉を加えて来たり、反乱反旗を翻す時が来たならば、その時はどうぞ、学会を解散破門処分に付してもらっても結構で御座います(趣意)との言説を生前の言葉として残している。
 それらは見事に今現在の創価学会の悪徳・背徳の醜悪腐敗の愚劣の実態の姿を現実上、実際上、真実味で、全て映し出し、言い当てている。それら戸田先生の見る目は、節穴ではなくて、戸田先生の頃から将来の学会の行方・成り行きを言い当てていて、個人的に、戸田先生の直感・予感・予想・予言は当たっていたと言えるのではなかろうか。
 以上。よしなに。長文失礼。wainai

今年も嫌がらせ行為、模造銃で…

2024年01月14日 08時30分50秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今年一月七日夜七時五分から十五分の間にそれは起こった。私は中音で尻強で読経唱題していた所、どこからか、模造銃、玩具のピストル銃によるものか、弾がバチンと強くうちの壁に当たる音がした。
 私は例により、「このバカ野郎」(女郎かも知れないが)と言って、窓から外へ出て、竹刀を振るって、大声で威嚇したが、誰も、人っ子一人その場にはいない。
 急いで携帯電話を握り締め、警察署に一般電話で電話した。そうして、警察が我が家に来た。
 私は、この近所で、私の声が気に入らないんだろう、しかし、節度を持って守って、日蓮正宗第五十九世日亨上人の仰る通りの、中音で勤行唱題、読経を執り行っただけ。それを何だ。と警察には訴えた。
 それから、私は覆面などせずに、ユーチューブに出演している事を言うと、警察の方々は、どんなチャンネル名ですか、と言われて、私は特定のチャンネル名は名乗っていないので、口をつぐんでしまったが、とにかく見てくれ、とばかり、その場で私の動画集を警察に見せた。
 そうして、私は、この犯人が許せず、この近所でも、戸やドアを1~2センチ開けて、銃を撃つ、もしくは、この同じ近所で、この住まう区画から、車で、やはり、運転席からは不可能かもしれないが、助手席、後部座席から、やはり数センチ、窓を開けて、弾を撃つ事位簡単だろう、と述べた。
 そして、私は、その犯人を見つけ次第、「ぶっ飛ばす」、勿論、正当防衛の範囲内で、というと、警察の皆さんは、それはいけない、それは私達の役目ですから、と言う。
 私も、実際上、こうやって、動画で顔を出していて、それに、邪宗教を破折、折伏する動画を打ち出して、前面になって撮影しているので、その関連で、敵も多く、宗教批判を行っているんだと言うと、警察の方は「批判は、ちょっと、いけないんじゃあ…」と言うので、私は、
 「今から数十年前の、あの、オウム真理教事件、あの時、坂本堤弁護士一家殺害事件が起こった時、それに、東京の霞が関等々の、地下鉄サリン事件が起こった。あの時、警察がそうやって及び腰だったからこそ、そんな、あんな、大事件が巻き起こってしまった。あの時の初動の遅さが、警察がはっきりした態度で、間違った宗教は間違っていると言わなかったから、あーなったんじゃないか。言論の自由でしょ。それのどこがいけない!思想信条の自由で、宗教批判の自由は現憲法下でも認められている。今だって、顕正会、創価、キリスト等々、間違った宗教共と、私は一生懸命になって、体を張って戦っている最中なんだ!これは今言った通り、信教の自由、宗教論争の自由でもある!」
 と私は熱を込めて訴えた。
 それに関して、警察の方々も、これは、私の方が、宗教論では一枚も二枚も上手だと判断したみたいで、堂々と、そのまま、おやりになって、やっていって下さい、たしかに、○○さん(私)のいう通り、言論の自由ですから、自由にやっていって下さっても結構です。しかし、相手がいるものですから、そういった、相手に直接暴力には暴力で対抗するような、今はこんなご時世ですから、余り思い余った、暴力行為は、気持ちはわかりますが、控えていただきたい。
 いつでも、今日は警察署の番号の方に電話なされたようですが、今度からは、直接、110番へ通報をお願います。
 この後は、この近所をパトロールしてから、帰ります。これ以後、今日一日、は外へ出ないで、大人しくしていて下さい。と言われ、それら警察官たちは、うちを出て行かれた。
 その後、私はその禁を破り、外へ出て、我が家の庭を巡っていると、何と、敵方の撃った、銃のBB弾を又もう一個見つけた。同じく弾は白色だ。これで、証拠品・戦利品の弾は去年のと合わせて、二個目である。
 とにかく頭に来る。誰がやっているのかも分からない。この薄気味悪い、不吉な、わが近所。去年の十一月、十二月以来、それら月は一切無かった弾撃ち込みが、今回、新年の七日の夜に起こり、こちらも騒然とした。
 やい、犯人。今度見つけたら、容赦は絶対にしないからな。覚えて置け、このタコ野郎(女郎)めが!!絶対に許さない!!

