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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

三、四日前、講頭さんと車座になり、皆にお話しした事~私の「君子豹変す」論へとなだれ込む!

2024年06月16日 19時58分08秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 三、四日前、講頭さんが、夕方の勤行の後で、お話ししていた。
 それは、こちらが挨拶をすると、必ず返してくれる人。最初はいぶかしがって、敬遠していても、その内にこちらの気負いに負けて、挨拶を返してくれる人。
 これらが、挨拶を交わす人の八、九割くらい。
 そして、残りの一割が、こちらが幾ら、温情をかけて、情に訴えて、挨拶を交わしても、どうしても返してくれない人。てこでも動かぬ人。
 こんな風に、世の中は出来ていて、動いている。
 しかし、ここからが、講頭さんの面白い説だ。
 挨拶の返事が返って来ないのは、自身、我が身の前世での所業、行いにあったのだ、と、講頭さんは論を進める。
 挨拶が返らないのは、何も相手が悪いんじゃない。自分が過去世で、何か、浅からぬ因縁で、その人に意地悪をしたり、何がしかの理由が、こちら側にはあるのだと。
 仏教仏法は、自己責任といえば、何だか嫌がる人もいるかも知れないが、基本は、やはり、自身に全ての責務を負う、と見る宗教だ。
 だから、私はこの欄、このブログ記事に於いて、否、そのユーチューブ動画にて、2011年3月11日の、「東日本大震災」を、心を込めて怒り散らしたが、仏法の眼から見れば、自分の内面、心が、その時の、その場にいた一般大衆の心持ちが、それだけ、罪障に包まれ、汚れていたとも言える。それが、その時の、東北の大地を、大空を、覆っていたと。そうも考えられる。
 それを、仏法では「依正不二」ともいう。依報(国土)と正報(衆生)の一体不可分の関係性で言えば、その理論は成り立つ。
 「夫(それ)十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし。又正報をば依報をもて此れをつくる」(新編御書九一八頁)
 それが、創価、顕正、他の、邪宗邪教の跳梁跋扈の結果だ、とも捉える事も出来得る。
 だから、故元東京都知事・石原慎太郎氏の「天罰」「神罰」発言も、その真意は不明で私も定かではないが、全く故のない事でもない。有り得る事とも言える。
 これは、私の、朝令暮改ではない。又、朝三暮四でもない。私の正に「君子豹変す」の例えの通りである。
 私は君子ではないが、このブログでも何度も言っているが、「君子」ではありたい、君子を目指したい、とは常々思っているし、そうやって生きて来た。
 だから、私は、幾らでも、カメレオンのように、意見が自分が間違えていたと気付き判った時点で、その場で自分の気持ち、意見を代える。これが私の流儀である。私の通す筋である。
 だから、そういった人種だと、それまでの私を知らなかった人は、私はそういう人間なのだと、新たに判断を加えて欲しい。
 
 話がだいぶ脱線したみたいだが、大筋では私の意見は間違ってはおらずに、私の言いたい事は全てここの場で言えたのである。言いたい事が言えて、私にとり、これが実に気持ち、気分がいいのである。

以上。よしなに。wainai

講頭さん、あいさつ、六月九日(日)午後十三時~、御報恩御講。日蓮正宗無量山寿海寺

2024年06月09日 16時21分12秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 (講頭さん)
 皆さん、こんにちは。

 早いもので、六月。一年の折り返し。
 入梅はまだですが、これから高温多湿に向かうので、体を壊さぬように。

 毎月、寿海寺の行事予定表を作っている(講頭さん自身が)。
 どれに重きを置いて行事に出たらいいのか。

 本日の御報恩御講。毎月一回。

 毎月一日の御経日。我々の先祖供養。是非参詣して下さい。
 これは、毎月初めの一日なので、土日には掛からない時も多いが、昼夜やっている。

 第一日曜日、広布唱題会。前御法主日顕上人猊下様が始められた。
 御法主上人猊下様と一緒に全国朝九時に行う。広布を祈る。

 広布推進会。県内十二カ寺。今まではコロナで参加者限定だった。
 今年からは、出たい人は出られるようになった。(要予約)。
 会場:寿海寺(郡山市、全一年四回)、法華寺(三春町)、法船寺(いわき市)。
 事前に連絡を。
 
 講主催・奉仕会、座談会=お寺がきれいになっている。御住職様奥様が毎日為されている。
 奉仕会=一か月に一回は、私たち信徒も振るって参加を。

 五時間唱題会。9時~14時まで。実際やってみると、無心で出来る。
 家でも御本尊様に自然と向き合えるようになれる。

 座談会。定期的に開催。御住職様を囲んで。皆が参加し、皆の疑問を探求する場に。信心を深める糧に。

 一年で見て行くと。
 一月一日、元日参り。
 二月節分会。
 二月七日、興師会。
 三月、彼岸会。
 四月二十八日、立宗会。…。…。
 最終的に、一番のエポックメイキングな、大事な一年の締めくくりの法要。
 十月から十一月の秋に行われる、御会式(おえしき)。大聖人様の御命日、滅の不滅を祝う儀式。意味が違う行事。

 行事だらけという。行事にどれだけ自身をかけられるのか。
 御住職様が仰られる通り、やる事やらないではダメ。
 善因善果。悪因悪果。

 一回でも多くお寺に来て、善業を積んでゆく事。

 私(講頭さん)からは以上です。
(文責:wainai123753。これらは私の個人的なメモ、聞き取り書きであり、全ての挨拶の文では御座いません。)

