Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

創価のしつこさ、ニセモノと本物の信心

2018年11月28日 15時54分02秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
私達家族二人は去年の二月に創価学会を脱会し、日蓮正宗に帰依したが、その年の四月頃まで、学会員の来訪を受けたりした事が何回もあった。
 私共が創価を脱会した事がわからなかったらしく(既に脱会届は本部に出してもらっていたのだが)、周知徹底されていなかったらしい。
 近所の婦人部がいつも通り来て、うちが脱会し、日蓮正宗に入った、と言うと、じゃあ、脱会届は出したのね、とか何とか、二度も三度も蒸し返されるような感じ。しかし、その後はパタリと来なくなった。
 しかし、年末になり、男子部の胡散臭そうな男が、再度、うちを訪れて、本当は(ニセ)本尊は寺じゃなく学会本部に送ってほしかった、等々を述べて帰っていった。そんなのは創価の常套句で、何とか今からでも学会に気はないかと探るような気配がした。気持ちの悪い男であった。
 それからは、創価学会員との接触は全く絶えた。以前よりかは、創価弱体化により、意地悪をされたり、イジメにあったり、嫌がらせを受けたりという事は皆無だが、近所の学会員の目付きが以前よりも冷たいのは感じる。
 しかし、どこ吹く風、晴れて日蓮正宗に勧誡を受けて宗旨替えした喜びの方が強く、却って清々した気分。近所の学会員の、ネズミのようにコソコソ這いつくばる姿は見慣れている。
 時々、学会員宅の横を通り、ニセの題目が聞こえたりすると、あれはニセモノの題目、こちらは正真の本物のお題目、と自身、心から思い、負けてなるものか、と家に帰りこちらもお仏壇の前に座り、お題目の声にも力が入る。
 ニセはニセ、本物は本物、の見分けの付けられる人でありたい。

ラジオの現況、主に福島で聞けるラジオについて

2018年11月20日 17時09分31秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
ラジオ福島では、昼のワイド番組が「かっとびワイド」から「ラジオでショー」に変わった。
 この「かっとび」を何十年も使い、すっかりラジ福のメイン番組タイトルになったのが、潔く名称を代えた。少し勿体ない気もするが、しょうがないのか。
 ラジオ福島では県内59市町村を回る、箭内道彦の「風とロック」が各市町村を巡る。少し時間も長く、市町村も多すぎ。これを毎月一回、県内のどこかの市町村で福島に縁あるアーティストを招いて地味にコンサートをやる。壮大なマンネリだ。
 NHKラジオ第一の金曜日の「香山リカのこころの美容液」は、いつの間にか、今年の三月に終了していたのを知らなかった。少しショック。夏の間は野球のせいでないのかと思ったが…。
 今ラジオ福島では、冬のミュージックソンテーマ曲がかなりの頻度で掛かる。耳にタコが出来そう。
 松山千春もラジオが絶好調。ふくしまFMの山下達郎の番組は、CMスポンサーがかなり減った。今は番組宣伝が多い。
 相変わらず、NHKラジオは土日か、ジャニーズタレントによるチンピラ放送、ラジオ福島はAKBなどのスケバン放送。よくやるよといつも思う。
 もう少し、NHK、民放ともに、ニュース、時事ネタ、世の議論を扱った高齢者、熟年向けの放送を期待しているが。
 超高齢社会がこれだけ進み、皆が聞きたいラジオについて、各界、直接、聴取者から聞き取り調査等も必要なのではないかと思った。