以上。よしなに。wainai
このように、中高生時代に使っていた剣道の竹刀を庭に面した仏間の窓に立て掛けて置いたら、しばらくはそれら暴力、脅迫、恐喝、威嚇、強要、ストーカー行為は収まっていたのであるが。
これが戦利品の、BB弾。これで一個加わり、二個となった。犯人捜しの旅はまだ続く。
再度、以上。よしなに。wainai

無音・小声・サイレント勤行のすすめ

2024年01月08日 22時40分04秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
無音・小声・サイレント勤行のすすめ
May 7, 2015, 2:03 am≫ Next: 成りすまし詐欺(振り込め詐欺)は許せないが…≪ Previous: 落ち着いた、家並みの低い街、宇都宮~郡山~。
 わたしは学会員で、一応毎日朝晩、怠る事もあるがお経・唱題を時間を取って仏壇の前にてお勤め、勤行をするのが日課だ。この勤行、朝余りに早すぎたり、夜遅すぎたりしても、勤行をしなければ(自分のケジメとして)ならない時がある。そんな時に、日中と同じく、余りに大声では周囲に迷惑極まりなく勤行は出来ないのは当たり前。そこで、学会員の方には、無音・小声・サイレント勤行をお勧めする。
 これは簡単で、お経の文句、題目を、字を目で追って黙って無音で、感じが出ない場合は極力小声で、鈴も鳴らすか鳴らさないかの微かな音で唱える。最初は物足りないかも知れないが、時を追って次第に慣れて来る。達成感もバッチリである。
 このやり方はわたしが男子部で会社の寮生活をしていた時、隣との壁も薄く、時々変なお経が聞こえてくる、あれは何だ、となり、苦情寸前だった。その事を男子部の先輩に相談したら、上記のやり方をすすめられ、それを実行に移す事にした。
 朝晩それを実行する事により、苦情らしい苦情も聞こえなくなり、こちらも安心した。やはり、従来の古いやり方よりも、学会流の新しい時代に即応したやり方が奏功したと言える。
 朝起きるのが早すぎる、夜帰るのが遅い、といった方々にオススメである。


日蓮正宗と創価学会、僧俗和合から犬猿の仲へ

2024年01月08日 21時59分56秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
日蓮正宗と創価学会、僧俗和合から犬猿の仲へ
May 18, 2016, 6:16 am≫ Next: トランプ氏が大統領候補とは…≪ Previous: 風が強い
 創価学会の会則が変わったのが去年かと思っていたら、二年前の平成二十六年の事だった。去年変わったのは経本、勤行経典の方であった。
 日蓮正宗が今まで通りの教え方で済んでいるのに対して、創価学会の変わり方は十年単位のような気がする。しかし、学会の努力の結果が今日の現状だ。
 会則が従来の戒壇の大御本尊重視から、本尊観の転換があった。これを日蓮正宗や他宗教などは信者奪回のチャンスと捉えた節があるが、今の所奪回の気配はない。外部の人間たちが心配する割には、いつも学会は安泰である。これはどういう訳か。
 近所でも、いつものごとく学会員の来訪があり、いつもと何ら変わらない。わたしは、最初大御本尊の軽視につながるのでは、と思うが、あくまで大御本尊の否定ではなく、謗法の地にある本尊は用いない、という事だ。しかし、大御本尊崇拝の時代を共に生きた者にとって、少し悲しい。
 それもこれも、学会を破門した宗門の無慈悲に原因がある。学会は難をくぐり抜けてあるものは捨て、かようなものを得て、今日まで来た。被害者は学会側であり、創価学会を生み出した宗門側には文句を言う資格はない。
 ニセ本尊の害悪なんて言って、この超高齢社会の中、社会問題のすべてを本尊のせいにするのもおかしい。それではオカルトだ。