昨晩の勤行会後の講頭さんとの会話。私とした事が、会を盛り下げてしまった!でも私一人はいい気分

2024年06月07日 11時34分54秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 昨日も、夕べの勤行会で、御住職様の御説法、最後の題目三唱後に、また、H講頭さんを囲んで、相談会と言うか、いつもの和気藹々とした、会合となる筈であった。
 しかし、その日は、私が中心にとうとうと語ってしまい、ほとんど独壇場にしてしまった。その時は、まずは、私が二十年前に行った、福島県須賀川市で開かれた、「うつくしま未来博」について、私は熱弁を振るった。
 その時に、母の車で、須賀川駅の、福交バスの駐車場に車を停めて、博覧会の会場まで、往復シャトルバスに乗って母と一緒に行った事。そして、その未来博の、応援歌と言うか、テーマ曲が、当時の、岩崎宏美さんの歌であった事。
 これらを話しても、その場の誰も当時の記憶がなく、唯一、講頭さんが、あの時の博覧会は、福島県で当時、会場入場者数が二百万人を超えた事が唯一の発言であり、その後は、正に、私色の世界にその場が全色、染まってゆく。
 そして、その博覧会では、ラジオ福島の臨時放送局が在ったり、福島民報館では、当時の、大正昭和平成の新聞が、リクエストすると、印刷してもらえた事。 
 その時の、確か、歌の誰が歌っていたのかは忘れたが、会場で歌手たちがうたい歌の鑑賞を母と二人でした事。
 それに、私の家には、当時のうつくしま未来博の、ガイドブックまである事。
 等々を話すと、じゃあ、○○君(私)は、今度の大阪万博も行く積りなの?と講頭さんに聞かれて、とんでもない、大阪は、福島県立安積高校生の時の、修学旅行でもう行ったから、多分行かないだろう、と答えた。
 そうして、私の怒涛の様な、その時の、二十年、三十年前の、修学旅行で、大阪・京都・奈良へ行った事を話しまくる。大阪では、大阪城を見た後、通天閣で、当時、日本一というふぐちり屋で、フグ料理を食べた事を言うと、福島県立福島高校卒の講頭さんが、安高では、皆でフグを食べに大阪に行ったのかと聞くから、違う、自由行動、グループ行動で、大阪へは、数人単位のグループで行ったんだ、と答えた。
 その場の皆は、呆れかえるというか、もう、話しについて行けずに、講頭さんが、今日は皆、どうしたの?と聞くと、男性の新人信徒の方が、いや、二人で話が続いていて、ただ、すごいな、と、というばかりで、その場が私の話が一人芝居のように一人で盛り上がり懐かしがってしまい、盛り下がっている事が私も気付き、判る。
 その安高の修学旅行の前の、うつくしま未来博でも、既に、皆は知らない話の連続に、沈黙を重ねていたのだが、講頭さんも、私の声の上ずった調子を見て、「一人で勝手に盛り上がってなさい!」と言った調子で見放されてしまった。
 それに、講頭さんは、その、うつくしま未来博に行った事があるか私から質問すると、一回も当時は行かなかった。だって、私(講頭さん)は、人が並んでいたり、人混みが何てったって大嫌いだから、と答えて、それは、私も、食事位で、ラーメン屋等に並ぶのは嫌だ、とは答えた。そこは私も理解すると。
 でも、つくば博は行ったんでしょ、と聞くと、電機メーカーのS社に所属していた講頭さんは、仕方なく、社員旅行だから行ったよ、と答えたが、詰まらなく、余り面白くもなかったと漏らしていた。
 とにかく、私は、その日は、一人語りの、未来博、修学旅行の話を一人で展開してしまい、その場が興ざめしてしまった。
 その日の会合は、私のおかげで、いつもよりも幾分か早く、終わってしまったのであった。
 非常に、反省しきり。