昨日、寿海寺、御報恩御講にて

2018年11月12日 19時57分18秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
昨日、無量山寿海寺にて行われた御報恩御講に行って来た。
 Bさんに会い、話していた。Bさんは私の同級生の女子の父親で、とても若く見える方である。その時Bさんは、以前うちの家まで折伏に同行の男性と二人で来たと言う。十年位前だと言う。
 その時、うちの母が対応して、「何と言ったと思う?」とBさん。私「さあ、分かりません」。Bさん「その時、君のお母さんは、『結構です』と言われたっけなあ」と話し、私もそうでしたか、すみませんでした、と言う他はなかった。
 けれども、それだけあっけなく断っても、十数年後にはこうして同じお寺で、同じ信仰を貫いているのだから、不思議なものだ。だから、私は「強い信念、岩をも通すで、折伏を諦めちゃいけないって事ですよ」と言うと、一同、「そうだ」と同意の声が上がった。
 今、創価学会、顕正会等の異流義、その他邪宗邪教の類に悩まされ、或いはそのぬるま湯にも気付かず、塗炭の苦しみ、貴重な時間とお金と労力を無駄にしている人々が、この同じ時間、場所は違えど、沢山の数に上る。この人たちを救わないで、何が折伏育成だ、と思う。一生は長いようで短い。私たち日蓮正宗の信徒は、身を粉にして折伏行に邁進しなければ、大聖人様に恥ずかしくて御目通りも叶わない。一秒一分一時間、一寸でもその場から逃げたら、楽な方へ楽な方へ向かえば、堕地獄は目に見えている。折伏しないで、何が正宗信徒と言えるのか、と言う問題だ。
 昨日は新入信徒が三人も新たに生まれた。家族皆、長い事創価や顕正会にいて、その非を知り、晴れて勧誡式を受けられた。確実に日蓮正宗は隆昌の勢いを増し、創価等は減少、目減りする没落宗教と化していく。この潮流は誰にも止められない。これを上げ潮として、この流れに乗って、日蓮正宗という大船に乗り、確かな羅針盤を手に大海原を航海してゆき、晴れて目的の理想郷へと向かい、日々生きてゆきたい。

キリスト教は人種差別主義的宗教

2018年11月12日 13時17分36秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
ある日、キリスト教の布教番組を聴いていると、その喋り手が、ピーターフランクルという人について話していた。
 彼はユダヤ人で、ヨーロッパもアメリカも、ユダヤ差別が凄かったと。唯一、日本のみが、ユダヤ人差別がなく、彼は好んでこの日本国に居を構え、東大の講師などをしているという。
 そして、何故かその喋り手は、キリスト教の手前味噌の宣伝に入っていった。
 私は思う。元々キリスト教がユダヤ差別を助長してきたのじゃないかって。
 キリスト教の聖書、特に新約聖書には口を極めてユダヤ人を差別したページがわんさかある。
 これは、親のユダヤ教を否定しないと、キリスト教の根幹の教義・教説がそもそも成り立たず、絶対不可分の関係で、特に元ユダヤ教徒と言われたパウロの説く教えが差別を助長している。
 キリスト教は、ほぼパウロ教と言われる程、パウロの教説がその大半を占める。これは否定できない。
 キリスト教では、聖書の表現において、差別用語の徹底した排除に努めてきた歴史がある。「らい病」という表現を「重い皮膚病の人」、「目しい、耳しい」と視覚聴覚障碍者を、「目の不自由な人、耳の不自由な人」と表現を改めた。しかし、人種差別、ユダヤ差別は、その教えの根幹に関わる為、変更が出来ない。
 皆、聖書を読む人たちは、イエスが十字架に架けられる場面を読む度に「主キリストは、ユダヤ人に殺された」と大なり小なり思い、ユダヤ教徒たちが頑なにキリスト教に改宗しないのも、憎しみを持って聖書を読む度ごとにユダヤ差別を増長させていく。
 このユダヤ差別は、キリスト教の成立時から、宿命のようなものであり、人種差別主義から逃れる事は出来ない。
 日本は大乗仏教の流布する国であり、そんなキリスト教思想が入り込む余地がなかった。だからユダヤ人たちにとっては別天地であり、戦時中、杉原千畝が「日本版シンドラーのリスト」と謳われた、一外交官が恩情でナチスドイツの手から大量のユダヤ人達を一手に助けて国外逃亡に成功させたのも、偏に日本が大乗仏教国だったと言う一点にある。
 それを、朝のキリスト教番組は一切触れず、そのピーターフランクルの日本での活躍と、自身のキリスト教の都合のいい宣伝に費やすのみだったのは、誠に片手落ち、憎悪と差別の根源がキリスト教にあるのを糊塗する、茶番劇であったと言っていい。