 将来的には、一致して一緒にまた学会と宗門が和解して僧俗和合して欲しいが、今や誰も元のサヤに戻ろうとはしていないのも何かなあ、と思う。
 今じゃ別の宗教で、完全に仲たがい。学会も宗門も大人げないと思う。この問題は西洋のプロテスタントとカトリックに似ていて根深い問題だ。薩長の同盟を結ばせた坂本龍馬のような人が現れて、手助けしてあげられたら良いのに、と思う。
 池田会長にも責任はある。生きている内に、再度和解に向けての話し合いなど、幾らでも出来たろうに。メンツが邪魔をする。
 二十年かけて起こった問題を、個人で語ってもしょうがないのは承知だが、内部の者からすれば、情けない、本当に残念な話だ。

戸田会長の言葉と現在の創価学会

2024年01月08日 21時41分50秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
戸田会長の言葉と現在の創価学会
February 13, 2017, 1:00 am≫ Next: 東芝製ノートパソコンである≪ Previous: 日蓮正宗に宗旨替えしました-勧誡式を受ける
 戸田第二代会長は、日蓮正宗に多大の功績を残し、一信徒として赤誠の限りを尽くし、日蓮正宗宗門発展に寄与なされた。
 今日の創価学会は、戸田先生が余りに日蓮正宗の富士大石寺大御本尊様を根本に実践したものだから、それに学会員の目と耳をそらし、深い信心を拒絶し、戸田城聖全集を絶版にするなど、自身に都合の悪い事は、何でも覆い隠すつもりで暴走している。
 戸田会長の言葉。
 「余は二十七年なりとは弘安二年十月十二日の総与の御本尊の出現をさしての御仰せであって、このお言葉によって本仏出世の御本懐は此の御本尊の出現にある。世の不幸を救ふ一大秘法は此の本尊にありと信じなくてはならぬ。」(大白蓮華昭和二六年六月号2頁)
 「弘安二年十月十二日の本門戒壇の御本尊は究竟中の究竟本懐の中の本懐で真に尊き事と拝さねばなるまい。この御本尊こそこれ三大秘法の随一であり、一閻浮提総与の御本尊である。」(大白蓮華昭和二八年二月号3頁)
 「御本仏は、生きていらっしゃるときには、日蓮大聖人、亡くなられては本門戒壇の大御本尊と仰せられ、その仏のお名前と年月はちがいますが、同じくわれわれを化導して下さるのである。」(日蓮正宗方便品寿量品講義206頁)
 「日蓮大聖人はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人の御当体とは気がつかないでいるのである。」(日蓮正宗方便品寿量品講義213頁)
 「学会は今大聖人の命うけて弘安二年十月十二日に御顕しになられた一閻浮提総与の御本尊を日本に流布せんことを誓う。」(聖教新聞昭和二六年一一月一〇日付)
 「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安二年十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。」(戸田城聖全集4-349頁)
 「この本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる。ただ、富士大石寺の文底深秘の大御本尊、これより他にはない。これが根本なのですよ。」(大白蓮華昭和三四年四月号9頁)
 「日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである。(戸田城聖全集3-83頁)