 以上。よしなに。wainai

お寺にて夕べの勤行後、講頭さんのお話を聴く会

2024年06月04日 21時18分20秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 我々日蓮正宗信徒は、毎朝毎夕、おつとめ、勤行という、お祈りの極めて大事な儀式がある。
 この、儀式。今日は、御住職様の御説法の後、これは最近、毎夕の如く、繰り広げられている事がある。
 それは、講頭さんの善意による一人語り、体験談が、これがまた、とても面白いのだ。 
 私達、夕べに集まった信徒たちは、車座になり、夜、遅くまで、じっと、時には笑い声を上げたり、しっかりとうなずいたり、納得がいくまで、講頭さんのお話しに聴き入る。
 講頭さんは、決して、専制君主の様な一人語りとはならず、周りの意見を聞かない、なんてことはない。みんなの話をじっくり聞いて、考え考え、実に道理に叶った、論法の進め方で、理系の人は、こういった話し方を為さるんだ、との、尊敬の念も湧く。
 今日、私が、今まで、この、H講頭さんを誤解して、思って来た事は、講頭さんの話し足らず、否、私の聞き間違いの面もあり、私が長年誤解して来た事がある。
 それは、講頭さんは、私が今まで思って来たのは、彼の出自が、統一教会出身者というのか、信者だ、と勝手に鵜呑みにして、正にこれは私の誤解である。
 実際は、そうではなかった。「日蓮正宗」の根っからの強盛な信徒として、彼は敢えて、「道場破り」の為に、統一教会に乗り込んで、最後は折伏を目標にして、これは講頭さんにしか出来ない事だと今日の私もその場の誰もが、理解した。
 私が今まで、彼の、やけに詳しいキリスト教神学、特に、統一教会の原理講論、等を、何故か、反キリスト教の立場で話すのが、その知識の多さ詳しさに反比例して、何かその宗教で嫌な事があったから止めて来て、文句を垂れているのかと、私はてっきり思っていた。それらは全てが私の勝手な誤解に満ちたものであった。
 とにかく、キリスト教の破折、折伏に、学生時代、社会人の時から立ち上がり、その行動力、批判力、道理で納得がいかないから、そのセミナーの最後には、皆セミナーを受けた受講者たちがお愛想の感想を言うのを、一人、講頭さんだけは、こんな詰まらない集まり、洗脳教育、くだらない講義、話しは聞いた事が無い。ハッキリ言って時間の長大な無駄遣いに過ぎなかった。と一刀両断に切り捨てた講頭さんに、思わず拍手を送りたくなった。
 一円たりとも、この宗教にはお金は払わず、ただで、昼食は出るみたいだから、一日セミナーに敢えて講頭さんは参戦したのだった。
 だから、平成二年から三年に起こった創価学会問題にも、創価幹部に、講頭さんは、「池田さん」一人が立ち上がって、皆を、全部の学会員を巻き込まないで、一人で活動するなら構わない。けれども、どうして、あの人、池田さんをそうやって現人神のように持ち上げて担ぎ上げるんだ、と一喝すると、その幹部は、池田センセーは我らの唯一の師匠で…。師弟相対だ、なんだと、もう、勝手な独自の池田創価ドグマのお花畑のオンパレードで聞くに耐えないので話を遮り、途中で出て来てしまった程。
 それ程の、当時から、講頭さんは筋金入りの日蓮正宗信徒であり、命であったのだ。
 筋が通らない、納得できない事は絶対に納得がいかない。その、正しい証拠、道筋、道理、文証を、単に真っ正直に、この当時から、H講頭さんは求め、理を質したに過ぎない。それは、正直者の頭に神宿る、の言われ通りの、正直すぎる、講頭さんからの創価への率直な直接的な解答でもあった。
 本当に、この我らの会合は、毎度、勤行の後に行われる、講頭さんの語りの場であったり、皆の悩み事を講頭さんが聞いてあげてその解決法、策のアドバイスをしたり、時には新入信徒が来れば、その御経文の読み方を一緒になって指差し確認しながら、直接丁寧に教えてあげる。こんな講頭さんの八面六臂の活躍には、素直に頭が下がる思いがする。
 御住職様も、この時間は公認みたいで、一切、御住職様は関知なさらず、出ては来ない。全て、講頭さんの力量、話力、実践実行力に任せている。
 とても魅力的な話の数々に、私など、初めは、母の症状が心配でこの場に来た者だが、それにも非常に大事にお祈りをしているが、そのおまけといっては失礼だが、この話の場は、病み付きになるなあ、とこれは、日蓮正宗無量山寿海寺の信徒にとっての大盤振る舞いの特典だな、と思い、これ目当てで、毎日毎回楽しく、お寺に通う日々である。
以上。よしなに。wainai、長文失礼。

禍福は糾える縄の如し、G元講頭さんと和解和睦!!

2024年05月26日 14時19分28秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 私にとって、嬉しい出来事があった。
 それは、今までは関係が疎遠になっていた、関係が決裂してしまっていた、我が菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺に於ける、年配の女性のG元講頭さんと、よりを戻し、遂に和解へと至った事だった。
 これは、私の方から、先日来の、母の容態が悪い事を、一か八かで、G元講頭さんに相談すると、何と、Gさんは、私の心配までして下さり、心からの私の事を案じて下さった。
 それ以降、私が今日も、電話でお話しして、今日の御虫払い法要にGさんが来ていなかった事を私が極めて心配すると、ちょうど、お客さんの来訪があり、お寺には行けなかったというお話があった。
 私とは、今日の出来事、特に、御住職様の御子息で、今では立派に京都府の舞鶴市で住職を為されている次男さんが、立派に声も大きく通るお声で、お話の内容も立派であった事などを話した。
 そして、G元講頭さんにも今回の私のお母さんの事での、決意として、御住職様にも、栃木のKさん、他、多数の方に支えられて、今の私がある。特に、私は、ここで負ける訳には行かない。とにかく、ここで挫けてなんかいられない。
 人には誰しも寿命と言うものがある。それをも悟り切り、心を広げて、もしかしたら、私がメソメソしていたら、母は余計にガッカリ来るだろう。
 だから、そこを、私のこの信心で、大事に乗り越えるのだ、とこうG元講頭さんには申し上げた。
 G元講頭さんも大いにうなずき、賛同して下さった。
 そして、G講頭さんは、諸天善神も御本尊様もお題目も、講中の皆様、それに御住職様はじめ、猊下様、…、沢山の味方が私にはいる。とにかく、この信心しかないんだよ、その為のお題目であり、毎日お寺に通う事なんだよ、○○君(私)が今、やるべき事は、南無妙法蓮華経の御題目なんだよ、と仰り、私を大いに鼓舞して励まして下さった。