オウム真理教麻原教祖死刑を振り返る

2018年11月03日 20時53分36秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
麻原彰晃こと、松本智津夫が死刑に処せられて、数か月経つ。松本サリン事件、地下鉄サリン事件、弁護士一家殺害事件等々、数々の凶悪事件を起こしたオウム真理教の教祖として頂点に立ち、犯行を指図し指揮した巨悪の根源。
 私は、麻原が死刑として処刑されるならば、信者の間で神格化が必ず起こり、キリスト教のように、死後、復活の麻原を見たとか、夢によるお告げを受けた、とかの風聞、伝説化が起こる心配をしていたが、今の所、アレフ、ひかりの輪、等の旧オウムグループに神格化といった動きはまだない。
 東京拘置所をオウムの聖地、メッカにして、遺骨を仏舎利の如く、神聖視し、新たなオウム教団の出発の日とする、とかを想定したが、それも考えすぎだったのかも知れぬ。
 兎も角、私の周りでも、麻原が死刑になった事で、一応の収束、ほっとした、という意見が多く、海外のような死刑制度反対の意見は少ない。
 根本が間違えば、全てが腐り果て、一念の狂いによりその教えが殺人教義まで辿り着くと言う証左だろう。
 未だにオウムの残党、アレフ、ひかりの輪、山田たちのグループ、等の古い教義にしがみ付き、残っている人がいる。まだ洗脳が解けていないのだろう。
 私の中学生時代、地元郡山の今はなき東北書店には、空中浮遊の写真が表紙の麻原の新刊本がうず高く書店の一角を占め、私もその麻原教祖の本を横目で睨み、当時ラジオ小僧だった私は、三宅裕司のヤングパラダイスというラジオ番組のコーナーから出た、やくざの恐怖体験を描いた「恐怖のヤッちゃん」という本をその時買った。麻原の本を通過して買わないで本当に良かった、と今では心から思う。

来年十月、消費増税、10%へ、迫りくる経済苦への足音

2018年11月03日 20時08分14秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
今から憂鬱なのは、来年の10月に消費税率が10%へ引き上げられると言う事。庶民にはかなりのダメージだ。
 公明が、軽減税率を持ち出したり、首相近辺が、商品券か給付金で対応、等言ってるが、焼け石に水だ。
 軽減税率も分かりづらく、店で食べると税が高く、店から持ち出すと安い、等、あいまいな点も多い。
 景気は確実に悪くなるだろう。消費税率の増税分が、子供の教育費の無料化だけに使われるというのも納得がいかない点だ。子供にタダのエサをばら撒き食い散らかし、狂気の沙汰を、民主党政権時代の「子供手当て」を彷彿とさせる、自民の悪乗りが透けて見える。
 安倍は、憲法改悪までを視野に入れて画策している。誰も今、この時この日本で、恵まれた日本国憲法を代えたいと思う人はいないしいても少ない。憲法を代えて喜ぶ人は、カチカチの右翼か自衛隊の駐屯所に勤める限られた人のみだろう。
 大多数の国民は憲法改正など望んではいない。安倍首相のゴリ押し、一人ロマンの漂泊者となり、夢見る能天気な世間知らずのお坊ちゃんの夢想の域を出ない。悪いが安倍さん、あなたにつき合ってる暇はない。
 消費増税で、我々の老後が保証されるならまだしも、数も少ない子供の無償化の為とか、悪い冗談のよう。経済破綻、経済無視の、経済オンチの安倍首相。まだ石破さんの方が良かったかも。安倍首相の、あの陰気な疲れた顔を見るたびに、日本の今置かれた危機、危(あや)うさを思い、噛み締めている。