 「日蓮大聖人様から六百余年法灯連綿と正しく続いた宗教が日蓮正宗である。最も完全無けつな仏法が正宗なのである。この仏法こそ私達を真に幸福に導いてくれる宗教であることを私達は日夜身をもって体験してゐるのである(中略)私達は無智な人々を導く車屋である。迷ってゐる人があれば車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内して行くのが学会の唯一の使命である。宝の山に入って宝をとるかとらないかはその人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが我々学会の尊い使命なのである。」(大白蓮華昭和二四年一二月号1頁)

 現代現在の学会は、人師論師の説に過ぎぬと、あれだけ三代会長と謳っていながら、初代二代会長の言葉は蔑ろにされている。どう過去を捨て去っても、日蓮正宗の信徒団体として出発した創価学会は変節と謗法の限りを尽くしてしまい現在に至る。日蓮正宗と創価学会は元から親と子のような関係であり慈悲から親の日蓮正宗が子を叱るのは当然なのだが、学会は聞き入れはしない。今は幹部が会員を牛耳り耳も目も塞いでしまっている。学会は、決して日蓮大聖人の正統な継承者ではなく、やがて将来は日蓮大聖人の金看板を外してしまいかねない危惧さえある。大御本尊への信仰を放棄するくらいだから、何をしでかすかは誰にもわからない。
 牧口会長・戸田会長が、現在の創価学会を見れば、その謗法(ほうぼう)まみれの変貌ぶりと慢心に、さぞ嘆き悲しみ泣き叫んでいることであろう。

何故、創価ブログ『私の知らない創価学会』は挫折し失敗したのか?※長文失礼

2023年12月07日 13時12分53秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 以前、創価ブログで、「私の知らない創価学会」という、人気ブログがあった。たしか、アメーバブログであった。 
 そこでは、毎日、隔日で、ブログ更新が行われ、個人的な、創価への内部からの疑問を投げかける、という風刺のきいた、形態をとっていた。
 そして、その当時は、読者のコメント欄を堂々と設けていた。その時或る時、これは創価学会員女性信者と思われる人から、こんなブログ、さっさと止めて消し去ってしまえ、という、ケンカを売るに近い、コメントが寄せられて来た。
 そこで繰り広げられるブログ記事は、素直で率直な、現在の創価学会に対する、一、末端・未活女性による、素朴な疑問であって、私もちょくちょく、そこに入り浸り、日蓮正宗側からの、折伏も兼ねて、私自身も、コメント欄にコメントの意見を述べたりしていた。
 しかし、前述の、ある、女子部員と見受けられる、ふざけた、バカにするような意見に、売られたケンカを買う形で、その、ブログ主さん(たしか、「とも」さんと言ったか?)は、その時の年末を限りに、このブログを閉じる。そうして、今までの記事を、別の運営のブログに全て移して、アーカイブ化すると言い出して、それをそのまま即、実行に移してしまった。
 今現在は、そこでは、コメントを大っぴらには受け付けずに、ただ、アーカイブと称する、今まで書き綴っていた記事と、最新のつぶやきに似た、ごく最近の著者の意見、特に創価学会への意見が載るばかりである。
 その時、ブログ主は、今年の十一月初頭だかに、創価学会脱会届を、自分と一緒に暮らす「パートナー」と共に、内容証明郵便で書き送り、「(ニセ)本尊」も、その後送り届けた事。その後の、十一月中旬頃の、池田大作Xデーに、簡単に触れて、今では、それに対して、大した感慨もない、どうぞご勝手に、もう今となっては、よそ事、他人の宗教の事(趣意)、と言った、妙にサバサバとした、感想を述べている。
 しかし、私は、この人、この女性は、大いにいまだに、創価の洗脳の呪縛からは、立ち直っていないと観ているし、思っている。
 創価では、かなりタチが悪いとこちらが思う程、日蓮正宗の事を、「日顕(上人)宗」などと言って、非常に毛嫌いする。それらを今でも、聖教新聞、創価新報などを使って、いまだに吹聴して、まるで悪魔の団体の如く、「洗脳の完成」を目指して、非常に悪辣に悪質になって、大騒ぎで執り行っている。