 そうして、頑張って!やるんだよ!、と言われた私は、勇気百倍で、「頑張ります!」と言って、お互いのエールの交換となった。
 
 私の今年の最大一の、否、一生の目標は、「私は平和主義者として、それをモットーとして、頑張って生きてゆく!」これが私の主題であり、目指すべき指標である。

 私の人生上、幾多の争いがあったかも知れないが、その全ては無理であったかも知れないが、たいていのいざこざは、私は解決して来たほうだ。
 だから、今回の再会、G元講頭さんとの友情の再開を、これを永続させて、二度と絶対にG元講頭さんを裏切る事無く、頑張って、良好な関係維持に努めたいと望む。
 元々、G元講頭さんが、私と母との第一の、日蓮正宗の折伏の主であるので、今度からはもうG元講頭さんは絶対に裏切ってはいけない。心を鬼にしてでも、女性としてのG元講頭さんを心から慕い、守護し、守り抜く私でありたい。
 元々私達の仲は、私が言うのもなんだが、極めて良好な、姉弟関係の様な、良質な友好関係にお互いあったのだし、私にとっては、駆け込み寺的な、お姉さんの様な、関係性でもあったのだから、私には、彼女との友好・同志としての信頼感は抜群に保たれるという自信がある。
 ただ、私が不注意にも、その関係性にヒビを入れたから、前回、前々回のようになるのであって、G講頭さんを諸天善神の神の位、それ位に思わない事には、私としても畏れ多くて、立つ瀬がなく、私にとっては有難い話なのである。
 その機縁を結んでくれた、私の母には、極めて感謝するとともに、G元講頭さんにもご心配をこれ以上掛けぬよう、親孝行をして、母と人様に対しては感謝と笑顔の真心の微笑みを、最大限の祈りと努力を和顔施で捧げる所存である。我が身の更なる高みへの成長を期して。

以上。よしなに。wainai

布告:母が具合悪い為に、暫く、ブログを不定期更新に切り替えます

2024年05月24日 20時14分07秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 母の容態が悪く、具合がすぐれないため、暫く、ブログの更新を控えたいと思います。
 これは、我が講中の講頭さんが言われた通り、自身の深い深い罪障罪業が出たものと思われます。
 この宿業、罪障と言うやつは、始末に負えぬ程の、不逞を働く輩であります。
 しかも、自身が判らぬ程、周りにその害が及ぶ。
 これを断ずるために、日蓮正宗の信仰を貫き通して、立派な最期を飾れるよう、覚悟の上で頑張ります。
 とにかく、今日は、午前中の唱題会、午後の夕べの勤行、と、二つの会合に出ました。
 それから、御住職様にも、大変親身になって御心配を頂き、いまの私にとっては、勤行唱題しか残されていない。
 私は医者でも、その他、ホームの職員さんでもないのだから、今は、お題目に徹する事だ、と。
 私にこんな日が来るとは、予想だにもしていませんでした。今はただ、悲しみに暮れている暇はありません。
 これは身から出た錆、罪障消滅の深い深い祈り以外、良薬はないのだと、肝に銘ずる次第です。
 尚、この件に関して、外野の、特に邪教側の意見には全く与しません。どんなことがあろうとも、私は私の信仰を貫くのみです。
 この事で、多少の私に対する、罵詈雑言、誹謗中傷、悪口罵詈がたとえあったとしても、それらは皆、還著於本人、言った側に全て還ってゆく、私の罪障消滅の印とはなり得ても、決して、私にとり、寸分の狂いなく、そいつらに全部わたってゆく。これは、静かなる戦いであります。
 決して、キリストイスラムの如き、或いは、創価顕正の如くの、悪因縁しか作らない、誠の真実の教え、一仏乗の、日蓮正宗の教えでなければ、絶対に救えないのであります。大体、彼らの方が戦闘的宗教と言えまいか。
 我が宗はいつも、平和平穏に満ちております、どこぞの宗教宗派とは訳が違います。
 私はこのブログでも過去申したか申さぬか、刀折れ矢尽きてもと、この信心に誓いを立てた以上は、猪突猛進で頑張り抜きます。
 とにかく、私には、休む間もなく、これからの仏道修行の時を過ごさせて頂きます。
 その為にも、このブログを、数年前の如くの、不定期更新へと切り返させて頂きます。
 その間にも、また、私(wainai)は入院しただの、悪い冗談はやめて下さい。
 とにかく、この数年間と言うもの、私の信心がなまくら信心、武士の刀がなまってしまい、もう一度、刀を研ぎ直す時期が来たようです。
 皆様の御健勝を祈りつつ、我が家の再建へ向けてリスタートしたいと存じ上げます。
 以上を持ちまして、私の心を心とする、苦しい時でも笑顔と感謝を忘れず、和顔施にて、この場を去ります。一時的に。
 尚、時々巡回して、私の今までよりは、少ない皆様への来訪となるやも知れませぬが、皆様のブログを代表とする、興隆した姿を拝見させて頂きますやもしれませぬ。その時はどうぞよろしく。
 しかし、これはケジメとして言って置きますが、今まで述べてきた通り、更新を辞めた訳じゃありません。回数を減らす、という意味に於いてです。
 
 以上。よしなに。wainai

講頭挨拶、御退夜御講、二〇二四年五月十一日(土)PM七時~、於:日蓮正宗寿海寺

2024年05月11日 21時05分06秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 講頭さん、あいさつ。

 みなさん、こんにちは。

 五月になりました。
 つい先日は寒かったので、どうなるかと思いましたが、
 今日はあったか。心地良い季節となりました。

 今日の御住職様の御法話。皆様はどう思いましたか?
 