 私だって、自分自身の自殺未遂事件が無ければ、そんなに悪く言われた、「日蓮正宗」になど、果たして、宗旨替え、宗門へ帰伏したかは、果たして疑問だ。
 まあ、私の一家、我が家の父が、この今の我が家の菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の納骨堂に眠っている関係で、この日蓮正宗との太い絆は、切れずに済んだ。この縁を、ひとえに大切にした、私、及び、母、それから、七年前の当時の勧誡式でお世話になった、我がお寺の、初の女性トップだった、G元講頭、その他の信徒の皆様、それから、何と言っても大事なのが、私のみならず、母の勧誡をも勧めて下さったお寺の御住職様、多くの皆様に支えられて、今の大なる幸せに包まれた私がある。
 この、勧誡式の前日には、私は絶望の淵、極致にいて、死を念じ考えていて、それを実際に実行に移した時、母に見つかってしまい、私の生への希望がその時、非常に湧き、そのまま、次の日の、私の菩提寺、お寺、日蓮正宗無量山寿海寺への道、帰伏、宗旨替えへの第一歩が築かれたのである。2017年平成二十九年二月七日から八日への、私の人生のベクトルが転回し百八十度変わった瞬間であった。(平成二十九年二月八日が私の日蓮正宗入信記念日)。
 正に、死から生へと、「妙とは蘇生の義なり」(新編御書)との大聖人様の御金言そのままに、私はその後、見事に再生・蘇生する。
 だから、この、他人事ながら心配するが、ここで、この、「私の知らない創価学会」の著者のブログ主さんも、万が一にも、自分が死ぬ思いをしなければ、「日蓮正宗」には入り直しはしないのではないか。
 決して、私共家族の場合は、昭和の頃に日蓮正宗創価学会時代に於いてお寺で御授戒を受けたから、「勧誡」だったが、この人達の場合、平成以降の入信の場合は、創価は邪教時代なので「御授戒」となるが、この人達の強情さが変わるのは、命と命を懸ける程の、命を亡くす寸前の、それ位の想いをしなければ、今の書いている文章も、何ていう、人生の深みの無い、甘い、軽佻浮薄な、今の自分らさえ良ければよい、刹那的な、「パートナー」とやらとの、欲と淫行にまみれた、汚らわしい関係を書き連ねているに過ぎない。(何故に、「パートナー」などと相手を呼び、正式に「結婚」に踏み切らない?この不純な関係性に、どうして踏み留まるのか?)。
 このぬるま湯の様な人生を抜けだすように、必死になって自身の人生とあがき闘い向き合うひと時、一生を左右する、大事が、この二人に、或いは片割れに確実に訪れて起こらない限り、全く有り得ないと思う。
 勿論、平成以降の創価入信者などは、それ以前の、戸田先生時代から受け継いだ、日蓮正宗の清新な息吹など完全に消え失せ果て、とっくに失われているのでほぼ日蓮正宗入信は絶望的だが(我々とて、まだ折伏を諦めた訳じゃないよ!)、こちらとしても、救いの手は、ネット上でしかこの人らとのコンタクトは採れないが、何としてでも、救い出して、行なわなければならぬ。
 とにかく、今現在は隠棲したかのような、力強い生命力もほぼ絶えた、この、ブログ「私の知らない創価学会」は、確実に失敗した。それは、一創価女子のコメンターの言い寄る意地悪な嵐に、炎上までは行かなかったが、その心ない意見に付き従ったばかりに、自身の財産を失った。
 幾らアーカイブ化が成功したと豪語しても、私達共のそのブログへのコメント文章群をかなぐり捨てて、捨て去り、平気の平左でいられる。
 他人がどんな気持ち想いで、それらコメントを、文字をもって、時間をかけて書き綴った日々を、無視した暴挙。
 そのまま、その、狂った価値観、今までの愛読者に向けた傲慢さ、尊大さ、慢心さ、夜郎自大な、勘違いした感覚は、その女性のブログ主の、全ての過ちの元は、そこから発し起こった、としか、これは、今では私にはそうとしか、かたじけなくも、言えないのである。
 合掌。南無妙法蓮華経。
以上。よしなに。長文失礼。wainai

創価ブログ「創価の森の小さな家通信」を破折、善導する

2023年12月05日 08時14分02秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 インターネットで、創価学会のブログを検索すると、その代表格として、いくつかの創価系ブログが散見される。
 その内で、私が創価時代から、時々見ていたブログが、「創価の森通信」とかいう、欺瞞に満ちたブログであった。
 このブログ、私は、同信者の為、文句は言えずに、その矛盾点を突く事は無かった。
 しかし、我が家では、創価系新聞、「聖教新聞」を取らなくなって、十年以上の、隠れ、未活動の、その代わり同中、同時衛星中継にはその券がうちには人数集めの為、いつも配られていたので、同中には必ず参加した。
 その、創価の我が家の微々たる活動の中で、私の、創価教義に対する疑問点が噴き出すキッカケは、いつの間にか、それが決まった半年か、一、二年の間の後に私は気付いたのだが、とっくに、五座の勤行から、一座、のみの、しかも、長行の如来寿量品が省かれた、方便品と寿量品自我偈のみに限定された、簡略化された代物のお経典に決められ変わっていた点だった。私は新聞も取らず座談会にも出ていなかったので、それを知ったのが今言った通りの事であった。
 それで、私はおかしいと思いつつ、その、創価を代表とするブログ数件に、アクセスしてみた。
 大抵は皆、自画自賛に終始していた。スッキリした、あれだけ長い勤行とおさらばできて、本当に良かった、と。(これには私は不満で、そんな権限が、我々創価という団体には本当にあるのかな、幾ら仏意仏勅の団体、などと名乗ったって、その証拠はどこ?本当に、創価は仏意仏勅の団体なのか?自称に過ぎず、詐称ではないのか?自分で名乗っているだけの、はすっぱな、宗門に破門された強がりを言い募った、新興宗教教団団体に過ぎないのでは?と自分なりに疑問に思っていた。)
 その、「創価の森通信」も、今回の決定は、良かった、とこれも、虎の威を借るキツネの類であり、諸天善神への祈りを無くしたりしたのも良かった。
 長行を無くしたのは、世界広布への布石となる、三師供養で、日目上人がいなくなったのは、これもむしろスッキリして、前よりもより拝み甲斐がある。(そんな事やって、罰が出ないの?幾ら宗門と別れてから、十年以上経ったからって。教義や本尊がコロコロ変わるのは、昭和の頃、それに類した、「立正佼成会」を非難していたのが、自身にブーメランで帰ってこないのかなあ?)
 そうして何より、三師供養よりも、創価にとって大事な、三代会長、牧口・戸田・池田、の歴代会長並びに、創価の万代の繁栄を祈る、などと自己満足、自分勝手、手前味噌、自画自賛の狂態には、この男、「創価の森通信」の男は、諸手を挙げて賛成していた。(大体、三代会長、歴代の内の、池田センセーをも祈願の対象として迎え加え入れるということは、その当時から、池田はその創価版勤行要典では祈っていないのではないのか?自分の名前の記入された経本などに頭を下げて自ら毎日祈りを捧げる池田の姿を想像するだけで、虫酸が走り、笑われるだけの、噴飯ものであり、この時には既に、池田は完全にこの新しい経本の観念文では祈っていないと軽く当時から思っていた。不可能だ。いくら池田神格化を自分が中心になって進めていても、祈りの対象が初代牧口、二代戸田までが関の山であり、池田も当時、私の名前など載せなくても良いと事前に学会内で語り言っていた位だった。私の想像では、誰もが薄々思っただろうが、おそらく植物人間状態か、存命ではないな、と。要するに、創価は泥船だったんだよ。)