 我々の人生、生まれただけでは解決しない。
 その間、何をやって来たかで人生、今がある。

 今の悩みも、過去世の罪障が元。
 本来ならば、重罪、大罪なものを、
 この信仰、法門により、転重軽受、変毒為薬にて、
 今世の罪をも滅せて、我々は来世へと向かいゆく。

 自分自身に現れる罪障もあるが、
 注意すべき事に、周りに現れる罪障。家族等へと出る場合。
 
 自分の周りの人に現れる宿業、それは、自分自身の罪障の現れ。
 
 大聖人様の、一念三千の法門から言うと必然的にそうなる。

 周りの人に不幸な人を見かけた時、自分が気付いたら、一緒にお題目を唱えて差し上げる。お寺にお連れしてみる。その方の幸せを祈る事。色々多種多彩な方法がある。

 御法主上人猊下様。常々、組織戦が大事、と仰る。

 他人の事を他人事とせず、一人の人を大切にして生きてゆく。

 来月六月で、今年半分が終わるが、気を引き締めて、これからも頑張って参りましょう。

以上。
(文責・wainai123753による。ここに書いた事は、私のメモ書きからであり、全ての挨拶の発言の言葉を書き表わしたものでない事、抜粋である事を、お断りさせて頂きます)。

「聖訓講話」総本山第六十五世日淳上人猊下御著述、朗読再開。ハーモニカ

2024年05月06日 11時25分32秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
「聖訓講話」総本山第六十五世日淳上人猊下御著述、朗読再開。ハーモニカ 「聖訓講話」総本山富士大石寺第六十五世日淳上人猊下様御著述、朗読を再開しました。ちなみに、我が菩提寺の常住御本尊様は日淳上人の御本尊です。複音ハーモニカで、調子の違う、特にメジャー・長調のもので、演奏しました。以上。よしなに。wainai 

支部総会・御住職様の御説法要約まとめ、音楽なし

2024年05月05日 17時26分09秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
支部総会・御住職様の御説法要約まとめ、音楽なし 支部総会での講義、説話、大聖人様の御書からの引用を元に、御住職様の御説法を不完全ながら、再現してみました。あくまでも、私のメモに基づいた仮の姿の御説法です。学究肌の御住職様の再現とは成り得ませんでした。ここで説かれるのはごく一部です。その事をお断り申し上げ致させて頂きます。以上。よしなに。wainai 

講頭さん挨拶・指導、支部総会にて、於:日蓮正宗無量山寿海寺、午前十時

2024年05月05日 14時13分04秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
今年の春、三、四月の日蓮正宗無量山寿海寺を門から一望する。

 講頭さん挨拶。

 桜の季節も過ぎ、
 去る春の総本山登山33名。

 私(講頭さん)は寿海寺支部で登山部長も兼ねる。

 200回~300回は、登山を自身でやっている。
 何回、何度行っても、想い出深い。

 御法主上人猊下様、先代御隠尊日顕上人猊下様の御志。

 数多くの登山を経験して思うのは、
 当日当時、事故は全くないが、
 御一緒される方々の具合もある。

 大聖人様、御書「地獄の苦しみ、ぱっと消へ」
 四条金吾「水あれば魚住む」
 「法華経の功徳、無始の罪障消える」

 御登山は、本来ならば、来世に持って行かなければならない罪障を、
 今世で受け止められる。
 前世の罪障は、身の回り、家族に出る事がある。「依正不二」。

(以下引用、一部、改作省略。私が、『法華講員の教学基礎辞典』から詳しく述べたい。)
 「依正不二」依報(国土)・正報(衆生)が、相互に依存、関連し合っていて、一体不可分であること。身土不二ともいう。依報たる国土は、正報たる衆生の生命の反映であって、正報が体であるとすれば、依報は影のようなものである。体がなければ影が生じないように、正報がなければ依報はありえない。そして、その正報は依報によって作られるのである、と一体不二の関係を示されている。これらは大聖人の「瑞相御書」の御文に明かされている。又「御義口伝」には、草木成仏を依正体一の成仏と説かれている。(引用ここまで)

 こういった、「依正不二」の理からも、講中の方に出る事もある。
 必ず、自身の罪障消滅になるように祈りましょう。
 「情けは人の為ならず」(意味:人様に情けをかけて上げるのは、巡りめぐって結局、自分の為なのだ)が、私(講頭さん)の座右の銘。これを他の人も、座右の銘にしている方も多い事でしょう。
 
 一歩でも二歩でも前進。
 寿海寺支部の発展進歩を願います。

 以上。
(文責・私こと、wainai123753。)

※編集後記
 この後、私の折伏相談を受けていた講頭さんであったが、お忙しい身であり、次の時刻、13時から、何と「顕正会」との法論、講頭さんは、顕正会から折伏を受ける、何て言っていたけれども、大丈夫なのかな。
 顕正会のは「折伏」じゃなくて、ただの単なる「勧誘」にしか過ぎない。創価の「仏法対話」に毛の生えた程度であり、それが時に先鋭化して、時に暴力的、監禁事件等々を起こすのが彼らのずるいやり方である。
 そんなのには、我々日蓮正宗は、大聖人様とのお誓いからしても、負ける訳にはいくまい。
 とにかくお忙し、の講頭さんに少し、同情もした一日であった。
以上。よしなに。wainai