 私は、そんな、一応、我が家には、日蓮正宗宗門のお寺から御下附頂き御貸し下げし頂いた、昭和三十年代の日寛上人の御本尊様と、創価のニセ本尊とがうちにはあったが、そんなにいとも簡単に、創価の教義がコロコロコロコロと代わるのを目の当たりにして、何か身が千枚通しで切り刻まれるような痛み、心許なさ、気色の悪さを感じざるを得なかった。何か心がざわめき、落ち着かず、おかしい、という念慮をまずは抱(いだ)いた。
 「創価の森通信」とは、ただの創価幹部のイエスマン、言いなりの部下、配下としか見受けられず、人気取りをそのブログでしていて、今までの「創価マンセー(万歳)!」の記事からも、そうやって、自身の心ない事、矛盾点を指摘されても、言い訳も出来ない程、思考が停止しているのであろう。 
 それも或る一面、可哀想な、ここにも、創価の大なる被害者がいる。救ってやる必要性が、緊急度が増して余りある。
 現世にいる内に、早く、創価の謗法に、気付かせてやらねばならぬ。どんなに本人が、創価の池田や幹部に洗脳されて、御宗門、日蓮正宗を毛嫌いして、大嫌いなのは百も承知。
 その、独善的な態度を、動執生疑を起こして、帰伏させねばなるまい。諌暁して、その非を悟り、判らせるには、これだけのブログ記事を書いて来た手前、かなりの困難を、彼自身、抱えているだろうが、間違っているものは、間違っている。これは、鉄則である。
 その間違いを、その人の人格は護りつつ、その頭の考え方、教義、信ずる心情を、その間違いを指摘して、変えさせる。それを、これこそが正に、日蓮正宗が説く、「折伏」という。
 結局、創価は、昭和の頃の生まれの仇花(あだばな)、新興宗教教団の一団体に過ぎなかったんだ、と気付き思ったのは、それから、又、何年も掛かって、私が自殺未遂という、人生の根本を考えるキッカケが訪れない限りは、私自身、在り得なかった。これが、最終決断に至る、自身の極み、創価を切り捨て、辞めにしたいと切に思い望む、よすがとなった。
 要するに、創価など、その「創価の森通信」なる、愚者の集まりで、ただ、一緒になって同じ傷をなめ合う、今という時を一緒に群れていたいだけの、弱虫共の集まりなんだと思った。こんな時代に、池田という、師匠にするのもはばかられる、実には張りぼての、極悪人間がその、イケダ本人だったとは、後世に、私の場合は、気付くのを譲らねばならなかった。
 しかし、自分でキチンと、自己自身を反省して、見直して、日蓮正宗の御宗門の軍門に帰し伏し、還って来られただけでも、天晴(あっぱ)れ、見事であった、と自分で自分を褒めたくもある。小さな、否、大なる幸せがここにある。
 とにかく、不信謗法、懈怠謗法、慢心謗法、折伏しないのも、これも何かの謗法なんだろう。
 世の不正、世の邪師による、邪義邪説邪道邪法邪教邪宗邪行邪淫を貪り耽り構えた、己心の魔にも、それら邪宗教団(凶弾)にもそれらに、加担するがあまり、塗炭の苦しみに喘いでいる人々の助けとも充分なり得る、法華経の良薬、詰まりは、日蓮正宗の御本尊様が、我らのバックには付いている。
 それには無論、これは全てを代表とする、大御本尊様、御本仏宗祖日蓮大聖人様、歴代上人様方、現御法主上人猊下様、末寺の御住職様、と幾重にも、我ら正宗信徒には、後ろ盾がかなりある。
 それら邪宗邪教の方々にとっても、これこそ、まさしく、日蓮正宗こそが救いの道なのである。これを知っているのと知らないのとでは、天地雲泥の差がある。御利益・功徳が必ずある。それを言い切っても良い。必ずあり、必ずまします。
 それに比べて、創価など、今は亡き、イケダの亡霊の他は、頼るすべもない。全くない。
 今後は集団指導体制に移行するのか、全く五里霧中で、先が見えないが、今後も、大聖人様の仏法僧の三宝観の、仏宝から、僧宝への格下げ、これは、創価が身延化する事を意味する。それだけ、今の創価は、危ない橋を渡ろうとしているのだ。