女性信徒の体験発表:日蓮正宗第31回寿海寺支部総会、令和六年五月五日(日)午前十時

2024年05月05日 13時53分03秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
写真は三、四月の頃の我がお寺、日蓮正宗無量山寿海寺の春景色。
 御住職様の導師で題目三唱の後、開会のことば、講頭さんの今年度の活動方針の大綱の説明。
 その後、S藤さん(女性)の活動体験発表。

 曰く。
 (S藤さん)創価学会⇒昭和五十年代、学会問題(創価学会の昭和五十二年路線)⇒学会にまずは父が疑問をいだき、家族全員脱会、お寺に帰伏。

 S五十年半ば、父、バイクで事故被害。十か月で退院。しかしその後、亡くなる。
 父の死相は白くやわらかく、まさしく成仏の相だった。
 母がその後、くも膜下出血。後に症状も治り、無事退院。
 椎名御住職(現御住職様の先代の御住職様)がS藤さん一家を御心配為されていた。後から聞いた。

 母は退転もせず、信心一筋。その強盛な信心。母は私の誇り。
 その後、S藤さんは、平成に入り、同じ職場の御主人と出会う。
 夫を折伏して、成就。その後、お寺で結婚式。三人の子供に恵まれる。

 H18年、心不全で母との別れ。母と共に信心できたのが、何よりの心の支え。

 母に感謝。次の年、四人目の子供が流産。
 寿海寺に参詣。自業自得との、御住職様の御説法での御言葉に自分を当てはめてしまい、傷つき、一時、お寺から遠ざかる。
 薬に頼る日々。子供とも離れ離れ。その子は離婚。孫の御受戒かなわず。
 本気で一生懸命、御住職様の御言葉に従い、聞くようになる。

 この間、創価学会側からは、幾度も襲った一家の難に対して、日蓮正宗を口汚く罵られた時期もあったが、自身の福徳でそれらを跳ね返す。

 そうして、一人考える。折伏の仕方がわからず、お寺の本を読む。御住職様に善行の徳の大事を教えられる。

 H30年。A君、お孫さんが生まれる。その子は、人一倍、寿海寺と総本山が大好き!
 お孫さん、A君が最初に覚えた、朝夕、毎日お寺での唱題会で皆で唱えている大聖人様の御書の御言葉「安楽仏菓のこのみなる、云々」。
 聡明なお孫さんは、お題目の他、お経の一節までも唱えられると言う賢い子供に育つ。それらを、我々御住職様、奥様、檀信徒の皆が常日頃から見守っている。

 毎日お寺、寺院に参詣出来る事、当たり前でない毎日に、報恩感謝、不自惜身命を捧げたい。(完)

私こと、wainaiの聞き書きメモ書きによる。

以上。よしなに。wainai

本日は日蓮正宗立宗会、そして帰宅後、鈴木健二著「気くばりのすすめ」を読了!※長文失礼

2024年04月28日 18時29分01秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致

 本日は我が日蓮正宗菩提寺の無量山寿海寺にて、大聖人様の「立宗会」(りっしゅうえ)があった。
 その直前、私は、「はま寿司」で、「まぐろ丼」を540円と言う、リーズナブルな値段で途中で買い求めて、お寺の幹部の方々は幹事会を開き、その間に、私はそのどんぶりを全部食べてしまっていた。
 そして、皆さん、私の前に現れたのだが、食事はどうしたの?と言われて、とっくに食べちゃいましたよ、というと、540円と言うのは、本当に安いけれど、それで満足できる内容なの?と聞かれた。 
 まあ、確かに、がっちり食べたい人向きではないかも。しかし、薄切りの、赤身のマグロ四枚、中トロ?白いのが四枚、それと、しその葉の上にマグロのすり身が乗ったものにシャリがあるやつで、その値段は安い方だと思うと。
 これに、590円で、シャリが大盛なのも別コースであるが、それは、ご飯だけが大盛で、おかずのマグロは大盛じゃないから賛否両論だろう。
 この他、まぐろサーモン丼というのも、同じく540円で売っている。これも紹介した。

 そうして、私達は、御住職様の御説法を聴いて、非常に有難くお話を皆で聴き味わった。しかし、今日はバカに暑いなあ、と思いつつ、家に無事に帰って来た。
 そうして、今まで、確か今月から読み始めたのか忘れたが、NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が亡くなったと聞いた時から、私は彼の著書「気くばりのすすめ」をアマゾン電子書籍で買い求めて、この一か月程、読み進めて来た。
 今日、やっとそれを読み終わった。
 普通の読み方で、それ一冊に専念して読めば、これ位の本ならば、一日掛かるか掛からないかで読めるだろうが、私の読み方は、学校の授業と同じく、何冊もの書籍、本を、同時並行で進めて読んでいく。
 これが、誰の本を読んでいるのか判らなくならないのか、と問われても、私は、これが誰の本かは、充分理解して読んでいるから、大丈夫なのだ。それが、私の読書の流儀であり、以前、聖書などを読んでいた時は、確か、それ一冊に集中的に読んでいたような気もするが、やはり、平行読書だったと思う。
 その時は、聖書と、仏教の初期仏典「岩波文庫:中村元訳『ブッダのことば』」なども併せて読んでいたのだから、私にとっては、キリスト教一辺倒の、嫌味が抜けて行ったのだから、これは痛快である。
 とにかく、この一か月の、この鈴木健二著「気くばりのすすめ」だが、古き良き日本の美徳、道徳、気遣い、がアウトラインとしてある。
 最後の、文庫版での著者の言説が成程、と思わせた。曰く。
 この本が、要らない必要でない時代が訪れたならば、その時が、すべての日本人が自分及び他人、それを越えた、大自然や動物や昆虫含む森羅万象、あらゆる存在に気くばりが出来ている時代が来たのだと、作者は言い切る。
 それ位、昭和の頃、この本はバカ売れしたのである。何と400万部以上!
 今の出版不況がウソのような、しかし、この著者は、売り上げの印税の、85%以上、ほとんど収入の全てが、税務署に税金として取られると言って嘆いて見せる。
 この本は、この当時、講演活動の中で話して来た事が基本としてまとめてあり、それらを基に書いたものであり、話し言葉が、無理やり書き言葉になっているのが、この著者にとっては、他の著作に比べると、少し不満げにも感じられる。
 どうしてこの本がその当時の日本人に読まれたのか。ここに書いてある事は元々常識以上のものでもなければ、以下のものでもない。それなのに、多くの方が、年齢や男女の別を越えて、人間としてあるべき姿を学ぶ意味で、重要なヒントを得たと言って下さる。それは日本人が戦争と戦後の荒廃した生活の中で失ってしまった人間にとって変わらない常識を、幾分なりとも掘り出したからではないかと著者は言う(趣意。著者、あとがき、文庫本刊行に当たって、から大体の輪郭のおぼろげな引用)。
 思いやりの技術はとても簡単。本当は問題の本質はきわめて簡単。それがお互いに相手に細かい自然な気くばりをすれば良いだけである。それが今の日本人にはできないのだろう、との著者の言葉が熱く迫る。

 ともかく、今となれば、昭和元禄、とも言えた、物事も単純であり、何とも現在からみれば、おっとりとした、いい時代に我々は生きていたなあとは、何となく思う。
 けれどもこの時代は、校内暴力、家庭内暴力、政治家の汚職、公害環境問題、等々の、沢山の問題も抱えていた、それらに看過出来ない時でもあった。
 この本を書き終わったのが、一九八二年、秋。とある。まだまだ、迫り来るバブル景気までは、時間的な猶予がある。
 その後の日本人とは、諸外国の、特に先進国からはもう、学び尽くした、と言わんばかりの、日本が傲慢となって行った時代に差し掛かろうとしていた。その陰には、多くの日本人としての、学びを辞めた国民は、流浪の民の如くの、悲惨なバブル崩壊へと一気に国としてなだれ込んで向かってゆく。
 この時代を総括して、反省が本当に実地に実際に行われてきたのか?!果たして怪しいし疑わしい。それに加えての、現在の、不景気狂乱物価高の中の、株高フィーバーには、これには、私には、何か現政権の悪乗り、悪あがきじゃないのか、との不信感しかないのである。
 とにかく、汚職にまみれた、現自公政権を倒す、この一点に懸けた諸政党が、出て来てくれないのか、ここが一番最大限の現今の、喫緊の課題・問題だと、今日は、思い致し考える一日となっております。

以上。よしなに。wainai
※長文失礼しました。

明日の「総会」への準備・今日もお寺で唱題行後の御奉仕、仏様の御使い!

2024年04月20日 14時25分06秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 今日も私達、日蓮正宗無量山寿海寺信徒一同は、講頭さん・副講頭さんを中心に、役員の方々、我々、末端の信徒に至るまで、唱題行後、額に汗を流して、頑張って、明日の、「総会」への準備に余念なく取り組んだ。
 終わりに、奥様から、熱いコーヒーと、おやつが振舞われた。そこで我々は歓談の時を過ごした。
 帰る前に、御住職様からも、大事に使って来たパイプ椅子だが、足りないものは買っても良いし、余りにも壊れそうなものは取り換えても良いと、みすぼらしいのもどうかと仰り、どこか、カインズホームとかでも売っていないのだろうか、とのご意見もあり、それも今後の検討になると言う。費用はお寺で全部出すようだ。お金の心配は要らないと。その為の、普段からの講費なのであろう。
 私から見れば、講費が、月に一世帯、千円と言うのは、非常に安すぎる位、リーズナブルであると思い致す。この中には、勿論、新聞機関紙代、大白法と慧妙の分まで含まれているのだし、今回、明日の昼食代や飲み物代としても、使途が決まって、利用が為されている。それには、会計を務める方の御尽力も見逃せない。頭が自然と下がるのである。
 今日も力仕事やら、窓拭きやら、どんどん、どしどし、私も働いたが、明日が本番だとも言える。
 何といっても、私のその時の質問は、自転車の置き場をどうするか、聞いたら、最初は、門の中にいつも通り置いても良い、との話だったが、御住職様が、やはり、県内から、御僧侶方も、境内の駐車場に停めるだろうから、東駐車場に停めた方が良い、と言う。
 私は、東駐車場が、お寺に所属するようになっても、全然判らないので、講頭さんに付き添ってもらい、一緒に実際に行って確かめた。これだけ、信心七年、八年目の、私でも、知らない事が、常識にたがう事があるのである。
 それに当日の服装も、私は御住職様と奥様の前で聞いた。やはり、今日と同じ重労働をするのだから、ラフな格好でいいのか、と。
 すると、一同の皆さん、それに御住職様も、明日の会合は、とても重大な会合であり、そんな、ジーパンにジャンパー、と言った服装はNGだと言われ、やはり、正装、背広・スーツが良いと言う。
 御住職様は、着替えを持って来ても良い、とも言っていた。
 成程、判りました、と私は了解した。
 とにかく、明日が決戦の日である。全ての成否は、今日も含めて、明日に懸かっている。私は、今か今か、と待ち構えて、明日に備えている最中である。
 