 これは、創価が、創価大学教授の、とある人間に(名前も忘れた、たしか宮田とか言ったか?)最高幹部たちが、今後の参考に、として、「仏法僧」という、創価が現時に於いて最も悩ましている問題についての考察を、大聖人様を僧の代表とする考え方に立ち、持とうと呼びかけていた、それら代表幹部たちが有難がって講義を受けていた事実は、今後の万人が知る所である。
 創価側も、臆面もなく、それらを公表している。詰まりは、近い将来、御本仏は日蓮大聖人ではなくなり、仏の位は、釈尊、釈迦が占める事を意味し、これからの創価のトレンドとして、その創価大学教授の肝いりで、成し遂げて、教義を、出来るだけ、日蓮正宗色を薄めて行こうとしているのだ。
 そうして、日蓮宗身延派と、結託し、手を結ぶのか。「身延問答」という、私は「人間革命」の中でその事実を学び、戦後の学会の壮大な金字塔ともなった、昭和の頃の創価が日蓮宗身延派にディベート、論争で勝利した、その場の一司会者が、「池田大作」氏その人であった。
 この、自ら打ち負かした、一度は創価の勝利により身延をひれ伏せさせた、その軍門に、果たして今度はどの面下げて、創価は身延に近づき降(くだ)ろうとするのか。
 それに、この時の勝利は、「三大秘法の戒壇の大御本尊」の存在の有る無しが論争の勝利の行方を決定し左右した事実。
 三宝論でも、創価は日蓮正宗の教義を最大限に利用して行使したから、結果勝てた。
 その勝利の現実に泥を塗る。現在の学会の教学等ではたかが知れていて、今、現代で、日蓮正宗と法論を交えても負ける運命であり、日蓮宗身延派とも同じく負けるかひれ伏す運命であろう。
 むしろ、仲良しこよしで、持ちつ持たれつ、迎合に迎合を重ねて、処世術を身に着けた積りの、自己矛盾、自家撞着、自語相違の、最たる、日本を代表する、サギ集団、ウソツキ集団として名を為し残すのが、創価の最期の末路だろう。
 それ位の事、今の創価ならば、思い切って、やったっておかしくはない。充分今から考えられる事だ。
 こうなったら、何でもありの様相を呈してきて、創価自身の自滅化、自らの身を滅ぼす結果となる事は、火を見るよりも明らかであり、その教義の変遷に戸惑う者達は、特別に中央の幹部としてお金をもらっている甘い汁を吸う官僚的職業職員の者だとか、余程の凝り固まったバカでもない限りにおいて、その教団から大量脱会へと向かう道が、それしか学会には残ってはいない事だとは、想像には難(かた)くない。
 すぐさま見通せる、想像、イマジネーション、イマジンに於いても。
 その時、もしも、日蓮大聖人が、仏の地位から、一介の僧侶の地位まで貶められたとしても、それだけ、大聖人様がバカにされても、創価のバカ共は、果たしてそんな傲慢で矛盾に満ち満ちた教義や組織にいつまでも、どこまでも、自語相違なのを納得づくで付いていく積もりなのだろうか。今の創価には大義などは何も何処にもない。公明という、一政治団体も、池田センセー亡き後大義名分を失い制度疲労して確実に壊死し政治寿命が来ているのでは?
 今言った、「創価の森通信」の愚劣者も、創価の寄らば大樹の陰で、日蓮正宗とも、誰の言うことも聞かずに、ただ闇雲に創価上層部のイエスマン、言いなりになり、無駄な人生を過ごしてゆくのが、目に浮かぶようだ。そこには、人生の破滅が待っているだけだ。
 「日蓮を悪しくうやまはゞ、国亡ぶべし」(新編御書一0六六頁、「種々御振舞御書」)との、大聖人様の御金言、御聖訓を反故(ほご)にして、今の日本の、世界の災厄をもたらすのかが、現在の、今後の創価の動向に帰趨して、全てはその双肩に掛かっている事は、言うまでもない。
 それらは、同じ異流義の、顕正会、正信会にも言えるのだが、今日は、創価の事のみの問題提起にして、まずは、筆を、キータッチを止めて、とどめ置く事にする。
以上。よしなに。長文、非常に詫びいるが如く失礼。wainai