 以上。よしなに。wainai

母の日蓮正宗、お題目の教え

2024年04月19日 12時54分36秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 母は、日蓮正宗信徒を、創価学会信者であった時から、自身はむしろ、創価信者ではなく、どちらかと言えば、正統派の、日蓮正宗の信徒が良いんだ、と語っていた口である。
 そんな母は、母の母、私の祖母の実家の宗旨の、念仏宗・浄土真宗の唱える、「南無阿弥陀仏」の発音が、「なむあみだぶつ」では全くなく、いつの時代からか、現代では「ナンマイダー」となってしまっている事に触れて、私に語った。
 一人、日蓮宗系の、日蓮正宗だけが、「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」と、鎌倉時代の、宗祖日蓮大聖人様の当時の発音そのままに、現代でも遜色なく、あの当時とおんなじ言葉づかいで唱えられるのだから、一番確かな教えであり、大聖人様の時代と言葉が同じなのは、これも何かの縁、不思議なんだ、と、私と母が日蓮正宗に帰伏して、勧誡式を執り行って頂いた後などに、神妙になって、私と語り合った。
 そんな母とは、私が、強盛に日蓮正宗信仰に踏み出す時に、貴方のやりたいようにやりなさい。元々、そうしたかったのだろうから。と言って、その当時から、私に最大限に賛辞を贈った。
 母は今は、私の方がより一層、正宗気質そのままに惹かれ慣れてしまい、母が置いてけぼりを食っているが、私の今後の目標は、母が自分で、例え認知症でも、「方便品」と「寿量品自我偈」位は出来るようになって欲しいと望む。
 今でも、母の施設へ行き、母のタンスから、お経本とお数珠を取り出して、母は、その御経本・勤行要典が、「日蓮正宗総本山大石寺蔵版」となっているのを見て、最大限の愛着と満足感を得ているらしく、必ず「日蓮正宗~!」と微笑んで何度も言う癖がある。
 母にとっては、かつて、池田大作氏率いた、創価学会が、新興宗教臭くて、たまらずに、ままならずに、非常に嫌がっていた様子が伺われる。どうしても、それらインチキ宗教には従えなかった。
 第一、その本尊の、ニセ本尊には、母は、その字体を見て、一人、コワがっていた。何か大げさで、インチキ臭いと。
 その母の直感は、今となれば、非常に正しかったと言える。
 母には、事の、モノの、真贋が、身についた直感、第六感とでもいったもので、事前に、全てが、御見通し、判っていたのである。
 これは、今現在の、還暦前後の人達以降の、池田大作氏が第三代会長・名誉会長の時代からの日蓮正宗創価世代、或いは、破門後の新興宗教然とした創価世代と、母のような、創価草創期の、昭和三十年代の、第二代会長戸田城聖先生の影響下の時代からの、生え抜きの日蓮正宗創価学会の世代との、抜き難い世代間格差とも言える。
 元々、母には、個人的に、池田氏の、異質さ異常さには非常に耐えられない、免疫が出来ていたのだ。
 だから、我々家族が、創価学会員だった十年二十年位前から、母が時折、学会が破門されても、日蓮正宗寺院、後の私達の菩提寺となる、無量山寿海寺に人目を避けて、わざわざ、行事に参加していたのを見知っていた学会員達は、どうして、この人は、お寺に引き入れられたように、魅入られたように、いまだにお寺と別れられないのだろう、と不審に思われていた。
 実際に、私がいる、部屋にも、それら新興宗教と化した学会員たちの、母をいぶかしがる姿や声が、玄関先から、私にまで聞こえて来た事も多くあった。
 それで良かったのだ。あんな、池田大作ファースト、池田オンリーの、そんな個人崇拝宗教、新興宗教教団特有の、創価学会などに、肩入れしている方が、バカを見るのだ。実際私達母子は、何十年間も、何も知らずに創価に在籍した事が原因で、バカを見なければならなかった。
 母は確かに見抜いていた。事の真相を。だから、私も後々日蓮正宗の正当性に気付き、母をも誘って、勧誡式へ行こう、と言っても、絶対に否定などはしはしなかった。むしろ、喜んで、お寺へ行くんだと、私について来てくれた。
 こんな親子、母子がいたという事を、宗祖日蓮大聖人様ならば、どう思うだろうか。 
 阿仏房、千日尼夫妻に相対した如く「我等は穢土に候へども心は霊山に住むべし。御面(かお)を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん」(「千日尼御前御返事」御書一二九〇頁)と、私達母子を、いたわり、慰め、最大限の賛辞、称賛と慈悲を与えて、きっとお褒め下さるに違いない。そう確信する。
 
 以上。よしなに。wainai